南房総一泊二日の旅(ただしほとんど安房の旅)

先週末(4月17、18日)に行ってきました。おかげで次の週の予習がはちゃめちゃになったことは言うまでもないww公法訴訟システム死ぬかと思ったww

午後になってから起床、朝から行くつもりが、金曜日の疲れ(睡眠不足+一から四限まで休みなしの授業+その後の家庭教師+夜のゲームタイム)で死ぬほど寝てしまった…
午後二時くらいに東京発wまずは錦糸町までむかい、そこから外房線へ乗るために千葉へ。錦糸町で嫁と合流(次の日が嫁の誕生日というの今回の企画理由でした。しかし旅行を具体的に手配したのは向こうww)。千葉には15時くらいに到着。そこで長い外房線の旅に備え、コーヒーを買う。最近はルパンがおまけについてくるという理由だけでルーツばっかり飲んでいるw

そこから土気を過ぎるまではひたすら山なので、外の景色を見ることもなく、パソコンに取り込んでおいた公法訴訟システムの判例原本を読む作業を続けるww嫁も読書。こういう旅行をするカップルってなかなかいないだろうなーwたしか茂原か上総一ノ宮あたりで日が夕日っぽくなってきました。海に沈む夕日見たくね?!とかいう会話を旅行前にしていたのだが、二人ともよほどぼーっとしていたのか、東側に行ってしまったんでは海に沈む夕日は見えないことにそこで気づくというwww

とりあえず途中どっかで一回くらい降りるか、ということで、御宿という海岸が有名な駅で下車。御宿駅前は完全な田舎町でした。海岸まで一キロほどの道のりを歩きましたが、その頃あたりはだいぶ薄暗くなっていました。どう見ても出発が遅すぎたというお話。
海が近いという立地ゆえか、バブル時代の遺物と思われるような街並みに明らかに不釣り合いなでかいマンションがあったりしますが、今見ると残念ですね。サーファーたちがそろそろ潮時だということで帰り仕度をしているのを横目に、ひたすら砂浜へ。砂浜に入ったところにラクダと旅人の像があって、それが暗いせいで遠目大変不気味。夏場来れば自然なのかもしれないが、まだ肌寒い季節に来ると違和感しか感じません。
しかし太平洋の波というのは内海とちがって高いですね。長崎の湾や有明海、せいぜい玄界灘くらいしか見たことがない自分にとって、ハワイをのぞけばおそらく初めて見る太平洋だったんですね実は。夜で暗いというのもあっておどろおどろしく、薄暗い中、波の音風の音だけがひたすら響き続けているといった体でした。

適当にぼーっとした後、一時間半に一本の電車を乗り過ごしてはたまらないということで、なぜか住宅地の中を通り抜けて戻ることに。
いそいで戻ったはいいが、今度は逆に時間が余ったので、駅前のこじゃれたケーキ屋をのぞいてケーキを買った後、えらく立派な駅待合室で電車を待つ。あまりにも快適すぎて、一日ここで勉強できるわとか思ったりw内房線外房線とおして、相対的に田舎に当たると思われるようなところであるのに、駅施設(スイカ改札、待合室、トイレ)が偉く新しく、JR九州のぼろい田舎駅を知っていると不思議な気分になりました。

電車に乗って勝浦、天津などを経て安房鴨川へ。この沿線はついこの間通った時の記憶が新しい。19時過ぎに到着。さすがにこの地方の中心ということもあって、町の規模が大きかったです。高い建物はないけれど、面積が大きいというか。平野が少ない安房地方でこれほどの平野があれば町が大きくなるのは当然といえば当然なのかも。
とりあえず駅前で晩御飯でも…と思っていたところ、駅前に見事に何もないwコンビニで我慢か…と思ったが、コンビニすらない。嫁が探してみたところ、どうやら少し歩いたところにいくつか食べられるところがありそうだと言うので、そちらへ。ファミレスと居酒屋を足して二で割ったような(席と規模はファミレス、メニューは居酒屋的)でかい店があったのでそこに入る。
ここまできてケチるのもおかしいだろうということで、名産ぽいものを食べまくることにして、あさりご飯、鯨のたたき、そして地酒と一人二千円オーバーの夕食に。鯨のたたきなんて初めて、というか鯨なんて味の記憶がないくらい久しぶりに食べたがめちゃめちゃうまい。味は馬肉に近い感じだが、どちらも甲乙つけがたい美味さ。オーストラリアンが聴いたらブチ切れるかもしれないが、栄養価とか考えたら鯨を食べることは少なくとも人間至上主義の立場に立てば合理的なんじゃないかと思ったり。

