中国地方旅行3日目(松江→出雲大社→石見銀山→津和野)

松江しんじ湖温泉出雲大社前(出雲大社稲佐の浜)→川跡→出雲市→仁万→石見銀山大田市→浜田→津和野

今朝は早起きしないと津和野までたどり着かない、ということで、朝ちゃんと六時前に起床し、六時から朝ごはんを十分で食べ、六時二十分にはホテルを出立。ホテルから徒歩五分の松江しんじ湖温泉駅から、一畑電鉄に乗り、宍道湖北岸を西へ。出雲大社へ向かう。

一畑電鉄のかわいい電車>

二両編成のかわいらしい電車。駅では一畑電鉄が登場する中井貴一のドラマをプッシュしていた。車内には、朝早いにもかかわらず、たくさんの高校生が乗っていた。しかし、地方の高校生ってなんでこう似ているんだろうか。地元の高校生と雰囲気がそっくり。

宍道湖をぼーっと眺めたり、ガイドブックを読んだりしていたら、電車は一畑口で逆走*1を開始。そういえば途中イングリッシュガーデン前なんていう駅名があったけどなんだったんだろう。

<電車は宍道湖の傍を走る>

一時間くらい乗っていると、七時半ころ出雲大社前駅到着。伊勢熊野に続き、この一年神様に挨拶してばっかりだなとか思いながら、駅の前から出雲大社へ続く参道を歩いていく。山や林の中にある伊勢神宮(内宮・外宮)と比して、出雲大社は背後に山、西に海を控えている開放的な土地柄で、しかも民家がたくさんある上、参道沿いの店も多くはないため、伊勢ほど畏れ多い感じはしない。少々登り坂の参道を歩いて行くと、ついによく写真で見る出雲大社の鳥居に到着。ここに至るとさすがに感慨深いものがあった。よくこんなところまで来たなあ、と。

出雲大社の鳥居>

その周囲にある記念碑や像なども眺めつつ、松が綺麗に植えられている参道を歩いて行くと、左手には御手水、因幡の白ウサギの一シーンを描いた像、右手には大国主神の像がある。なんかポップだな…大国主神は結びの神様とされているんだかなんだかで、右手の像には沢山の小銭が投げ込まれていた。

<ポップ?>

それを眺め、手も洗った上で、ついに本殿前へ。と、そういえばこの時、本殿の修繕工事のため、ドームで本殿が覆われていると聴いていたのだが、実際何とも言えない不思議な雰囲気で本殿が覆われていた。どうやらその中に入れるようだったので、窓口の方に向かったところ、こんな張り紙が。

「拝観不可な服装:Tシャツ・トレーナー・ジーンズ…・カーゴパンツ…」
これは大変残念。いや、服装を整えて拝観しろというのはよくわかるけれど、しかし出雲大社に来た旅行者(特に若者)がこの格好以外で来るかと言われると来ないだろうと。旅行先で動きやすい格好をしようとすると、Tシャツ+パーカーにジーンズ、スニーカーとなるのが普通。その格好で入れないとかどうなんだと。もちろん出雲大社が旅行者の拝観を受け入れるつもりがない(ように自分にはは思える)というのは、その運営の問題でだけれども、伊勢神宮も、熊野三山のどこもそんな閉鎖的なスタンスは取っておらず、わざわざここまで来たのに中に入れないというのはとても残念。

ということでテンションがダダ下がりしたものの、一応日本最大のしめ縄等、境内の参観。

<しめ縄>

<本殿>

時間があまりなかったのだが、稲佐の浜に行ってみたかったので、強行して出雲大社から西へ歩く。途中で阿国の墓に参拝。絶対ニセモノだと思うが…w

阿国の墓>

墓を過ぎて坂を登りきると、そこに海が見えた。
この出雲の海、何と言うかのどかで落ち着く。日本海側という感じではない。

目的の弁天島を眺めつつ砂浜をさまよう。弁天島と言うのは奇景といってもいいかもしれないが、なかなかおもしろい。砂浜はゴミだらけだが、弁天島一つで全てをリカバリー。日御碕のほうまで眺めてみたが、それと思われるようなものが見えたような気もする。

