弁護士7年目の所感

あけましておめでとうございます。

気づいたら弁護士も7年目ですが、幸か不幸か、入所した時と同じ事務所で引き続き弁護士として働いています。これまでの6年間をざっとまとめてみると以下のようなところです(後輩の皆様のご参考になれば)。

 

1年目(2013年)

泥臭い紛争とM&Aの兵隊(一番下で手を動かす弁護士)を担当。交渉・訴訟案件が多かったので、交渉のやり方や書面の書き方を一通り勉強できた一年。

 

2年目(2014年)

事件の傾向は変わらないが、僅かだが初めて中国の仕事を経験。兵隊としての面倒を見てくれていた下士官(プレイングマネージャ或いは中間管理職)たる先輩弁護士の独立により、兵隊やりながら下士官もやるようになる。

 

3年目(2015年)

紛争とM&A一辺倒から事件の幅が広がり、国際法務、破産、知財も顔を出すように。訴訟も難易度が高めのものが増えてくる。所内でチームが形成されメンバーになるとともに、下士官業務が増え、M&Aの主任デビューを果たす。初めて個人的なつながりから顧客を獲得する。

 

4年目(2016年)

国際法務が顕著に増加する。とはいえ既存の業務も減らず、自ら営業もするようになり、かつ、業務効率の向上が追い付かず、業務時間が増加し、11月に一度ダウンする。国内業務を下士官業務中心とするよう変更する。父親になる。

 

5年目(2017年)

案件数が顕著に増加するとともに、国際法務が過半数を占める。顧問契約を初めて獲得する。

 

6年目(2018年)

ベンチャー法務が増加する。国際法務も増加し、業務の7割が中華圏の案件となり、仕事での海外出張が増える。中華圏のチームもメンバーが倍増する。M&Aはクロスボーダー以外を所内では遠慮することにし、業務効率を改善し、何とか業務時間は落ち着く。

 

改めて思い返すと、3年目から4年目が一つの転機だったと思います。3年目の終わりに、私が尊敬する先輩が事務所を離れました。私のその頃の業務の半分はその先輩の業務でしたし、その先輩に少なくとも5年くらいは指導してもらう算段だったので、これは足下が崩れるような出来事でした。色々考えた結果、最終的には事務所に残り、チームで頑張ることにしたのですが、この経験から、結局弁護士は個の力で立つしかないのだなということを身体で学べたように思います。

一方、弁護士7年目となると、そろそろ進路の問題が出てきます。つまり、今いる事務所で経営側に回るのか、他の事務所に移るのか、独立するのか、或いはインハウス等の弁護士事務所以外で働くのかということです。

この判断をするに当たっては、弁護士を続けるとしたときに、その目的をどう考えるかが大切でしょう。もちろん自分の食い扶持を稼ぐのが職業の本質ですが、弁護士という職業は、職業≒人生となりやすいので、目的を持たないと、人生が無目的となりかねないように思います。ではその目的はと自問したとき、今は、「世界と戦える法律家チームを作る」というのが一つの答えになるでしょうか。日本が世界と戦うために必要となる法律家チームを構築し、企業の役に立ちたいということです。

それゆえ、私の進路に関する考え方はシンプルで、上の目的を達成するために何が一番いい選択なのかというに尽きます。外部環境のことは、自分ではいかんともしがたいことがあるので、自分でできる範囲のことを書くとすると以下でしょうか。

  1. 留学・海外勤務。自分の視野を広げ、語学力を更に高めるために海外での生活と勤務は絶対的に必要と考えています。TOEFLという関門が超えられないので、留学はどうするか要検討ですが、留学を自分が経験していないと、チーム内でその価値を語れないことも考えると、経験したほうがいいだろうと思ってはいます。また、米中関係を考えると、これからしばらくの間、中国の経済状態が悪化すると思われるので、タイミングは悪くないというところです。
  2. 所内のチーム構築。自分一人でできる仕事は能力的にも時間的にも限られており、自分とシナジーを生めるチームが必要です。これは所内外・国内外を問いません。現時点で、どうすればいいかという道は見えているという印象です。
  3. 育成システムの構築。2とも関連しますが、結局2のシナジーを永続的に生む組織にするには、育成システムが重要と考えています。組織論的には、いい人材を採用し、育成し、適切に配置をし、気持ちよく働いてもらうのが正解でしょうが、弁護士の場合、雇用ではないので大量採用による人材確保や、一方的な配置はできません。したがって、組織側ができるのは育成(と辞めてもらわない努力)だけでしょう。ただ、これは道が見えていません。
  4. 専門性の習得。国際法務(言語・文化理解)は一つの専門性ではありますが、手段的な専門性であるため、どうしても実体的な専門性が必要になります。私の場合、紛争解決は引き続き柱とするにせよ、分野・業界的な専門性を身に付けたいというところです。特定の分野・業界については道が見えていますが、どれが正解なのかが難しいというところです。

