伊勢神宮・南紀二泊三日の旅(2009年9月28日〜10月1日)

思い返してみても素晴らしい旅行だったので振り返ってみる。

1日の朝六時に池袋につき、丸ノ内線に乗り込むと、いつもの日常が待っていた。
少し足を広めに開け、隣に人が来られないような雰囲気を出す疲れたサラリーマン。都会では他人はどちらかというと敵だ。三日間の田舎での暮らしは、よほどインパクトのあったものだったらしく、たったそれだけの時間で、都会に違和感を感じるくらい非日常になじんでいたようだ。

都会人にとって田舎の暮らしがインパクトがあるのは、別に田舎が田舎だからという理由ではない。単に都会からするとそこが非日常であるということゆえだ。
この三日間はだらだらした夏休み一カ月分にまさる外的刺激を得、色々と考えることができたが、それは非日常にいることで、頭が新たな刺激に反応し、すさまじく回転をしたからゆえにすぎない。故郷が福岡県の元炭鉱である自分に言わせれば、相対的には都会の方が刺激は多い。

さて、それはともかく、本当に三日間が夢のように思える。そして、その夢の中で見た夢は本当に豊かだった。貴重な体験としては、霊感、あとは死の恐怖に直面といったところか。おそらく三日で十万弱の金を使ったがまったく見合ったものだ。

28日午後東京発

15時過ぎ名古屋着。

駅地下デパなどで天むすや串カツを買い込む。ちょっとだけ名古屋をぶらぶらする

16時過ぎ名古屋発、近鉄線賢島行き。車内で天むすと串カツを食べるが、天むすうますぎ。

四日市辺りから雨が降り始める

17時半、伊勢市着。参道を抜けて外宮へ。その頃、天気は土砂降り。外宮が参道から見えた時、霊感ゼロの自分にしてみても、そこは本当に神秘的なエリアと見受けられた。

鳥居から内は神の世界だと言うが、まさにそのような印象。悪天候と相まって、そういう雰囲気が増していたということもあったとは思うが…橋を渡り、鳥居をくぐり、雨で視界の悪い真っ暗な神界を歩く。
外に出た時、人界に戻ってきたような感覚に、外の世界の明るさに接したような感覚に襲われた。訪問から一年ほどたったが今もなおあの感覚は忘れられない。

18時過ぎ、とてもではないが歩いて宿に行けるような天気でも距離でもなく、バスを待っていられるような状態でもなかったので、タクシーを拾い宿に向かう。観光でタクシーに乗ったときの鉄則は、運ちゃんと話す。今回もこれを実践したが、この運ちゃんはかなり博学で、神宮やそれ以外の神社についてあれこれ教えてくれた。伊勢神宮といっても、内宮、外宮以外に数多くの神社が所在しているとか、お宮の建物の作りも神様が男か女かによって違うだとか。
泊まったのは神宮会館。新しい建物ではなかったが、清潔だしサービスもよかった。崇神会という財団法人が運営しているところらしく、館内には伊勢神宮、そして天皇家にかかわる展示が多くあった。写真提供はもちろん産経新聞
夜は家にない(笑)テレビを見て過ごす。ニュースゼロでキャスターがアフマディネジャドイラン大統領にインタビューして興奮しているのを見ながらイラっとするw


29日
6時起床。会館のボランティアサービスで、内宮を案内するツアーがあるので、それに参加。
7時前に内宮到着。五十鈴川を渡るところで内宮の森が見えるのだが、何とも神々しい。神々しいとはこういうことか、と思わされるようなところなのだ。ここで写真を撮ったはずがなぜか写っていなかった。
橋を渡ると大きな参道。周りは山ばかりで、大自然の真っただ中。「日本の原風景」のイメージはまさにこのような雰囲気であろう。

五十鈴川を橋から。

五十鈴川を利用した手洗場

とにかく、全体を通して恐れ多く、写真をほとんど撮っていない。特に、手洗場以降、森の中を通り、本宮にいたるのだが、いたるところに神様がいるような感覚だった。
8時過ぎに内宮を出て、今度は仲通りを通って会館へ戻る。