弁天島

さて、電車の出る時間まで20分と言うところで、慌ただしく浜を離れ、駅へと戻る。
来た道を戻ると坂道を登り、再び下るということになるのがわかっていたので、携帯でグーグルマップを見ながら*2、いったん砂浜沿いに道を南に下り、程良いところで東へ。この砂浜から駅へ通り抜ける道はどうやら民家が立ち並ぶ、ふだん観光客が立ち入らないエリアだったようで、どう見ても観光客な二人は、寝起きのおじさんおばさんに若干不審の目で見られた。

駅に着いたのは電車の来る五分前。電車はすでにスタンバっていて焦る。しかし朝からいい汗をかいてしまった。9時過ぎには電車は発車し、一時間半ほどの出雲大社訪問はあっという間に終了。

そこからは出雲大社前→川跡→出雲市一畑電車で移動。出雲市でちょっとだけぶらぶらした後、JRの山陰本線へ乗り、石見銀山へ向かう。仁万で降り、そこからバスへ乗り換えて石見銀山へ向かい、帰りは銀山からバスで大田市駅へ。そこから電車で再び西へ。この間はずっと似たような、少々荒々しい波が打ち寄せる海岸線沿いの景色が続く。変化があったのは、風力発電のためのプロペラくらい。日本海側の景色をまったり見たいという方にはいいかもしれないが、あまりにも同じ景色が続くので、カメラを構えつつ、小山剛憲法や、PSPクライシスコアをやるという時間が続いた。

<こんな風景が続く山陰本線

石見銀山に着いたのは11時前で、滞在時間は四時間弱。
正直特に印象に残るところがあったかと言われると…まあ…特にはないw
石見銀山運営側もそこは自覚しているようで、案内パンフにも、「石見銀山は一見どこが素晴らしいかわからないけど、全体的な雰囲気がいいんです!」みたいなことが書いてあった。とはいえ、三連休の初日であったし、石見銀山自体世界遺産になっただけあって、人はものすごく多く、後述の間歩は渋滞状態だった。

石見銀山全図>

石見銀山と言われても何があるのかわからないという方が多いだろうけど、要するに、銀山の跡、すなわち掘った穴である「間歩」や、奉行が生活執務した建物、そして古い街並みや宗教施設等が残っているということ。そしてこの銀山エリアは、だいたい代官所跡から一般公開されている龍源寺間歩までで、南北約4kmほどです*3。自分らは、羅漢寺前でバスを降り、羅漢寺を拝観した後、レンタサイクルに乗り、龍源寺間歩まで行って、間歩を通り抜けた後自転車を回収して、大森町まで一気に下り、その辺の古い街並みを眺めた後、羅漢寺に戻って昼食に出雲蕎麦*4というコース。

羅漢寺*5の見どころは、寺と小川を挟んで反対側の崖に掘った穴の中に安置されている、それぞれ表情の異なる五百羅漢像*6。作られたのはおよそ150年前だそうで、銀山で亡くなった方々の霊を供養するためのもの。これら羅漢像は表情がユニークなものも多く、見ていてなかなか飽きない。また、羅漢だけでなく、小川に掛けられた石橋が大変味が出ていて素晴らしかった。お寺の中の御本尊も公開されていたし、なんというか開放的でいい感じのお寺ではあった。

<羅漢像が安置されている洞穴(羅漢像は撮影禁止)>

<石橋>

羅漢寺からいったんレンタサイクルをゲットすべく、羅漢寺前バス停横のレンタサイクルへ。実はここのレンタサイクル、争奪戦が激しく、休日については利用できるとは限らないことを念頭に置いて行くのがよいかと。狙い目は、レンタサイクルショップの営業時間が九時からで、レンタサイクルの利用時間(電動:二時間、非電動:三時間)からということを考えて、十一時かと思われます。ということで、十一時過ぎに行くと、運よく電動と非電動を一台ずつゲットできた。
しかしこの日はかなり天気がよく暖かかったこともあって、非電動はぼちぼちしんどかった。というのも、そこから龍源寺間歩までは、緩やかな坂道が3キロほど続くので、ひたすら足をいじめることになる。間歩についた時には汗だくだった。

