行為無価値と結果無価値

うちの大学は結果無価値が大勢を占めているので、僕ももちろん結果無価値で刑法を理解しているのですが、もともとはなぜか行為無価値で勉強していました。その時読んでいたのがこれ。

刑法概説―総論

刑法概説―総論

★★★★☆
大学二年の終わりくらいに読んでましたが、今になって思えば無理がありました。難しい、というより読みにくいんですね。昨晩寝る前になんとなく引っ張り出して違法性のところを読んでみたんですが、今でこそ概念の理解などがあるためか読めるんですが、これを当時読んだところでそりゃ理解できないわなという感じでした。ちなみに、受験のためというなら読まないほうがよいかと思います。
結果無価値・行為無価値については、学生目線で言うなら後者は分かりにくいということなんですがw、少なくともどっちをとろうが同じような結論をとることが出来るので、確かにあまり議論する意味はないのかなという気はします。もちろん結論に至るまでの理解が大事と言う話なんでしょうがw
ただ、行為無価値論者が、というより大塚先生が結果無価値論者に対して提起する疑問というのが、結果無価値論に染め上げた自分の眼から見てもなかなか痛いところを衝いているなというのが実感でした。特に、「実体刑法の解釈論に訴訟法的な犯罪認定論を混交させるもの」である(344ページ註二)という批判は耳が痛いなといった感があります。そして、行為無価値論者でなくとも結果無価値に対して抱く方法論の「不自然さ」*1というのは、確かに否定できないところではあります。結果無価値ばかりやってたら慣れますがw
という訳で、やはり理論としては結果無価値に分はありますが、どっちが好きかといわれるとやはり行為無価値になりますね。とは言え、刑法は一人の先生の説を理解するだけでもいっぱいいっぱいなので、今のところ西田先生の本を頭に叩き込む作業を続けることにしようと思います。山口先生の本を読むだけでも混乱しそうなのにw

*1:もともとは行為者の内心的要素である「行使の目的」なども全て客観的な要素とするとか