「暴力装置」について

まず、この言葉は学術用語として定着しており、大学でふつうに勉強していれば知る機会がある言葉であると思います*1
そうするとこの言葉を不適切とかのたまう議員のセンセイは、勉強不足でその言葉を知らなかったか、知っていたが言葉尻を捉えて失礼だと発言しているかのどっちかということになりましょう。前者はただの勉強不足なのでしょうがないとして(もちろんそんな議員が議会にいることを我々有権者は恥じるべきですけれども)、問題は後者です。暴力装置と言う言葉の意味をわかっていながら、あえて攻撃するというのは言葉狩りを助長し、学問的に正しい言葉を使えなくしてしまいます。そして、現在日本で自主規制が流行っているのも、そういった狩りの萎縮効果に原因があるように思います。今回の批判もまた、自主規制を一層助長することになるでしょう。

さて、昔天皇機関説と言う憲法上の通説が攻撃されたことがありましたが、今回の問題はそれに似ているところがあります。
天皇機関説事件とは、同説を唱えた美濃部達吉が批判され、貴族院を追放された事件です。そもそも、「機関」というのは別に天皇に対して何らかの価値的判断を下した表現ではなく、国家を法人だとすると、天皇はその機関に当たるという、ある意味当たり前のことを説明する学説にすぎませんでしたが、その言葉尻を捉えて政治問題化されたのです。そして、最初に天皇機関説を批判した貴族院議員の菊池武夫は、美濃部の弁明を受けて、誤解に基づいた批判であったと気づいたそうですが、菊池の誤解に基づいた主張に右翼が乗っかって問題は大きくなり、結局美濃部は貴族院より追放されることになりました。なお、この事件は、美濃部の師である一木喜徳郎を追い落とすための、平沼騏一郎の策略であったという説があります。

今回用いられた「暴力装置」についても、自衛隊や警察がそれに当たること自体は当然だと思います。そして、この言葉も、単純に国家による暴力の独占という文脈で使われる当たり前の説明のためのものです。それをもって、「暴力とはけしからん!」と批判するのはどうでしょうか。上の天皇機関説を批判した勢力と違いはないように思います。そして、暴力装置を批判した人々は、ひょっとしたら菊池ほどの素直さもないのかもしれません。もちろん、今回、暴力装置発言をした官房長官は「一身上の弁明」をしなかったのですが。こちらも美濃部ほどの度胸がなかったということでしょうか。

しかしながら、最大の問題は、暴力装置発言の批判者たちが、「左翼発言だ!」とか(佐藤正久*2参議院議員)、「頑張って国際貢献している自衛官に失礼だ」とか言っているわけですが、前者はレッテル貼りの批判なのでどうでもいい(批判者のブログを見ましたが、論理的に飛躍がありすぎてちょっと理解できませんでした)としても、後者は自衛官ないし自衛隊に対して、そういった客観的評価をすることや、ちょっとでもその気に障るような表現*3をすることがNGとすることを意味します。この「失礼だ」という主張、確かに一見真っ当であるかのように思われるかもしれません。しかしながら、これを他の例に変えてみたらこの主張の異常さがわかると思います。たとえば、これを自衛官から、税金泥棒とか利権の塊とか批判される官僚に変えてみたらどうでしょう。そういった批判は官僚には失礼ではないんでしょうか?個人的には、残業時間が月100時間を超えるのが普通という官僚に「泥棒」という批判をするなんて!と思ったりもしますが、世間ではそういった表現は失礼とは言われないでしょう。そうすると、やはり「失礼だ」というのはおかしな主張であるように思います*4