途中、山吹城跡こっち、という看板を見かけ、一瞬間歩あきらめてこちらに行こうかと思ったが、さすがに空気を読んでやめたw

<山吹城こっち!>

山吹城と言えば、石見銀山を守るための山城であり、本城常光が守る要害であったことで(オタクの間では)有名。石見銀山を巡り、出雲の尼子晴久と、安芸防長を制した毛利元就の争奪戦が激しく展開された1560年前後、毛利勢は二度尼子勢に撃退されているが、そのうち二回目の主役が石見の勇将本城常光で、彼は山吹城毛利勢の包囲に耐え、撤退する毛利勢を降露坂にて追撃して破るなどの活躍をしている。最期は、三大梟雄*7顔負けのあくどさを持った毛利元就に暗殺されるわけだが…

脱線はさておき。
緩やかな坂を、沢山の歩行者を避けつつ進む。おいちゃんおばちゃん*8から、大学生の集団まで、旅行者の幅が広い。これも世界遺産ゆえか。
道の途中には奉行所等の古い建物もあったが、ふつうに民家もあって、こんなとこで生活するの大変だろうなあと思わされた。街は遠いし、観光客はうるさいだろうし。

二十分ほどの苦行の末、龍源寺間歩に到着。
チケット売り場から、間歩の入口まで、人の行列。並んでいると、色んな方言が聞こえてきて、やはりいろんなところから人が来てんだなと。ここで、ふっと耳に入ってきたのは地元の筑豊田川訛。これはぐっと来るものがあった。地元を離れて一人暮らしを始めてもうすぐ15年になろうというところだが、やはりそういう感情はまだ残っているのだなあと。元々転勤族かつ帰国子女で、あまり地元帰属意識がなかった自分が、最近故郷の固定化を意識的無意識的に行っているのは、故意的なものかと思っていたが、どうやら必ずしもそうではなく、ある程度は自然な感情ベースのものだったようである。

間歩の中はひんやりとしていて薄暗い。とりあえず、重機があるわけでもない時代に、人力だけでこんな山を縦横にくり抜いて銀を掘り出していたことの凄さを体感。大内氏から始まり、明治まで400年ほど続いたこの掘削は、銀すなわち富を欲する勢力の執念の象徴だろう。また、日本の銀は一時期東アジアの流通経済に大きな影響を与えた*9ことからすると、やはり石見銀山は大きな歴史的意義を持っているということになるんだろう。

<龍源寺間歩入口>

<間歩の中>

間歩を抜け、再び入口手前まで戻り、あとは坂を下っていくばかり。途中で毛利元就を祭っている朽ちかけた豊栄神社があったので、由来について書かれた看板を眺めていたら、現地の案内係のおじさんに話しかけられ、三十分くらい話が盛り上がる。漆黒の肌にたくましい体つきという、レンジャーのようなおじさんで、リュックに鉈、クマよけの鈴を装備する等完全武装状態で、案内係をやっているため歴史についてもかなりお詳しい。歴史のある名勝では、よく歴史好きのおじさんに会ったりするが、ぶっちゃけると、割と間違った知識を持っている方が多い。一方、こちらが若いので、詳しくないだろうという予測の下話しかけてくるみたいなのだが、残念ながら意外とそうでもないわけで、こっちは微妙なリアクションをとらざるをえなくなることがある。しかし、このおじさんは相当詳しいし、色んな事をご教示してくださった。この神社は、元々毛利が石見を制した後作られ、毛利元就の絵を祭っていたたらしいのだが、石見が毛利の支配下を離れた後、荒れるにまかされていた。しかし、第二次長州征伐において、長州軍が津和野を抜け石見に侵攻した際、この神社を発見し、これは幸先がいいということで石灯籠を設置するなどして再興したのだという。実際、石灯籠には、隊員の名が残されていた。
おじさんに、山吹城に行きたかったという話をすると、「今から僕行くけど行く?」と言われたw行きたいのは山々だったが、さすがに時間がなさすぎたのであきらめる。