会館からバスで伊勢市駅に戻り、電車を待つ間、駅前の喫茶店(といってもいまどきの「カフェ」ではなく、メロンソーダを飲むような喫茶店である)で、伊勢名物の伊勢うどんと、松坂牛の牛丼をいただく。伊勢うどんは、スープというよりタレが少しかかっていて、それにうどんを絡めて食べるもの。うどんというが、讃岐とかのようにつるりとしている食感ではなく、むしろ餅に近い。ただ粘り気があるというわけでもない。タレは見た目からすると味が濃そうだったが、意外とあっさりしていた。とりあえずうまい。
松坂牛の方は、普通にいい肉の牛丼といった感じで、吉野家ばかり通っている自分は、ああそういえばこれが牛丼だよなあなんてわけのわからんことばかりかんがえていた。

10時頃、伊勢市発。紀伊勝浦へ。赤福を買って食べることは忘れないw多気で特急ワイドビューに乗り換え。駅前にデイリーヤマザキがあって、田舎のコンビニはやはりこれだな!とw

14時前、紀伊勝浦到着。途中から雨がぽつぽつ降っており、駅前でも若干の雨。途中、所々で海沿いを走ったが、噂のリアス式海岸を意識することはあまりなかった。とりあえずホームに「県の魚」としてマグロの模型が置いてあったのに驚いた。県の花とかだけじゃなくて、県の魚なんてあるんだな…

そこから駅前発のバスに乗り、那智大社へ向かう。ここでも地元名物らしいサンマの押し寿司を買って車内でいただく。たべてばっかりだな…そこの弁当屋のおばちゃんとだらだらしゃべって、東京から来ましたとかそういう話をしていたら、お茶をサービスしてくれた。こういうのがやっぱいいよなあ…東京では旅行者は下手したら異物(自分の場合は不審者w)として見られてしまうが、地方はそうではない。

14時半過ぎ、バスで大門坂到着。

ここから歩いていわゆる熊野古道をのぼって那智大社へ向かう。距離にして1.5kmほどだが、何しろ坂道の石段であり、雨もかなり降っていたので相当難儀することになる。特に自分は両足ともねんざ癖があるので、滑ったら最後。周りに人がいないし、携帯も圏外なので歩けなくなったら冗談抜きで死んでもおかしくない。下りでなかったのが唯一の救いだが、登りきった時には息は切れ、シャツは汗と雨でぐしょぐしょだった。 しかし、こここそが熊野の象徴であり、この汗こそが熊野に行く意味である訳で、伊勢神宮に続き、神に囲まれる三十分余りであった。

古道を包む森林の入口にある夫婦杉

古道。このような薄暗いが清涼な空気に包まれた空間がひたすら続く

雨がかなり降っていたことが傘の水滴からわかる

15時半前、ようやく古道を登り終え、那智山のお土産館へ到着。ここで少々休憩してから、那智大社へまずは向かう。なお、有名な那智の滝飛瀧神社のご神体であって、那智大社とは別の神社である。
ここでもなかなか急な石段が続く。全然関係ないが途中で郵便局を見かけ、さすがユニバーサルサービス!とか思ったりもした。

そして、ついに石段の最後の角を曲がり、上を眺めた途端、そこにあった赤い二の鳥居と、それにより切り取られた鳥居の中の景色と、その外との景色とのコントラストが僕を捉えた。というより、僕が捉えられ、一瞬身体が竦んだ。一呼吸して、そこを登り、鳥居をくぐった。
この景色も、ぐにゃっとした色として、僕の記憶に焼き付いている。

しかしそんな空気も、数分後には本社前の巫女さんがギャルメイクという事実によってぶちこわしにされたのだった…とはいえ、あの空気は忘れられない。
那智大社の本宮はかなりの高台で、そこからは山々が一望できる。
雨のせいで見晴らしはあまりよくないが、霧が出てこれまた神秘的なのである。