隣で会社ご一行の飲み会みたいなのをやっていて、おねーちゃん(コンパニオン?)呼んで大いにもりあがっていたが、そんなのを気に掛けることないくらい夢中で食べ続け、満腹になったところで今日の宿の位置を確認するwwグーグルマップでみると歩いて行けそうな距離だったが、外が暗く、山道の可能性もあった上に、携帯アプリのグーグルマップが途中で馬鹿になるといったことがあったので、あきらめて駅前からタクシー。タクシーに乗る前に駅前で自動販売機の百円アイスを買ってしまうくらい歩き疲れていたというのもある。案の定結構距離があって、千円くらいで到着。
宿では二人とも淡々とお勉強wこっちは電源があるということで思う存分判例を読むwwwこれはひどい
翌日早く起きなければならないと言うのに三時くらいまで勉強して寝る。ちなみに日付が変わった時に誕生日おめでとうなんて言うほどイケメンではない。夜の二時になって初めて気づいたが相手は既に寝落ちしていたwww

次の日、朝八時くらいに起きる。
旅行先では、観光時間を稼ぐため早起きが基本になるのだが(大体観光地って朝八時から夕方五時なので早起きしないと時間がもったいない)、今回はうまくいかない。千葉という近場だからってのもあるかもしれない。三月末に長野行った時は、朝六時に起きたからなあw
しかし宿の部屋の窓からの景色が実にすばらしい。思わず「いらいらするくらい天気がいいな!」なんて訳のわからない発言をしてしまうほど。

起きてから露天風呂に入る、が温泉ではないwしかし空も空気もきれいで素晴らしい。

九時半の電車に乗るつもりが思いっきり間に合わず、次の電車を待つ間、宿最寄りの太海駅周辺を散策する。海沿いに小さな港があり、長崎の景色に似ている。サーファーや釣り人といった観光目的の人々がときどき見かけられる中で、地元の漁師さんたちが網を手入れしている。こういった風景はサーフィンには向かない長崎ではなかなかなかった。対岸に仁右衛門島という小島があり、名所らしいが、仁右衛門島という大きな看板が立っていて景色が台無しになっていた。まあしかし海がきれいだから、景色は抜群なのは言うまでもない。

そうそう、そういえば路上で急に腹痛に襲われ、仕方なくそこにあった旅館に飛び込んでトイレをお借りしましたw見た目がちょっと怪しい*1のは自覚していたので、礼を尽くして?トイレをお借りするw
そしてお礼を丁重にして帰りましたw

その辺を適当にぶらぶらした後、太海駅で10時半くらいの電車に乗り、千倉と館山という、安房の二つの中心地と思われる駅の中間にある田園地帯のど真ん中にある九重駅で11時頃下車。一見何もないこの駅だけれど、実は安房房総で一大勢力を誇った戦国大名である里見義尭が歴史のひのき舞台に登場するきっかけを作った稲村城があるんですね。里見義尭は安房里見氏庶流だったのですが、嫡流が本城としていたこの城で、(色々あって)義尭の父が誅殺され、里見氏の内紛がおこります。義尭は安房で勢力を持っていた正木氏と結んで嫡流を滅ぼし、里見氏をのっとり、そこから着々と勢力を拡大して、一時期は安房及び上総を支配するに至り、関東の雄である北条氏康後北条氏三代目)の宿敵となりました。里見氏は八犬伝以外で知られないマイナー大名ですが、その歴史にはなかなか興味深いものがありまして(その後、義尭の孫の代にも乗っ取り事件が起き、今度は正木氏と喧嘩したりしますw)、今回の旅行も自分の中では里見氏が支配した地域の旅という感じでした。

