八月本州横断旅行

東京→名古屋→犬山→岐阜→彦根→京都→津山→岡山→広島→大竹→岩国→福岡
三泊四日の強行軍でした。東京名古屋が新幹線、京都津山が高速バスで、それ以外は全部青春18きっぷです。

<一日目>
東京→名古屋→犬山→岐阜→彦根
犬山城は、見たいと思うところに限って見られない(本丸西側の空堀が見たかったのに…)という城オタにはつらい城でしたが、城南部の地形や区画から、旧城域を想像するのは楽しかったです。とはいえ、大名の城ではないので、そこまでいい城とは思いませんでした。天守閣最上階から見る景色はぼちぼちだったのですが、というよりその後見た金華山からの景色が見事すぎて事後的に霞んでしまった感じではありますが、どちらかというと心細すぎる手すりの方が気がかりでした。


天守最上階より北西。木曽川



天守最上階より北東。同じく木曽川。とりあえず頼りない手すりが気がかり。



国宝の天守だが、正直松江城のほうが記憶に残るいい天守のような…



おそらく元堀切だったと思われる、城南側の道路。


犬山城周辺を散策した後、城東部の寺を適当に見て、電車で岐阜へ。

岐阜は、金華山上り下りを歩きでやるという暴挙に及んだので、足首と膝がかわいそうなことになりました。特に、くだりで池田輝政が攻めのぼったと言われる水の手口を選んだのは最悪でした。
山麓部には信長の屋敷跡と思しき遺構が残っており、こちらは結構見ごたえがあります。一方、金華山頂には、城としての見どころは多くはないものの、狭い山頂部の地形を利用した防御施設がもうけられており、こんな城落とせるのかよと思いましたが、それよりも岐阜城天守閣から見る広大な濃尾平野が衝撃的でした。考えてみたら、自分がよく回っている関東平野には、平野を一望できるような高所にある城というのは存在しないので*1、城からだだっ広い平野を見るというのは初めての経験かもしれません。このようなだだっ広い平野に、伊勢湾・揖斐木曽長良川の水運を組み合わせれば、凄まじい富をもたらすでしょう。そして、天守閣は当時存在しなかったでしょうが、金華山からこのような風景を眺めたであろう信長が、上洛を決意したのも何となくですが理解できるように思いました。


麓から望む金華山。左手の電柱の上にうっすらと天守が見える。あそこまで徒歩で登ったと思うと…



上格子門跡。攻めにくそうな地形をしているが、実際に関ヶ原合戦前の東軍による岐阜城攻めでは、激戦が繰り広げられたという。



天守最上階より西。長良川



天守最上階より南。眼前に広がるのは濃尾平野


城から下りた後は、岐阜駅内の赤い鳥という居酒屋で食事。チェーン店なのに今まで食べた焼き鳥の中で一番うまくてどうしようかと思いました。

岐阜から彦根まで移動し彦根泊。



<二日目>
この日は安土や観音寺にも行く予定だったのですが、あまりに彦根が居心地良すぎて一日使ってしまいました。

朝一でレンタサイクルを利用して彦根北東の佐和山城址に向かい、西側搦め手から登りました。石田三成の城だったため、かなり徹底的に破壊されていましたが、本丸から見おろす彦根、琵琶湖の景色は絶品です。また、本丸北東部に一部残る石垣は、破壊しつくされ、ただの山になってしまった景色の中で、昔ここに城があったということを主張するかのようで鳥肌ものでした。


僅かに残った石垣。


本当なら東側の大手側も見物したかったのですが、帰りにもう一度登山をする羽目になり、同日天気が良くて体力の消耗が激しくなりすぎる(というより前日頑張りすぎてきつかった)ので、あきらめました。

続いて、レンタサイクルで彦根城の北側を回り、城西部の琵琶湖へ。しばらく湖畔でぼーっと休憩しました。風が強く、湖には波が立っていました。


そこから、今度は城の南側を、寺社に寄り道しながら回り、いったん大手橋南側の内曲輪を通って、外濠南側の城下町を散策し、無駄に芹川(彦根城南側の最初の防衛線)を見てから、ついに彦根城内へ向かいます。
城内に入って最初に向かったのは博物館。ここにはなんと、彦根藩初代藩主井伊直政*2以下の井伊家当主の具足(実物)が展示されていました。特に自分のテンションが最高潮に達したのは、直政関ヶ原着用具足。左わき腹に弾痕があり、これが跳弾して右肘にあたって…とか思うともう。また、関ヶ原合戦大坂夏の陣の屏風など、本当にここでしか見られないものばかり。撮影おkだということで、撮りまくってしまいました。更に、ここでは解説員さんが運よく自分と同じくらいのタイミングで回ってくださって、適宜解説を施してくださったので、展示物だけでなく、再築された御殿なども面白く見られました。




井伊直政関ヶ原着用の具足と馬印。具足の左わき腹の銃痕はおそらく島津軍によるものなのだろう…



井伊直弼具足。おそらく着用されたことはないのだろうが、大きさからすると、直弼はかなりの巨体だったらしい。



これ全部実物とか…これでテンションが上がらないのはモグリ。


博物館を堪能した後、いよいよ城を見ますが、ここも見どころ満載。山城好きな自分にとっては、直線の少ない平山城である彦根城の縄張りは絶品で、本丸に入るまでにお腹いっぱいになってしまって、天守閣に入るのをやめようかと思うほどでした。ただ、西の丸が工事中で入れず、登り石垣が見られなかったのだけは残念でしたが。最後に玄宮園で、天守閣を借景にしている(かどうかは定かではないのだが)綺麗な庭を見ました。