那智大社にお参りし、青岸渡寺を参観して、寺の敷地内から、那智の滝を見る。これが有名な滝と寺の三重塔である。この景色を見たいがためにこの旅行に出たのだった。

そこから歩きで飛瀧神社に向かい、神社へ参拝。入口から参道を通り奥に向かうにつれ、徐々に多く感じられる滝の存在感。そして、木立が切れて視界が開ける瞬間。


この飛瀧神社は、滝自体がご神体であり、拝殿も何もない。また、滝をより近くで拝むための滝見台があり、そこから見る滝の迫力はかなりのものがある。この日は雨のためか水量も写真で見ていたのより多く、圧倒的であった。そして、華厳の滝のような人を惑わすような魅力ではなく、清々しい、かといって無骨なわけでもなく、さわやかな魅力を持っているような印象。

滝を拝んだ後、気づけば人がほとんどいなくなった那智山から、終バスで山を下り、更に那智から地元のバスで新宮に向かう。
那智にて

那智からしばらくは山の隣が海、という土地が続く。このように陸上運送に頼りにくい地形では、古来より水軍が活躍するわけだ。
途中から地元の中学生や高校生が乗ってきてバスはかなり混雑。新宮に入る手間の紀伊佐野というところは、県道沿いのショッピングセンターのような大型施設が集中しており、そこではデート終わりの高校生カップルなども乗ってきた。こういうのはどこの田舎でも一緒で、たいてい田舎で高校生がデートするのは「イオンモール」のような大型複合施設と相場が決まっている。

新宮駅前に着いたのは18時過ぎ。駅前に行けば何か食堂があるだろうと思いきや、ほとんど店はなく、寿司屋もほとんど品切れ。コンビニすらないありさまなので、仕方なく大阪のチェーンらしい大吉とかいう飲み屋で夕食。飲み物はもちろんウーロン茶。その店は二十代後半くらいの若夫婦がやっているお店で、東京から来ていることやらを話して結構盛り上がった。子ども二人が店の中にいて遊んでいるという結構自由なお店だったが、この子供嫌いの自分が子供と仲良くなるというミラクル。帰り際には子供がついてきて困ったw

奥さんの話だと、手伝いがほしいのだがバイトが見つからず、仕方なく自分が夜も手伝っているのだとのこと。要するに過疎で居酒屋でバイトするような年齢層の人間がいないということなのだろう。確かに新宮駅前の寂れ具合はかなりのものである。一応南紀では中心都市のはずなのだが…

昼間の新宮駅

仕方なく、関西で展開しているらしい居酒屋チェーン店で夕食。若い店長と奥さんと適当にだべりつつ、気前よく食べる。しかし、この夫婦、見ているとかなり面白い。食べながら仕事ぶりを見たり、子供とのやりとりなどを見ていたのだが、どうやらとても真面目な人柄のようだ。確かにこういう仕事をしていると、なかなか子供の面倒は見られないよなあとも思った。しかし彼らも決して楽ではない仕事に精を出しているのであって、それでいて水商売というのは(田舎では)とかく職業差別の対象になりがち。やはりステレオタイプというのは一度は疑ってみなければなあとの思いを強くする。

晩御飯を終え(とりあえずめちゃめちゃ食べたのに三千円行かなかったw)、本日の宿である熊野荘まで歩く。商店街のような通を十分くらい歩いたが、田舎の夜ははやいということもあって、やっていた店は24時間営業でないコンビニのみ。途中司法書士事務所があって、きっとここも司法過疎エリアなのだろうと勝手に思ったり。バスの通り道で見かけた裁判所は立派だったが、それもまた司法らしい。

それはともかく、宿までの道の間で唯一営業していた店で次の日の朝ご飯と水を買い込み、宿に到着。きっとおんぼろだろうと思っていたらこれがどうして。女将がきっちりと着物を着ている立派な宿だった。食事に定評があるらしく(と女将が自分で言っていたw)、その日もおじさま方が宴会をしていた。
玄関。なかなか立派。ちなみに上に貼ってあるのは熊野神社の護符である

部屋に行ってみると、どうやらここは宿泊施設が本業ではないようだということがわかったwとりあえず部屋についている鍵は玩具のようなものだし、風呂トイレは従業員と共用。まあ別にこちらは男一人なので寝ることさえできれば問題はないのだが、懐の財布に大金が入っていることだけが心配だった。
この日は日付が変わる前に寝る。夜中部屋の中にいたらしい蚊に刺されまくってかゆくて目が覚めたこと以外は熟睡できた。