話がそれましたが、稲村城は、現地に案内板くらいあるだろうと思っていて、グーグルマップでの大体の位置しか把握してなかったところ、なんと、駅の名所案内にすら稲村城が載っていないというwww仕方なく大体の方角に向かい、線路沿いに西に進んだ後、城山踏切というところを南へ。城山!とか思いながら(城山という地名のところには大抵山城があります)田んぼの中の綺麗で大きな道を南へまっすぐ進むと、なんと「稲村城こちら」というお手製の看板が!そう、稲村城には保存する会という地元の会があるらしく、それらの人々がお城の保存管理にあたってくださっているそうなのです。この看板もその方々が作成されたようです。分かれ道ごとにある丁寧な看板に従っていくと、水の手口に到着!急に上がるテンションww
そこからいかにもな登り口を登っていき、まずは中の郭に到着。よくあることだがネギ畑になっていましたwwというのも、山城(城というよりも砦と思っていただいたほうがイメージに近いかと思います。)の郭(曲輪)は、山の中腹を削って平地にしたものなので、おそらく畑としては日当たりも良く、水もあるので最適ということだと思うんですね。ということで、山城の場合、マイナーなところは大抵畑にされますww
中の郭から尾根道を通り、主郭へ。ところどころに保存する会の方々が設置された看板があり、山城初心者の自分には大変わかりやすい。途中なぜか横穴墓などがあるが、それらを見つつ、虎口から主郭へ登る。主郭はなかなかの広さ。保存の会の方がたてた解説板がある。

主郭は西側が虎口であり、東側が搦め手?のような出入り口だったと思しき箇所があって、南側は堀切と土塁で高低差がついた崖。土塁はなかなかしっかりつくってありました。搦め手から出て(ちなみにここが急で、雨のせいでぬかるみとなっていたこともあって滑ってこけましたw)、そこから山の等高線にそって南へ。西に向かう堀切をとりあえず無視して南の行き止まりまで進む。行き止まりの箇所は、水の手を見張るための台があったのではないかと思われるようなちょっとした高台になっていた。そこからもどって先ほど無視した堀切から主郭の南側を回り、先ほどの尾根道と主郭の交わる位置に戻り、あとは元の道を戻る。本当は中の郭から南や西にあると思われる別の郭や追手を見ておきたかったが、実は嫁を山登りに付き合わせる気にはなれず先に館山に行ってもらっていたのでww、彼女の機嫌を損ねないためにも、次の電車までの一時間の間に見てしまわなければならずww、時間がなかったのですwえっ酷い?よく言われますww
一応城の見取り図的な何かを載せておきます。図の左側が北です。黒いラインは大体等高線で、左側の大きな丸が主郭、右側の大きな丸が中の郭です。青いラインは堀切や尾根道などの通路です。主郭の北側及び西側は断崖に近い急峻な崖で、主郭からは館山と千倉をつなぐ街道が見渡せるようです。というのは、樹木が茂っていてあまり見えなかったので想像する限りでということなのですが。いずれにせよ、安房最大の平野へつながる街道を睨む素晴らしい立地の城であるということは間違いありません。ここに城を作りたくなる気持ちはよくわかりましたw
あとそういえばなぜか主郭の南側の登り口に鳥居がありました。神社はどこに…?ちなみにいわゆるお城(近代城郭)には神社が置かれていることが多いようです。

ちなみに堀切ダイスキーな自分的に今回一番の堀切は、主郭東側の搦め手から見張り台へ向かう通路と、西側へつなぐ堀切との接続点。

自分がこけた搦め手もよかったですね。虎口はいまいちでした。
そこからダッシュで駅まで戻りましたが、このような戦国前期の山城がきれいに残っていることに地味に感動しました。もう一度行きたいお城ですね。

九重駅から電車に乗り、一駅で館山へ。そういえば九重駅は昔一億円が切符回収箱につっこまれていたとかいう事件があったそうです。駅の前には小さいロータリーがあり、その前にはシャッターの下りた売店、あとは警察官募集中という看板の置いてある、カーテンの下りた交番w、駅の西にちょっと歩くと大きな道に面してローソンがありました。

