両毛一泊二日の旅

朝池袋発→前橋→箕輪城→高崎→山名城、根小屋城→太田泊
朝太田金山城→足利→銀座

朝、七時に家を出て、池袋から高崎線に乗り込む。高崎線では座れたものの、意外と車内は混雑しており、しかもほとんどの人が高崎まで乗っていた。おそらくGWの帰省だった人がほとんどだったのだろう。埼玉県内では、少なくともさいたま以降人はほとんどおりなかった気がする。慣れない早起きで睡眠不足だったので、高崎までは寝ていようかと思ったが、熊谷を過ぎたあたりからテンションあがってきて、地図帳を開いて利根川渡ったりとか、倉賀野城があったあたりとかを通るごとにニヤニヤしていた。

高崎で下車。たぶん通過を除けば初群馬。両毛線に乗り換えて前橋へ。群馬県内では高崎と前橋はライバル関係にあると、同じクラスに高崎高校と前橋高校が一人づついてその両方から聞いていたが、交通の便という点では確実に高崎が上だろう。特に新幹線を使えばだいぶ便利だろう。
両毛線内には一番後ろの車両に乗ったが、車内に郵便を運んでいる鉄道職員がいた。そんなの初めて見たんだが、何だったんだろうか。あと、この日は特別列車が通るからなのか、前橋までの通過駅や、途中の線路沿いに、カメラを構えた鉄ちゃんと思しき人々がたくさんいらっしゃった。マニアとかオタクというとどうしても秋葉系のイメージが強いが、鉄ちゃんはなんというか、アウトドアな格好をしたちょっとかっこいいおじさんが多いんだね。

前橋についたのは十時前。嫁の妹さんが前橋にお住まいなので、今回は(車を持っている)彼女に大変お世話になることになる。ということで十時過ぎに嫁と妹さんに合流。とりあえず最初の目的地である箕輪城に向かう。

箕輪城は、戦国時代上野の豪族であり、関東管領を務めた山内上杉氏の傘下にあった長野氏の居城。在原業平の末裔と言われる長野氏は、関東管領上杉氏が、小田原の北条氏の圧力に耐えかねて越後の長尾氏(この後長尾氏当主の景虎は上杉氏を継ぎ、上杉政虎(謙信)が誕生することになる)を頼って逃れた後も、上杉氏の支援を受け、上杉氏の敵である甲斐の武田氏と戦い続けた。この間、長野氏の当主であった長野業政は、名君と称され、武田信玄をして、彼のいる間は上野に進攻できないといわしめた。しかし、彼の死後、後を継いだ業盛は若く、武田の調略・侵攻により箕輪城周りの支城は陥落、箕輪城も最後には陥落した。