いずれにせよ、上の1~4のうち、1と4については、後から変えられないところなので、悔いの残らないよう、この一年も励んでいきたいところです。

それでは皆様、今年もよろしくお願いします。

読書の話

今年も気づくとあと2週間ほどとなりました。齢を取るごとに、一年が早くなると言われますが、私にはまだその実感はありません。弁護士になって満6年ですが、それぞれの年にはそれぞれの思い出や挑戦があったように思います。

今年の振り返りはまたそのうちとして、去年くらいから、時間があれば本を読むようにしています。具体的には、通勤路の途中にある本屋に2週間に一度くらいは立ち寄り、気になった本はさっと立ち読みし、有益と思えば全部買います。正直に告白すれば、もちろんそれらの半分くらいは積読になり、そのうちの半分くらいは旬をすぎて読まれることがないまま朽ちていきます。しかし、その時点での自分の問題意識を確認する意味でも、最終的には読まずとも置いておくだけでも意味があるだろうと思って買っています。

また、私は、週明け時点で手元に積み残した仕事が内容な状態で迎えるようにしているので*1、稀に、エアポケット或いは凪のような日が生まれることがあります。その際に積読本を消化しています。

本を読むのは、もちろん趣味のためが第一ですが、弁護士業のためでもあります。私の仕事に対する意識として、「情あれど理なきは愚、理あれど情なきは鈍」というのものがあり、弁護士は専門職ですので、専門的な能力で理論的に法的問題を解決する能力が第一ですが、その問題が社会で起きている以上、世の中の常識や人間の感情にも敏感でなければなりません。より具体的に言えば、弁護士が誰かを説得するには、理屈を分かりやすく説明すれば対象者は理解ができますが、だからといってそれを受け入れてもらえるかは別の話で、話の持って行き方や説得の方法においては、対象者の感情に敏感でなければなりません。このあたりを学ぶには書籍は最良のツールでしょう。

また、年次が上がると、様々な方とお話しする機会が増えます。その際に話題に困らないようにすることや、自分に求められる専門分野を増強するためにも、読書は有益です。雑な言い方ですが、できる人はやはり勉強をしているので、少なくともその方の話の中味を理解するには、ある程度幅広な知識が求められます。それにはやはり読書は一つの有益なツールです。

前置きが長くなりましたが、最近読んだ本で面白かったものを二冊。

www.kadokawa.co.jp応仁の乱」の著者の一冊です。ちょくちょく現れる歴史上の陰謀論をばっさり否定していきます。私の理解では、歴史学というのは、法律家がする事実認定と類似するところがあり、史料の信用性を吟味しながら史実を定めていくという作業をするものですが、最近世間ではその辺りを無視した議論が跋扈している印象もあります。学会はそういうものには取り合わないのでしょうが、著者はこの現象に危機感を抱いており、わざわざこのような書籍を書かれています。具体名は出しませんが、歴史書の振りをして出典がなく、検証・反論不可能な書籍が幅を利かせている世の中では、このような研究者がいらっしゃるのは本当にありがたいことだと思います。

 

www.ikedashoten.co.jp地政学について、わかりやすく解説したものです。地政学の本って取りつきにくい印象ですが、この書籍は、現代の国際情勢を踏まえて書いてくれているので、読みやすいです。交通手段や兵器の進化はあるにせよ、地理的条件というのは基本的にそう大きく変わらないので、一度地政学の視点を持つと一生役に立つだろうと思います。

 

*1:この癖は、非紛争案件と中華圏案件が増えるようになってから付いたものです。国内の紛争は、サイクルが遅い(たとえば訴訟期日は多くても月1回)一方で、国内外の非紛争案件(特に中華圏の業務)はサイクルが早いものが多く、対応スピードが重視されるため、手元に仕事を残しておくと反応が遅れます。