<豊栄神社>

<石灯籠。第三大隊奉納と書かれている>


坂を下って昔の建物が残っている街並みを自転車でだらだら巡った後、自転車を返す。そういえば最後にちょっとだけ相方が乗っていたバッテリー付きの自転車に乗ってみたのだが、凄いね。自転車乗ってるとは思えないくらいすいすい進む。事故りそうな勢い。

石見銀山の町並み>

その後、バスの時間を確認し、十分な余裕があるとみて上述の蕎麦屋で蕎麦を食べる。あまり美味いとは思えなかったが、観光地の食事はそんなに美味いものないのでそんなもんだろう。名物なんてのは都市伝説。

<石見そば>

バスで大田市まで行き、大田市の駅前のコンビニで、これから先の長い旅(ここから津和野まで、およそ三時間以上鈍行に乗り続ける)に備えてお買い物。しかしこのコンビニ、駅から看板は見えたのにやたら遠い。だいぶ歩いて大きな道沿いのコンビニに到達。やはりこういった地方では、駅前よりも県道や国道などの大きな道沿いのほうがお客さんが入るということなんだろう。地方と都市では、コンビニの店舗展開スタイルは大きく異なる。
そういえば、コンビニから駅に戻る間、相変わらずの速足で歩いていたら、追い抜いたおいちゃんに、連れが「おねーちゃん歩くの速いねえ」と声を掛けられていたwこの辺も地方と都会の違いか。都会でこんな感じで声かけたら色々誤解されかねない。

大田市から山陰本線に乗り、しばらくは再び山陰本線の風景。たまに海と陸地がせめぎ合う絶景が見られるが、それもここまで続くと飽きてくる。一方、山陰本線の風景を楽しみたいから島根に行きたいと言っていた相方は爆睡しているw仕方ないので、車窓から見える景色にたまに目を向けつつ、本を読んだりPSPをしたり。途中で福光という駅があり、おおお福光城がきっとこのあたりに!とか思ってテンションが上がったり、浜田でもまた、浜田城があああとか思って、しばらく停車時間があったので、駅の外が見えそうなところから外をきょろきょろ見ていたり。そんなこんなで三時間ほどで益田に到着。

益田駅前>

益田での待ち時間は三十分弱。駅前のコンビニで少し買い物をして、すぐ駅に戻る。益田駅前はそこそこ賑やか。しかし自分が気になっていたのは、むしろ益田にある益田氏の居城である七尾城。あっちの方だよなあと駅から出て西側の山の方をきょろきょろ。もはや病気だよなあ…

益田から津和野までは一時間かからない。津和野に着いた時には既にもうあたりは真っ暗。電車に乗りっぱなしで生まれるあの独特の疲労感を背負いつつも、湿気を多く含んだ津和野の涼しい空気は大変心地よい。とりあえずホテルにチェックインして荷物を置いた上で、晩ご飯を食べに行こうという流れ。ホテルは津和野ホテルさん*10。部屋にはテレビがなかったし、建物自体も新しくはないものの、サービスは素晴らしかったし、部屋も広く個人的には好印象。ただ、丘の上にあるホテルなのだが、駅のある麓から歩いてきたら裏側になる入口が最初どこかわからなかったw晩ご飯を津和野の街に食べに行こうとしていたところ、ここで相方がホテルのフロントに置いてあった、神楽の案内を見つける。石見神楽というか、神楽のような伝統芸能にあまり関心がなかったのだが、まずは体験してみないとということで、神楽を見てから晩御飯というようにスケジュールを変更。