30日
7時過ぎ、起床。天気は悪くないが空気は湿っぽい。そういえば小学校の時に、このあたりは日本で一番雨が降る地域だということを習ったのを思い出す*1
さっさと準備をして、宿を八時過ぎに出発。女将さんと少々おしゃべりし、玄関前で写真を撮ってもらう。自分の写真を撮ることがめったにない自分が、一人で写真を撮ってもらった数少ない一枚だが、個人特定を避けるため載せない(笑)
女将さんにお礼を言って、今度新宮に来たらまたお願いしますとかそういった挨拶を交わした後、すぐ近くの熊野速玉大社へ向かう。この神社は、昨日の熊野那智大社、そして熊野本宮大社と共に、熊野三山に含まれる神社である。

8時過ぎに旅館を出て少々歩き、どこだろうと思う間もなくして到着。赤色が目にも鮮やかな神社だが、民家の間に違和感なくあったのが少々驚きだった。朝早いわけでもないが、平日なので人も全然おらず、閑静な境内を参拝する。天皇をはじめ、皇族が神社を訪問していたことを記録した石碑などがあるのも熊野らしい。そして、これはここに限ったことではないが、境内にたくさんの神がまつられ、それゆえ複数の社殿がある。また、多くの国宝が納められている神宝館というのもあったが、これは開館時間が遅かったため断念し、8時半過ぎには神社をあとにして、新宮城址に向かった。
速玉大社の鳥居。民家の間にふつうに立っている

速玉大社。赤と白、黒の色使いが素晴らしい。

新宮の町並み。二枚目の先にみえる橋は、熊野川にかかる鉄橋で、渡ると三重県である。

新宮城址は、新宮駅北側、熊野川河口に面した小高い丘の上にある。城入口に着いたのは九時前。バスの時間などを踏まえて、宿を速玉大社の近くに取るなど工夫した甲斐あって、順調な行程である。

新宮城址は、大手門の辺りは民家となっているらしく、南側の門から入る。しかし、山ばかりの熊野においておそらく最も広い平地の一つであり、熊野川に面するという交通の便の良さをももったこの新宮一帯をおさえるには都合のいい位置にある丘である。石垣には草が生しているが、近世城郭であるため、しっかりと保存されており、水路を抑えるという目的を果たすためか、眺望も大変素晴らしい。新宮南部の山からすぐ海に続く景色、そして川の流れとそれにかかる鉄橋、その裏に控える山々など、しばらく見ていてもまったく飽きが来ない。更には、この日の湿っぽい天気により眺めは全体的に霞がかり、これまたいい雰囲気である。この、草が生し、所々崩落した状態と、景色という組み合わせは大変素晴らしいもの。なんか新宮市天守を再建するとかいう話が出ているらしいが、この状態を維持する為にも、採算的な意味でもやめた方がよいと思う*2



太平洋

しかしなかなか立派な石垣である

この旅行でのベストショット。上の石台から撮った熊野川

立ち入ってよいのか自信がなくなるような崩落ぶりではある…

城を十分堪能した後、駅に向かうが、予想以上に時間が余ったので、途中で大きなショッピングセンターによってみるものの、まだまだ時間はある。ってなもんで、駅の東側に在り、昨晩閉まっていて入れなかった徐福公園というものにいってみた。
なにやら、徐福伝説に基づき、十五年くらい前に作られた公園らしい。墓自体は割と古く、江戸時代のものらしいが、公園の作りは新しく、チープな感じで正直微妙だった。しかし、その墓の前では中国人がえらく丁重に墓を拝み、なにやらぶつぶつやっていて、信心薄いように思っていた中国人にもこういった人がいるのかとか、中国では徐福は有名なのかとかそういったことを思わされた。或いは南方人は自分が割と知っている北方人と違うんだろうか。