熊野詣

熊野に行ってみたいと思い立ったのは平成21年で、ロースクールの最初の夏学期が終わった時だった。理由ははっきりしないが、熊野を初めて認識したのが小学校の頃読んだ平家物語の「熊野別当」であり、その言葉がずっと引っかかっていたことのような気がする。初めての訪問は同年9月で、伊勢神宮と合わせて三山を訪れたのだが、伊勢神宮の緊張感のある雰囲気より、どことなく緩やかな熊野の方が好みだった。

その後、24年に2度、28年に1度熊野を訪れたが、回数を重ねるたび、熊野には、ただの南国的な風景とは異なる独特の空気を感じるようになった。城址から眺める熊野川と山々、速玉大社の社殿とその裏の木々、花の窟の鳥居の奥には、青い空や川と黒っぽい山と赤い社殿のコントラストゆえか、時にはぎょっとするような不気味さが感じられる。当地の方々には聞こえが悪く申し訳ないが、外地出身者である私には、そこに鮮やかな死が香る。一方、大門坂から那智大社に至る古道、大斎原とその横を流れる熊野川には、爽やかな生を見出す。今まで色んなところを旅してきたが、ここまでの両極かつ強烈な特徴がある地は他にはない。

熊野と死生を論じる書籍は複数あり、たとえば補陀落渡海や、伊弉冉尊の埋葬地とされる花の窟などが挙げられる。しかし、そういうことではなく、単に自分の感覚としてそう感じるというだけのことである。だから私は、日常から離れたいときは熊野に詣でる。交通が発達した今も遠い熊野に赴くうちに、私は俗世の属性から切り離される。着いたら最初に必ず詣でる速玉大社、翌朝城址から眺める熊野川、そしてその熊野川を辿って至る大斎原の河原と詣でる本宮大社。これで私が蘇っていく。

ここ数年、本宮や那智は、商業主義が強まったような印象もあるし、たとえば大斎原の大鳥居にも違和感が強いが、それはそれ。熊野の空気は今も昔も一緒であろうし、そこに詣でるのである。

そして、五度目の熊野詣を終えて、再び俗世に戻るのであった。

 

 

f:id:he_knows_my_name:20181114021334j:plain

速玉大社社殿

 

f:id:he_knows_my_name:20181114021344j:plain

城址から眺める熊野川と山々

 

f:id:he_knows_my_name:20181114021350j:plain

大斎原横の河原と熊野川

 

 

チャンスの神様には前髪しかないが、そもそも神様が見えないという話

子供の時分に親に小言というか、アドバイスというか、よく言われていたことに「30過ぎたら自分の顔に責任を持て」というのと「チャンスの神様には前髪しかないから、迷わず掴め」というのがありました。

齢を重ねるにつれ至言だなと思う訳ですが、後者については最近少し考えが変わってきました。つまり、「チャンスの神様には前髪しかないが、そもそも神様が見えるようになるまで掴みに行くしかない」と。

これはおそらく仕事のチャンスで言えば、所内の弁護士、所外や海外の専門家*1、クライアントと一緒に仕事をする過程でチャンスをつかんでいる方々を見てきたからかもしれません。また、最近私より相当年下のある学生さんと食事をして色々話し、その方の超貪欲な姿勢にあてられたというのもあるかもしれません。

一方で、私の目から見たら、チャンスを掴みに行かない方々というのもいます。別にチャンスをつかむばかりが人生ではないので、生き方の問題ではありますが、少なくとも私の目からもったいないなと思うこともあるわけです。とりわけ、掴みにも行かずに自分の運命や境遇を呪っているなんていうのは、まさに隙だらけ*2で何をやっているのだと思う訳です(このブログを始めた頃の私がその典型)。

そこで両者は何が違うのかなと思う訳ですが、結局貪欲さなのだろうと。「チャンスは目の前ちょっと待った、行かないなら俺もらった」というのは某ラッパー初期のアルバムのリリックですが*3、その姿勢なのだろうと。実はチャンスだと思って取りに行ったら地獄を見るなんていうのはよくあることな訳ですが、しかしそれで掴みに行くのをやめるとそれまでです。チャンスかどうか分からないが掴みに行き、試行錯誤を繰り返しているうちに、チャンスが見えるようになると。そして、早い段階でそうなってしまえば、後は自分という資本を元手に、チャンスを掴むかどうかを決めて行けばいいわけです。また、掴みに行かない人はチャンスが見えるようにならないわけなので、掴める人との差は大きくなるでしょう。