石見神楽についてはHP*11を見ていただくとイメージがわきやすいと思うが、津和野地区にいくつかの社中が存在し、それぞれ構成員が10人前後あり、時間を見て練習して神楽を承継しているらしい。そして、石見神楽は四つに分類される里神楽の一種で、佐太神社をルーツともつよう。当日の演目は「八幡」と「大蛇」で、ストーリーがわかりやすく、また、演技も上手で大変楽しめた。特に、前者の、八幡と鬼の舞の違い、一方は緩やかで優美、もう一方はメリハリが効いていて武骨、というところがきっちり顕れていて、演じられているキャラクターの個性がしっかり示されていて素晴らしかった。また、大蛇では、大蛇を複数人で演じているのだが、大蛇の外皮からほとんど身体が見えないという名演技。とても人が中に入ってて演じているとは思えないような動きだった。

<八幡>

<大蛇>


とか夢中になってみていると、既に時間は夜九時近く、急いで夕食の予約をしていた割烹店あおきさん*12に向かう。店内は夜は宴会もやっているらしく、日本人と白人が一緒の集団が一組宴会をしていてにぎやかだった。遅い時間にお邪魔したにも関わらず、快くお迎えいただいた。また、帰り際には萩に行く交通手段について等色々教えていただいたりと、大将と女将さんがすごくいい方でした。一般にこういった田舎では、若者は冷たい扱いを受けるというか、警戒されている*13のだけれど、こちらが「敵意がないですよ」というアピール(大げさw要するに人懐っこく絡んで行くこと)をすると、向こうもちゃんと対応してくれるし、すぐに仲良くなれる。
ここでは津和野名物のうずめ飯と、本日のにぎり、つわの定食をオーダー。このうずめ飯、めちゃめちゃうまかった。この旅行で食べたものの中で断トツトップ。前述のとおり、観光地の料理と言うのは味がイマイチのことが多いのだけれど、ここはガチ。うずめ飯とは、一種のお茶漬けのようなもので、ご飯に出汁の効いた汁をかけ、具にはたっぷりの人参、椎茸、豆腐、たぶんあときくらげ。また、つわの定食の刺身こんにゃくも絶品。これは地元九州でも食べたことがあったけれども、つるつるの食感と酢醤油の調和。もう神でした。海はないんだけどにぎりもうまかった。ただ食べられなかったのは葉ワサビ。苦手なものはほとんどない自分でもこれは厳しかった。

<あおきさん外観>

<つわの定食>

<うずめ飯>

一時間くらいかけていただいた後、十時半ころホテルに戻る。
ホテルには江戸風呂とか岩盤浴等があるらしく、風呂好きな連れはさっさとそっちに行ったが、あんまり興味がない自分は、部屋のシャワーで済ませ、明日の朝は七時前にホテルを出る予定だったので、ベッドでぶっ倒れて寝た。

*1:たぶん正確な用語があるはずだが…行き止まりの駅に入った後、進行方向を変えて進むこと

*2:全然関係ないが、自分の携帯ドコモF-01Aは、アプリでグーグルマップが使えたり、フルブラウザでPCサイトがそのままの状態で見られたりと大変便利。

*3:石見銀山マップ参照:http://ginzan.city.ohda.lg.jp/treck/map/map_t1.html

*4:御前そばさん。http://soba91.exblog.jp/5351702/

*5:羅漢寺http://www.rakanji.jp/

*6:正確には501体

*7:どうでもいいけど、北条早雲より毛利元就の方があくどくないかね。主君の一族を暗殺したあげく下剋上をやり、大仏殿を焼いて、将軍を殺した松永久秀下剋上に暗殺魔の宇喜多直家は梟雄と言われるのはわかるけれど…

*8:うちの田舎の方言。だいたい40代から60代後半くらいの男女。標準語のおじさんおばさんより広い概念。それより上はじいさんばあさんになる

*9:高校世界史で日本が登場する数少ない例の一つがこれ

*10:津和野ホテルさん:http://www.tsuwanohotel.jp/

*11:ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A5%BD、石見神楽HP:http://www.sun-net.jp/~k-kagura/

*12:寿司割烹あおきさん:http://iwamiyoitoko.com/kankou/diary.cgi?no=66

*13:たぶん、世代差等があって、何考えてるかわからないと思われがちなんだと思う。あと若者って一般においちゃんおばちゃんに冷たいことが多いしね