一法科大学院生として、司法修習の給費制についてコメントしてみる(貸与制の是非よりよほど深刻な問題があるだろう、と)

先に言っておくと、政治的モチベーションからすると、金をもらえるに越したことはないので、もちろん貸与じゃなくて給付にしてほしいことは言うまでもない。署名活動に協力して署名もした。しかしそれで終わりじゃ芸もないし、そこだけに拘ることに意味があるのかという疑問は個人的に前々から持っていたので、ちょっとコメントしてみる。


この議論は、やや、給費制か貸与制かという、二者択一のような形で展開されているような印象を受けます。

しかし、議論の前提として、司法修習生が受ける給与が何の対価なのかということを考える必要があるでしょう。現在の新司法試験合格者が修習に行くと、10ヶ月の実務修習、2ヶ月の集合修習を受けます。また、修習生は、修習専念義務を負い、アルバイトを禁止されます。
ここで思うのは、修習生の受ける給与は、これらの労働としての対価という要素はないのだろうか、ということです*1。確かに、一般的な印象としては、修習は国の金で勉強させてもらってるんだろう、という感じでしょうが、修習には専念義務があって他の仕事ができないこと、実際役に立っているかどうかはともかく、実務の現場で教育目的での労働をしていることからすれば、労働としての要素がゼロとは言えないだろうと思います。そうすると、検討すべきは、(それがどれほどの割合になるかはともかく、)労働以外に対する対価を与えるべきかという議論になろうと思います。逆に言うと、不自然な結論かもしれませんが、一部は給付としたうえで、残りを貸与で補うというのが、労働の対価と言う要素を考えると妥当ではないかということです。ということで、検討すべきは労働の対価とは言い得ない部分について給付と貸与の何れが妥当であろうかということになろうかと思います。

では、各立場の根拠についてみます。
給費制維持を求めている日弁連の主張の根拠を要約すると、公益を実現する法律家になる人が減ってしまうということになるようです*2。これは、現在法律家になるために卒業する必要がある法科大学院に通う学生は、平均300万円余の借金(奨学金)を負うとされており、それに加えて貸与制で負う300万余の借金を加えると、そのリスクの大きさから、法律家になる学生が減ってしまう、ということです。そして、法律家は、国民の負担によりその資格を与えられていることで、公共心と使命感を求められるようになる、とされています*3

一方、給費制に反対しているのは、マスコミの多く*4と、最高裁のようです。ただし、最高裁の立場は言うまでもなく明らかなものではなく、どちらかというと、法施行直前のこの時期になって言うなよ…というようなところでしょうか。いずれにせよ、現実問題として、以前に比べて増加している修習生に給料を払う余裕はないということ、そして、修習生の多くが修習後に弁護士になる*5が、弁護士が必ずしも国民に直接的に貢献しているわけではない、ということが反対する見解の根拠のようです。

まず、日弁連の主張を読んでその通りだと思った方は、おそらく法律の勉強のしすぎで利害人になっているのではないかと思います。普通の感覚だと、この主張には納得しがたいでしょう。最近お話する機会があった某衆議院議員の方も、通常の感覚からするとそんな主張は理解できないとおっしゃっていましたし、実際、公務員の留学とは違って、ほとんどが弁護士になり、その仕事の多くが公益に直接的に資するようには見えないとなると、一般的にはそんな修習生になぜ税金を投下しなければならんのだということになろうかと思います。というか、上の日弁連の主張の後者とか説得力が全くないんですけどね。日弁連の伝統的な「弁護士に余裕がないと社会的弱者の救済といった仕事をしなくなる」といった主張の延長線上にあるんでしょうが。
とはいえ、弁護士が公益に資するようなことをしていないと言うつもりは毛頭ありません。いわゆる人権派弁護士や、国選弁護制度等が存在することで、社会のバランスが取れていることは否定できませんので。

さて、実際ロー生はどれくらいの負担を負っているのかということですが、これは人により様々です。平均値は上のように出ていますが、個人的な印象として、東大では奨学金に大幅に依存している人と、全くとっていないか小遣いのためくらいでとっているかといった人に二分されているような気がします。では、ローを卒業して修習に入るまで、いくらかかるんでしょうか。ちょっと試算してみます。