館山に12時頃到着。まずは昼ご飯をということで、駅西口出たところにある「ふたご」という定食屋さんに入る。ここでもケチらず、定食の中で一番いい値段の、安房の魚尽くし的な定食をいただく。とりあえず自分はなめろう(魚のたたきを細かく切り、ネギなどの薬味と混ぜたもの)とさんが焼き(たぶんそれをハンバーグのようにして焼いたもの)を食べるのも今回の旅の目的だったので、待っている間はひたすらそわそわしていたwそしてついに人生初なめろうあんこう)&さんが焼き。う ま す ぎ る。それ以外にも、フライやお刺身など、本当に魚尽くしの定食をいただき大変幸せな気分で店を出ました。値段も(東京感覚からすると)そう高くはなく、おかみさんと大将も親切でなかなかリーズナブル。お勧めのお店です。さらに言うと西口にはそれ以外にチェーン店しかありませんのでw、館山駅西口ならここに行きましょう。東口のほうには店はありますし、鯨の駅弁なども売っています。

そこから館山城へ。館山のあとまだ行きたいところがあったので、ここでも時間節約のため急ぐ。よって駅からお城までの3、4kmほどはタクシー。太平洋に面している気候だからなのか、この日は大変暖かく、日差しもなかなか強くて歩くには少々しんどいということもありました。
館山城は戦国末期に作られた近代城郭ですが、大東亜戦争中に高射砲部隊を本丸に置いていたらしく、本丸は大きく削られ、原型をとどめていません。しかし、遠くから見るとまっ平らな館山平野の中で、ぽこっと出ている丘なので、ここも港を抑えるための城を作るには最高の立地だったと言えるでしょう。また、江戸湾の入り口という交通の要所でもあることから、特に近代になってからはこの地の重要性というのは高まったものと思われます。だからこそ、戦国時代を生き残った外様大名の里見氏は、徳川将軍により難癖をつけられて大坂の陣前に取りつぶされてこの地は譜代に与えられ、大戦中は帝都を守るための部隊がここに置かれ、そして現代でも自衛隊基地がおかれているわけなのでしょう。

ということで、館山城に到着。なかなか急な坂道を登って本丸を目指す。途中で孔雀園があるのも市民公園となっているゆえか。
本丸到着。山城の本丸としては広すぎるように思われたので、確かにだいぶ削って平らにしたようです。復元天守が一基。遠くから見ると象徴としてはいいのだけれど、近くで見るとだいぶお粗末なのはまあ仕方のないことよくある話。しかし、本丸からの太平洋に面した「温暖湿潤」といった感じの南国的景色は本当に素晴らしく、景色に対する関心が基本的に薄い自分もしばらく見とれていました。北西の館山港は足元に見渡せ、南西に広がる海岸線も一望でき、北側には東や北へ向かう街道が見渡せる立地。本当に戦国末期まで城がなかったのかと思わされるような立地でした。
また、北側には安房の市街地から住宅街が一望できるのですが、安房は平野が少ないゆえかそれらが密集しており、館山市の人口はそう多くないにもかかわらず、感覚的には家屋が多く、すごく大きな市であるように見えました。とりあえず、今回の旅行で一番お気に入りの一枚を。

その後、そのまま駅に戻ればいいものを、城の南西部に戦国期の里見氏城跡の痕跡があるからとかいってそちらへ向かう。具体的には、八遺臣墓があるあたりです(ちなみにこの八遺臣が南総里見八犬伝の元ネタらしいです)。すると尾根道らしきものや、土塁らしきものがあらわれ、再び高まるテンション。この、土を削って土塁を作る里見氏の素朴な築城術、かなり好き。

館山城を満喫した後、駅へ。タクシーに乗るべきだったのだろうが、見当たらないうえ、バスは一時間に一本なかったため、仕方なく歩く。途中でコンビニによってお菓子や飲み物を買ったり、駅の近くで「苺やすっ!」とか言って苺を買ってみたり。そんなことをしながら、炎天下ながらも楽しく?歩き駅到着。改札前のベンチでしばし休憩し、電車に乗って今度は浜金谷へ。次なる目的地は鋸山。