ただ、翻って思うのは、自分に見えていないチャンスがあるはずであろうという思いにとらわれ、かつ、貪欲さを抑えられないとなるとどうなるのだろうかと。あとは人生をどう生きるかという問題になり、半分降りるのか*4、とことん突っ走るのか。人生の実験手法は人それぞれではあれ、そのあたりの決めになるのでしょうかね。このあたりは人生経験が足りないので肌感覚がない所ではあります。

まあ何が言いたいかっていうと、弁護士は少なくとも自分の食い扶持を得られるようになるまでの間は、ひたすら貪欲に掴みに行くべきであって、失敗するかもしれないなんていって怯んでいる場合じゃないということです。

はてなブログへの移行について

今までこのブログははてなダイアリーを使っていましたが、来春頃はてなダイアリーが廃止されるということで、はてなブログに移行しました。移行により一部のリンクが切れたりしている気がしますが、ご容赦ください。

また、本ブログのサブタイトルについて、「Fake」だったのを「Joke」に変えましたが、これは私の人生観の変化によるものです。開設当時の私は虚無的な思想が強かったので、Fakeとしていました。しかし、2008年6月にあることを切っ掛けに楽観的というか、ぐだぐだ悩む前に動け!という思想が強くなりました。とはいえ、自分の本質を見失わないためにFakeを維持していたのですが、楽観的思想は社会人として人生経験を積むにつれて更に推し進められ、本質すら変化したような気がしたので、今般変更したという次第です。人生なんてFake又はJokeなんだから思い切って行こうぜ、と言う意味ではいずれにせよ楽観的なのかもしれませんが。

さて、移行に際してこのブログの過去の記事を見たのですが、最初の記事が2007年7月26日。気づいたら10年以上継続していた訳です。最初の記事を書いた頃学生だった筆者は、大学院を修了し、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士になり、気付いたら弁護士6年目で国際法務が主戦場となり、妻子もありと、色んなことがあったなあというところ。

このブログも、何度かやめようかなと思いましたが、ここまで来ると逆に消すのもいたたまれず、ダラダラ続けてきました。そうしたところ、2014年頃だったか、岡口裁判官や大西弁護士にご紹介頂いたからか、50万アクセスを突破し、移行時点で80万アクセスを超えていました(アクセス数ははてなブログに引き継がれない模様なのでここに書いておく。)。

という訳で、多少はお役にたっている記事もあるようなので、このまま続けます。昔のように大事な時間をなあなあで削るわけにはいかない立場ではありますが、今後も自分の現在地を示し、或いは自分の思考を文章化するという人間として基本的な表現活動をする場として、活かしていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

次官・若手ペーパーについて

フェイスブックツイッター上でも話題ですね。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

このペーパー、私のライン上では批判的な意見が圧倒的多数でした。
私も一読してそれなりに違和感を感じました。ひょっとしたら、知り合いが作成に関与しているかもしれませんが、批判される覚悟で世に出したんでしょうし、炎上マーケティング狙いかもしれないので、ここでその狙いの達成に寄与しておきます。

こういう提案が公の場に出てきて議論が起きることはいいと思いますし、結論について異論はない所もあるのですが、以下の違和感がありました。

・まず、このペーパーの位置づけがよくわからない。要は高齢者から若者へお金の使い方をシフトしましょう、ということを言いたいだけなのか?そこがよく見えない。よく見えないようにしているのかもしれないが。

・「かつて人生には目指すべきモデルがあったが今はない」という問題意識が違和感しかない。人生の「100点」、「合格」とはどういう意味なのか?数十年前の日本人には悩みがなく、今の日本人は大変なのか?「いつだって大変な時代」でも読んでほしい。大変に見えるとしたら、SNSやインターネットの発展で、匿名での意見発信が簡単になり、他人の意見が具体的に見えるようになっただけではないのか。人生というのに所与の目指すモデルがあるというのが、いかにも出世という概念が存在する官僚的で、それが当然という点が理解に苦しむ。人生の目指すべき所はそれぞれが築き上げていくものという考え方もあるだろう。

・人生の豊かさ云々に踏み込んでいるところに違和感。何より、老人から若者に金を回そうという話の理屈付けに幸せ云々言うのに違和感。「定年退職を境に、日がなテレビを見て過ごしている。」の何が悪いのかよくわからない。高齢者にも働いてもらわないと回らないならそう言えと。テレビを見て過ごすのが不幸という根拠に違和感。

・論理というのか因果関係というのかがふわっとしている。自説の根拠となっている例が根拠として弱い。「自分で選択しているつもりが誰かに操作されている?」というパートがこのペーパーで結論にどう寄与しているのかがわからない。