あと数十分ということだったので、バスのりばで待っていると、おばあちゃんに話しかけられた。新宮も昔木材が良かったころは景気がよく、そのころ駅前は今と違って人が山のようにいたもんだとか。徐福公園について話を振ると、あれは市長主導で作ったもので、中国人の観光客狙いなんだとか話してくれたが、その語調からは、中国人に対する異物感のようなものが感じ取れた。

10時半頃、バスに乗って熊野本宮大社へ向かう。バスは熊野川に沿った国道を一時間ほど進む。熊野川はゆったりと山の間を流れ、なかなかの景色が続くのだが、正直素晴らしすぎる景色を見すぎて、もはや刺激が足りないような感覚すらある。よって疲れをいやすためにも熟睡。

11時半過ぎ、熊野本宮大社到着。
バス停から立派な道を挟んで反対側に、無駄にきれいな熊野本宮館とかいう真新しい建物が。中には入らなかったのでなんの建物かよくわからないが、おそらく観光案内所とか、本宮の歴史についての展示とかがあったのだと思う。とにかく、時間制限がシビアで、二時間余りでこの辺りをめぐる必要があったので急いでいたという話。
周りの観光客と思しき人の流れ、といっても平日の昼間なので数人だが*3、にのっていくと、小さなロータリーのような広場を前にして、本宮の鳥居があった。木でできた風格のある鳥居。なんというか、素朴で素晴らしいというか。鳥居に切り取られる、鳥居の向こうの深い木立がまたその風格を増している。自然に礼をして鳥居をくぐり、木立の中の石段をのぼっていく。木立の終わりに見える日の差し込む空間を目指して。
石段を登りきった空間にあるのが、熊野本宮大社の社殿である。社殿の門がまた立派。横のスローガン的な何かは余計だが。自分はこういう歴史のない作為はどうも嫌いらしい。それが百年二百年続けば歴史になるということは理解しているのだが…自分が直観的に感じる違和感の根本的な原因は何なのだろうか。
敷地内には、帝国時代の国家神道の名残もある。

門をはいってから、社殿自体を写す気には到底なれなかったので、目にその絵を焼き付ける*4伊勢神宮と同様の、見慣れない古式な建築。周囲の自然と馴染んで、存在が自然と化しているような。何というか、大変落ち着く環境である。その根本は、今まで積み重ねられてきた、この環境を守ろうという人間の意志や、神に対する畏敬の念であろうか。ずっとここにいたい思いをはねのけ、いったん門から出るが、なんとなく去りがたく、もう一度入ってその空気を満喫する。そうしていると、ツアー客が入ってきて、宮司さんが神社の解説を始めたので、それを素知らぬ顔をして聴く。なかなかトークの上手な方で、ツアー客の中ではたびたび爆笑が巻き起こっていた。
時間も気になってきたので、そこで牛王神符やヤタガラスの木彫りを買ってから、石段を下る。この神符、古来より約束をする際の証文として使われたもので、戦国時代、大名が家臣に誓紙を差し出させるときなどに用いられている*5。石段を下りながら、名残惜しく、たびたび後ろを振り返る。

次は、旧社地である大斎原へ。現在の社殿は、明治時代に洪水によって旧社殿が損壊された後、移されたものであって、元々はもっと下の平野部にあったもの。そこを見に行こうという話。
本宮の石段を降り切ったところの案内板を見て、民家の横の細い道を通り、右折して農道に入ったところで、やたらとでかい鳥居が目に入った。近づけば近づくほど増す違和感。どう考えても本宮の社殿や鳥居と建築の根本にある思想が異なる。周りの景色にもなじんでいないし、和むどころかむしろ圧倒される。なんだこりゃと思って近くで見てみたところ、どうやら最近作られたものらしい。

*1:正確には尾鷲市だが

*2:ただし、あとで運ちゃんに聞いた話では、そういう話はあったが財政難で無理になったんだとか

*3:そういえば、伊勢神宮内宮の早朝参拝で一緒で、伊勢神宮を離れる電車も同じだった方が、奇遇にもここでも一緒だった。どうやら同じルートでここまでたどり着いたようである

*4:そもそも写真撮影は禁止

*5:そんなものを出したところで裏切るときは裏切るのだが…