到着したのは16時。実はここにはもともと15時に到着する予定だったのだけど、館山城が思っていたより館山駅より遠く、時間がかかって一時間ずれてしまったということなんですね。鋸山にのぼるロープーウェーの終電が17時だったためw、「じっくり見ると二日かかる」(by鋸山観光案内)らしい広大な鋸山を一時間で散策することになりましたww

駅前は売店が一軒あるくらいで特に何もないが、そこからは鋸山一体の山が見え、石切によって変形したのか、凄まじい山の形が見える。駅前から県道へ向かう道を歩いて行くと、海がすぐ近くに見えた。どうやらここは港町らしく、しかも東京湾フェリーという久里浜と金谷を結ぶ路線が就航しているそこそこな主要港らしい。とはいえ、漁港に毛が生えたような小さなしなびた港であることには変わりない。長崎によくある小さな漁港の横に、門司のフェリー港の一部がくっついたようなイメージ。県道沿いの西側には海が広がり、東側には内房線の車窓から見える、海岸と山の間に並ぶ民家と同じように密集する結構な数の民家がある。どうやら道を一番海側に作り、その内陸側に民家を作るというのがスタンダードらしい。県道沿いに歩いてロープーウェー乗り場へ向かう。

ロープーウェーはかなりの絶景を眼下にしつつ、数分の行程で山上に到着。残された時間は一時間弱。17時の終電を逃すと鋸山を歩いて下りなければならなくなるのでw、そこはミスれない。

鋸山でなぜか体力的に嫁と自分が逆転。自分はなんか息を切らしながら嫁についていく羽目に。とりあえず、名所を全部見る暇はないということで、地獄のぞきと羅漢は見ておきたいということで、目的地を絞って山に巡らされた参道?を歩き回る。鋸山はお城ではないからそう言いたいこともないのでw写真だけ。高所恐怖症の人は行ってはいけない。

百尺観音。よく作ったよなあ…作ったのは50年くらい前とはいえ。

地獄のぞき。実際に上にいって下をのぞいてみたが、これは落ちたら確実に地獄w

千五百羅漢像。


江戸時代に作られた、世界最多の羅漢像。明治初期の廃仏毀釈において頭部を破壊されたが、修繕が進められています。とはいえ、破壊されたままのものもまだまだ多く、見ていてなんとなく文化大革命で顔を削られた中国の寺社の仏の浮彫を思い出した。あれはどこの寺社だったろう*2。確か小学生の時にいった寺社だったはずだが…といった感じで、山の中の独特な空気と、人とほとんどすれ違わない環境のもとで、なんとなくタイムスリップしたような感覚を覚えました。
いずれにせよ、バーミヤンの大仏を破壊したタリバンの蛮行を批判するのは結構だけれども、歴史的にああいったことはよく行われていたということから目をそらすのはおかしいように思いました。

そしてこのあたりを時計と地図を睨みつつもしっかり廻った上で、なんとか無事ロープーウェーの終電に間に合う時間に乗り場へ帰還。これで一応今回の旅行日程終了、ということで、なんとなく安堵感を感じつつ、ロープーウェーで下っていく。日はまだ落ちず、周りはまだまだ明るく、絶景はそのまま。ちなみに、下の写真の手前に見える山は大きく削られているが、ここには里見氏の歴史に大きくかかわった金谷城という、安房と上総の国境を抑える城がありました。開発により削られてしまったということのよう…価値観はそれぞれなのでそれを批判しても意味がないが、歴史的遺物を高く評価する自分の価値観のもとでは、これはやはり大変悲しいこと。

なお、ここでは写真を載せませんでしたが、ロープーウェー乗り場の屋上にある展望台からは、浦和水道・三浦半島から館山にかけての風景が一望でき、古来から千里の目を欲窮する人の欲を十分に満たしてくれる展望でした。