・ペーパーの内容とは関係ないが、半年以上時間をかけ、20代、30代の若手30人の官僚が国内のいろんな人とディスカッションしてできたペーパーがこれなのかというのが正直な感想。ただでさえ忙しいであろう高級官僚がさらに残業してこれではあまりにむなしい。したがって、ペーパーで触れられているような問題意識を持っていない人たちを狙った炎上マーケティングであると信じたい。

ざっくりいえば、冒頭な問題意識を除き、結論の方向性については異論はないところがありつつ、ポエムな感じになってしまってるところに違和感が強いんでしょうかね。まあ、ポエムな感じが受けるだろうという読みの下でそういうテイストになっているのかもしれませんが・・・

734592

弁護士5年目の所感

久しぶりの投稿です。
前回の投稿が4年目に入った時でしたから、実に1年半ぶりくらいですかね。

その時と今を簡単に比べると以下のようなところです。

1.業務における渉外に占める割合が過半数を超える(タイム・案件数ベース)
弁護士になった時から、中国帰国子女の経歴を生かして中国に関する業務をやりたいやりたいと言い続けていた結果、昨年1年通算すると、仕事の過半数が渉外(ほとんど中華圏)になりました。日本語と中国語、時々英語を使って楽しく仕事ができています。

2.業務分野をざっくり分けると、紛争(訴訟・交渉)、M&A、その他渉外の3類型
これは事務所のカラーもあると思いますが、国内案件では紛争とM&Aがメインです。紛争は、難易度が高いのは主任、そうでないのは中間管理職的に関与し、M&Aは主任をやることが多いです。その他渉外は、何でもありですが、契約書レビューから現地の紛争コントロール、行政対応等が多いですかね。

3.子供が産まれて生活がかなり変化
子供を朝保育園に送っていくというルーティンがありますので、一日当たりの自分のために使える時間が1時間以上減りました。当然仕事に割ける時間も減りますので、いかに時間当たりのバリューを高められるかというところです。子供の面倒については、抱っこにせよオムツ替えにせよミルクやりにせよ、基本的スキルは身に着けています。

4.中国語能力の向上
中国業務を扱い始めたころは、中国語でのメールも打てませんでしたし、業務の口頭でも説明もできず、うちの中国法弁護士におんぶにだっこでしたが、ここ半年は中国語を使わない営業日はないくらいでしたので、メールも問題なくできるようになり、口頭での説明も、依頼者との打ち合わせの重要なポイントは対応できるようになりました。基本的に業務上必要な中国語力はあると言えるかなと思っています。

5.チームの重要性を痛感
自分を使ってくれるお客さんの増加に伴い(ありがたいことです)、案件数が増え、自分で処理するのに限界を感じるようになりました。特に、中国案件については、中国法弁護士と共働するのが通常ということもあり、チームとしてどれだけ力を発揮できるかがバリューに繋がりますから、いいチームを作っていく必要性を痛感しています。現状チームはいい感じなのですが、人手が足りないんですよね…

6.留学したいけど…
英語の勉強をする時間がなさすぎてTOEFLの目標点数が遠すぎます。業務が忙しい中留学している諸先輩方、すごすぎます。

7.趣味
子供が産まれたこともあり、旅行に気軽にはいけないので、城巡りは3か月に一度というくらいのペースになっています。ゲーマーなのは相変わらずで、最近は戦国無双真田丸を一通りクリアしました。最初はコーエーさんトレンド乗っかりすぎ!と思いましたが、結構な良作でした。どろどろな史実を爽やかに書いているところ(茶々が側室になった事実が書かれていなかったり、茶々とねねの関係が爽やかだったり)とか、その割に夏の陣で味方が容赦なく死んでいくところのギャップとか、なかなかでした。この時間を英語の勉強にあてればいいはずなのですが、気分転換しないと死んじゃうという言い訳(ある程度真実)との戦いですね。

ということで、一定の規模以上の企業法務をやっている事務所の5年目アソあるあるな感じなのかもしれませんが、留学前から業務の過半数が中華圏になっているのが少し特殊ですかね。

おかげで、今年のゴールデンウィークは、中華圏が休みでないかつ月曜日は中華圏が祝日だったため、火曜日に中国関係のメールが多数入り、弁護士になって以降一番遊べないゴールデンウィーク状態です。

ところで、この一応匿名で続けているブログですが、今後もこういった形でたまーーーに更新しようと思っています。自分で自分に責任を持てるポジションになれば匿名はやめるかもしれません。


731986