地方出身者が東京の法科大学院に二年通うと…
学費:170万円(国立)・300万から400万円(私立)
生活費:月15万*6+α(教材費等雑費)。二年で400万円
卒業後修習までの八ヶ月間の生活費+引っ越し代:150万円
合計:720万円(国立)・850万から950万円(私立)
となります。

バイトで月8万稼いでも*7、二年で200万稼げないので、全部自分で支払おうとすると、国立だと550万円ほど、私立だと700から800万円ほど借金することになろうかと思います。更に、場合によると、これに学部時代の奨学金も積まれることになります。
自分の場合、幸い法科大学院と学部の学費は親が負担してくれていたことと、学部時代から今に至るまでそれなりに家庭教師をしているので、法科大学院と学部の借金を合わせると、500万円ほどということになりそうですが、現時点で来年の生活費が足りないので、それでもなお金策に励んでいるところです。

さて、自分の懐具合をさらしたところで、これに更に300万円上乗せされたところでどれだけ法律家志望者が減るのか、という話です。

結論から言うと、減らないでしょう、と。
というより、正確には既に法律家志望者は*8をきちんと計算して法律家になるかどうかを検討するような人であれば、それが大して影響がないことを理解して法律家の道を諦めるでしょうし、そこを冷静に検討しないか、家に余裕がある人であれば、そのことをたいして考慮しないでしょう。
だいたい、本当に法律家になりたいとか、法律家としてやっていける自信があれば、貸与制か給与制かというくらいで動機を変えることはないでしょう。300万円上乗せされると言っても、無利子なうえ、修習後6年目から、最大月2万5千円の返済となるだけです。これに上の、他の奨学金が加わっても、最大で合計月7万円くらいでしょうか。仕事をしていれば何とか返せる額だと思います。そもそも、いくら金利が低い時代とはいえ、無利子で金貸してくれるとこなんてなかなかないんですから、そういう意味では修習生の方が得をしているだろうという話でしょう。

そもそも、経済的に厳しいことで良質な人間が法律家を志望しなくなる、というのであれば、貸与制か給費制かという問題よりも優先して解決または対処すべき問題は山のようにあると思われます。もちろん、日弁連の政治力低下のため、他で戦えなくなって仕方なくこの問題で戦っているというのはあるかもしれませんが。

まず、法科大学院の学費の高さです。私は東大ローの保険として中央ローの試験にパスしていましたが、仮に中央に入学するなら年間200万円の学費が必要となるため、父親が家の処分の検討まで始めるくらいでしたが、それはともかく、この学費を奨学金で払うにせよ、しばらく社会人やって貯金してなんとかするにせよ、実家等の支援が得られないと、学部よりもはるかに高いこの費用を何とかするのはかなり困難です。
とはいえ、実は私立のローでは、学費の全部や一部免除というのが行われているため、その辺はある程度深刻さが緩和されているのですが、現在いわゆる「下位ロー」はどこも財政が火の車と言われており、しかも行政側のロー潰しが始まると、一層その傾向は強まると思われます。そうすると、免除もままならなくなり、この問題の深刻さは増すことになるでしょう。

しかし、何よりも一番の問題は、司法修習後の就職難の問題です。大体、上に書いたとおり、奨学金をだいぶ借りたとしても、従来の弁護士くらいの収入が確保されるのであればもちろん、ふつうの企業*9のサラリーマンくらいの収入があれば何とかギリギリ返せる額でしょう。しかし、これだけの費用を投下したところで、就職ができないとなると、修習生は最速27歳な訳ですから、27歳・法曹資格を取得しているが無職では、多重債務者として、法テラスに行くというこれ以上ない皮肉な状況に陥りかねません。特に最近、さまざまな新聞や雑誌で特集されているように、本年六月末の新63期司法修習生の就職内定率は57%と、従来に比べて低下しており、上の奨学金どうのよりも、こちらのほうがよほど大問題です。そもそも、奨学金を借りて学部や院を卒業すると言うのは別にローに限った事じゃない訳で、修習の給費制を検討するに際して、その負担の重さを考えて議論するのは、法科大学院制度が不要な制度であるという前提を取らない限りおかしな話です。むしろ、それだけの投資をしても、将来それなりの収入と、やりがいのある仕事ができれば、少なくとも好き好んで法科大学院に進学した人間は文句は言わないように思います。