自衛隊=軍隊や、警察と言うのは、言うまでもなく大きな力を持つ集団です。そして、そういった集団に対する上のような批判が許されないというのはどう考えてもおかしな話だと思います。むしろ、軍隊や警察と言うのはその力の大きさに鑑み、暴走を防ぐために文民統治等の制度を敷いて統制を図るべしというのが歴史の教訓です。上のレッテル貼り批判をしている方のブログでは、日本で自衛隊が国民に銃を向けるということはありえない等と書かれていましたが、歴史を勉強してくださいと申し上げたい。確かに具体的に自衛隊が国民に銃を向ける可能性と言うのは限りなく低いでしょう。しかし、歴史が教えるようにその可能性は理論的には零ではなく、また、そうなったときの弊害の大きさ*5から、そういった統制をしておこうというのが文民統治等の制度です。そういったことからすると、自衛隊や警察に対する批判というのは禁じられるべきものではないでしょう。それなのに、批判にあたるかどうかもよくわからない、自衛隊の性質を客観的に評する「暴力装置」という言葉すら「失礼」というのはいかがなものでしょう。そのような性質をあらわす表現を批判するのは、性質自体の直視をも避ける姿勢の表れ、あるいはその姿勢につながるような行為ではないかと思います。

そして、今回のような問題が生じた根っこには、自衛隊についてきちんと議論がされておらず、憲法九条との関係から自衛隊が変にタブー視されていることがあるように思います。我が国の安全保障において自衛隊はいかなる役割を果たすべきか。文民統制はいかにあるべきか。自衛官が政権を批判することは抑圧されるべきか、そうだとしても、自衛隊が関係するイベントで政権批判の表現が抑圧されるべきか。そういった問題は、国会できちんと議論して詰めていくべきことでしょう*6。そのあたりをほったらかしにしてタブーにしてしまうから、めんどうな問題が生じるのではないかと思います。たとえば、陛下に習近平を会わせるかどうかという問題を宮内庁長官に政治利用されたのも、皇室の問題をタブーにして議論をきちんと詰められていない*7から生じたのではないかと思います*8
せっかくならこの機会に、自衛隊の位置づけをきちんと議論したらどうでしょう。自衛隊の議論というとすぐに一部の憲法九条についての思考停止派が出てきますが、そういった輩はともかく、我が国の防衛をどうすべきかというのは、アメリカとの関係をどうするかにつながってくるわけで、それを踏まえてきちんと国民全体で議論すべきことです。そのあたりのウン十年間ほったらかしにされていた*9議論を、是非一度考えてみることが必要でしょう。

最後に、今回、自民党に対する失望は自分の中でこれ以上高まることはないだろうというくらい高くなりました。特に、暴力装置発言を批判した議員に、今まで個人的に期待していた河野太郎議員がいたことには心から失望しました。自分は日本人としてこの国を諦めたくない訳ですが、最近の、民主党らしさをなくした民主党、完全に野党と化した自民党を見ていると、本当に失望ばかりが募ります。

*1:書いた後読みなおしていて気付いたんですが、はてなに登録されている単語です笑

*2:この方は自衛隊出身ですが、軍出身の菊池武夫とは違うようです

*3:ただ、自衛官の方々が暴力装置と表現されて気に障るのかどうかはよくわからない。世界的に見ても最強クラスの兵器を保有する集団の中で日常的に武器を扱い、前線に赴くこともある人々が、自らの持っている力=暴力であることを理解していないとは思えません

*4:厳密には、それはおかしな主張ではなく(自衛官が特別なのではなく)、官僚に対する対応がおかしいのだということも考えられますが

*5:天安門事件や、今もなお存在する軍事政権国家を見ればすぐにわかることです

*6:なお、憲法九条を改正し、我が国固有の軍隊を保持、或いは九条の規制を緩和することには、当該軍隊が他国のためではなく、日本のための軍隊であることができること、そして、国民に軍隊を保有することについての理解が実質的に根付くことを条件として賛成です

*7:いわゆる菊タブーですが、それは日本国民の象徴である我々の天皇陛下及び皇室制度を、宮内庁の勝手にすることになっているのではないかと思っています。まったくもって開かれていない皇室の現状は、税金が投入されている以上改められるべきだと考えます。なお、最近左派と思われがちな自分ですが、右派というか保守派です。天皇家は多くの日本人の祖先にあたるわけで、そいうった心情的な部分も含め、天皇制度は必ず維持すべきであるというのが自分の信条です。ただうちは藤原系なので、血筋が天皇家にはたどり着かないのですが…

*8:憲法学でも最近は天皇法なんてまったく流行っていなかったわけですが、実際にはこういった問題が生じているわけです

*9:もちろん冷戦時代はあまり考える必要もなかったわけですが