ところで、鋸山に登る前に、東京湾フェリーというのがあるらしいということで、じゃあ乗って久里浜までいき、横須賀によってカレーを食べて帰ろうか、という話になりまして、帰りは横須賀経由ということになりました。フェリーには、日曜日を利用してツーリングを楽しんだと思われる、バイクで乗り込みを待っている人や、神奈川から安房に遊びに来ていたと思われる車が結構多く、安房は結構な観光地だということを思い出されました。シーパラダイスとかあるしね。子供ができたらシャチと遊びに行こうかなw

フェリーの出航まではしばらく時間があったので、近くのコンビニで買い物をしたあと、なぜか港のそばにあった回転寿司へ入って寿司をいくつかつまむwさすが港の傍だけあって東京と同じ値段なのにうまいw思い込みかもしれないけど、本当にうまく感じました。特に、安房名物?の鯨のたたきの寿司。本当に絶品。今回の旅で鯨肉好きになりました。

寿司を満喫した後フェリーへ。最初は甲板というか、船室の上の展望台でだらだらと、船乗り場で買った千葉産の牛乳をタネにした饅頭をつまんだりしていたが、出航して海に出ると冷たい風が強く吹き始め、しかも日が暮れ始めたので寒くなって船室へ。徐々に暮れていくことでより明るくなる目的地である久里浜港を眺めながらぼーっとテレビで報じられる舛添さんの動向がどうのこうのというニュースに耳を傾ける。

久里浜に着いたのは19時で、あたりはすっかり暮れていた。船員さんたちが作業に勤しむのを横目に、久里浜港へ下りたはいいが、二人とも久里浜港からどう行動すればいいか全く分かっておらず、とりあえず目の前に止まっていたバスに乗り込むという行き当たりばったりっぷり。バスの中でグーグルマップや交通ナビサイトを駆使し、とりあえず京急久里浜から横須賀へ向かうことにする。

横須賀へ着いたのは20時。このあたりから電車の中はずっと寝ていたので、途中の記憶はない。横須賀についたらカレー屋くらいいくらでもあるだろうと思いきや、まったくないw仕方なくここでもグーグル先生にお世話になり、適当なお店へ向かう。とりあえず駅から大通りを(たぶん)北へ向かうが、横須賀はさすが基地の街、なんとなく佐世保と似ているところがある。軍属の家族などが多いからだろうか、白人や黒人が多い。また、目指したカレー屋が大通りから横に入ったところにあったのだが、その横通りがバーなどがあったためか、軍服姿のいかつい黒人のお兄ちゃんが何人もいて、少々びびりながら通ったり。あとは、大通りにこれも米国人が多いからか、ヒップホップショップがあって、ヘッズの自分としては地味に感動。あんまり入りたくないけどww渋谷のヒップホップショップでも入りたくないくらいだからなあ…

カレーはシンプルだったがおいしかったので、お店の写真をかかげておきますw帝国海軍のテイストをコンセプトにしたお店だったようで、船長室なんて名前の付いた予約専用の部屋があったりしてなかなか楽しかったw

横須賀ではカレーを食べたらあとはもう帰るのみということになったけれど、ここにはもう一度来てみたくなった。基地の街だから独特な雰囲気空気があるし、米軍基地や自衛隊基地というのも見ておきたい。また、東京湾の入り口、すなわち首都の喉元に他国の軍隊があるということの意味も、それらの基地を現実に見ることで実感できるだろうし。

横須賀を出て東京に帰りついたのは確か22時。
横須賀駅では、反対側のホーム(久里浜方面)に防衛大学校の制服と思われる服装の学生さんたちが大量にいたので、おそらく門限の関係でこれから皆さん帰寮ということなのだろう。途中で先輩に締められている(ように見えた)学生たちを見かけたりもしましたが、やはり大変ですね。しかし自分の出身高校(自衛隊予備学校だとか、日体大予備学校などと言われていましたw)を思い出し、なんか変に懐かしい気分になりましたw
東京へ帰る電車の中については、二人とも熟睡していてまったく記憶にありませんwそれもそのはず、携帯についている万歩計によると、この日の歩数は三万歩(25kmくらい)を超えていました。

*1:旅行先では大抵パーカーにぼろなジーンズ

*2:西安白馬寺だったのではないかと思っています