ですから、結局最大の問題は、需要に合わない供給をする制度を作ってしまったことに集約されるだろうということになろうかと思います。それにブレーキをかけることもできなかった日弁連が、今更この貸与制云々で足掻いているという印象を持っている自分としてはそれを冷ややかな目で見てしまいます。

相変わらずありきたりですが、ここでの結論は、法律家志望者が減っている最大の理由は、将来の就職に対する漠とした不安であって、それを解決しないと、法律家志望者は絶対に増えないということです。そこを無視して、この制度を放置していても、法律家の社会で果たしている役割は、適正人数によって果たされる*10でしょうが、それに入れなかった法曹資格を有する人々は、それこそフリーターになるしかないでしょう。まさにポスドク問題や、公認会計士の増やしすぎ問題の後追いです。
世情を理解せずに、法科大学院*11の甘言に乗せられた、そういった人々が、社会に出たところでどれくらい役に立ったのかという厳しい指摘はありうるでしょうが、しかしながらそれらの人々は、他の道に進んでいれば、その道で活躍していた可能性もあり、或いはその道の競争が激しくなれば質は上がるでしょうから、少子化が進んでいるのに資源も国家戦略もないようなこの国のあり方として、こういった制度を放置することは「人財」の無駄遣いに他ならないでしょう。

社会の違いを無視してアメリカの猿真似をし、アメリカの押しつける新自由主義を崇拝し、他の国との外交交渉も国内政争で潰してアメリカに頼ることしかできず、責任の押し付け合いとなあなあを国是とするこの国は、見切り発車で作った制度をいつまでも維持していくんでしょうけどね。

最後愚痴になりましたが、結論としては、法律家の質を高めるための志望者増加には、就職難対策が最優先されるべきだということです。そのためには、就職口を増やすこと(法曹資格者の有用性*12アピール)、競争緩和のため合格者を削減すること、その一方で合格率を上げるために法科大学院卒業生の数を減らす(個人的には下位ローを減らすだけでなく、首都圏の上位ローの定員削減も検討すべきだと思っています)ということが必要でしょう*13。もちろんそんなドラスティックなことを実現するには、政治家の介入が必要でしょうが、政治家にそこまでのモチベーションがあるか疑問があるので、なかなか難しいでしょうが、もうじき法科大学院を卒業する自分の感想としてはそういったところです。


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*1:念のため、研修医の労働者性についての判例(関西医大事件)の射程が及ぶと考えているわけではありません

*2:日弁連HP:http://www.nichibenren.or.jp/ja/special_theme/kiyuuhiseiizi.html

*3:この部分、日弁連HPの文章の論理関係は必ずしも明確ではないのであやしい

*4:ソースがなくて恐縮ですが、朝日と日経の社説は反対調だったように記憶しています

*5:修習者が年2000人弱であるのに対し、裁判官検察官に就く人数は合計200人ほど

*6:自炊をするか、家賃をかなり押さえないとこのれで生活するのは厳しい気もするが…

*7:法科大学院生はそんなにバイトする余裕がないというのが一般的なようですが…

*8:適性試験の受験者数は五年間で五分の一に。参照:http://d.hatena.ne.jp/he_knows_my_name/20100624)激減しているので、今更給費制にしたところで、リスク((なお、この記事では触れていませんが、新司法試験の合格率の低下も大きなリスクになっています

*9:かなり語弊がある言葉ですが…

*10:ただし、競争が緩くなって、それらの法律家の質が相対的に低下している可能性はある

*11:ただし、法科大学院も立法や行政に騙された感がある

*12:ただし、法律家以外の道に有用かどうかは正直わからない

*13:個人的には、上位ローのマンモス法科大学院の定員は、教育的な観点からも減らすべきと思っています。参照:http://d.hatena.ne.jp/he_knows_my_name/20100624