彦根城天守天守よりむしろ、天守台と、組み合わせられた石垣の配置が見事すぎる。



堀切と天秤櫓。こんなとこ攻め落とせる気がしない。



玄宮園彦根城を借景にしていると言っていいのだろうか。



彦根に時間ぎりぎりまで滞在し、そこから京都へ向かい、京都から津山へ高速バスで移動、津山泊。津山ではコンビニが市中心部になかったため、晩ご飯がホテルのカップ麺になってしまいました。


<三日目>
とりあえず津山城へ向かいます。まずは、観光案内所にて荷物を預けて身軽になって、準備は完了。津山城は石垣がごつい城なので、楽しみなことこの上ない感じです。
実際、よくもまあここまでふんだんに…というくらい石垣だらけでした。特に、切手御門から本丸に至るまでの防備は、技術の粋を尽くした立派な虎口が設けられていました。外枡形と内枡形が併設されているような感じでしたが、これは一体…



切手御門の虎口。西から見たものと東から見たものだが、これもまた難攻不落…


また、再築された備中櫓や、天守曲輪の技巧的な石垣、本丸西側虎口なども見ごたえがありますし、高台にある城からは津山市のすべてを見渡すことができる等、見どころ満載です。

城を堪能した後は、つやま自然の不思議館という一見怪しげな博物館へ。全然期待していなかったのですが、ここには(交通アクセスの悪い)津山にこれを見に来てもいいくらい見ごたえがある展示がありました。世界中の動物の剥製があるのですが、収集・展示がだいぶ前にされたもの故か、キリスト教思想に基づいて展示がなされ、今では規制により絶対に手に入らないような動物の剥製が目白押しです。ツシマヤマネコオオサンショウウオの剥製なんて実在するのか…と思いました。ある意味生きている実物より貴重でしょう。後で訪れた歴史民俗館の管理人ぽいおじさんの話によると、津山一の富豪であった商家が集めたんだとか。こんな剥製が私有物だというのだから恐ろしい話。入館料は大人700円と割高感はありますが、これは絶対に見て損はしません。


ツシマヤマネコとか実物(とは言えないか?)初めて見た…



金糸猴。


で、ここで想像以上に時間を取られてしまい、津山の名園衆楽園には行けず、歴史民俗館を見学。それから若干時間があったので文字通りの駆け足*3で、津山城東側の遺構を見物してから吉井川支流を渡り、昔ながらの町並みが並んでいるエリアをちら見してから、大急ぎで駅に戻り、岡山行きの電車に飛び乗りました。


津山から岡山へ走る津山線はずっと川沿いを走る。これはおそらく旭川


岡山ではレンタサイクルを借りてから、岡山城と後楽園へ。岡山城は期待していたよりは楽しめました。特に、二の丸だったか、発掘した石垣をそのまま眺められるようになっていたり、御殿の配置などを地べたに記載していたりというのはユニークで面白かったです。あとは、本丸の川沿いの石垣も、おそらく宇喜多時代に築かれた野面積みのものなどが見られ、なかなかテンションが上がります。
後楽園は、庭を理解する力に乏しい自分にはよさがあまりわかりませんでした。
とにかく、岡山は中途半端に都会で、あまり好きにはなれませんでした。


宇喜多時代の野面積みの石垣。関ヶ原前なのに15メートルの高さがあるんだとか。



一瞬犬山城のように見える?岡山城天守閣は宇喜多時代をイメージしたもの。



岡山を離れ、続いて鈍行で広島に向かい、駅近のホテルにチェックイン後、広島のお好み焼きを食べに行き、アルコールも入って気持ちよくなってから就寝。


<四日目>
広島から鈍行で大竹へ。大竹はかなり田舎、というより、駅前にいたおばあちゃんの話によると、三つのエリアがくっついてできた町らしく、発展の具合が中途半端なんだとか。レンタサイクルもないので、市内の循環バスを利用しました。バス内では、地元有志の方々が作成された大竹市内の観光マップが配布されておりありがたかったです。
目的地は福島正則が築城した亀居城でしたが、マップを見ると小方にはなかなかおもしろそうなところがあるので、城址周辺も堪能しました。城址は、急峻な地形に石垣を配置した近代城郭ですが、今残っている石垣を見るだけでも支城とは思えない規模で、いくら大身であっても気合入れ過ぎだろうという感想です。福島正則は自分の中では家康に忠誠をつくしたのに最後まで容れられなかったかわいそうな武将というイメージがありましたが、西に位置する徳川の仮想敵である毛利氏に備えたこのような見事な城を作ったところ、疑われて破壊を命ぜられるとか、かわいそうでは済まされない感じすらします。


城址東部の厳神社参道入り口に立つ謎の石柱。



亀居城より見下ろす小方港。



亀居城の石垣。相当な加工技術。


昼過ぎに大竹を出て、続いて岩国へ向かいます。岩国到着後、バスで岩国城へ向かおうとすると天気が崩れ始めますが、雨は降ったり止んだりをくりかえしていたものの、結局降っていたのはバスでの移動中のみという幸運。

錦帯橋周辺と岩国城を見物しましたが、岩国城址自体は天守北東部の遺構以外はあまり見どころはなかったように思います。規模からすれば他にも遺構などもあろうかとは思いましたが、岩国城という山城では、雨が降って地面が濡れてしまうと見て回るのは大変だし、福岡までの終電&ロープーウェーの終電の時間が迫っていたのであまり深入りはせず、さくっと見て終わりました。城址以外では、天守閣から見る瀬戸内海と錦川の絶景や、山麓の神社と白蛇などがおもしろいでしょう。それにしても、岩国城址を地図で見るたびに、実に城を築くにはいい地形だなあと思わされます。


錦帯橋と小さく見える天守



錦帯橋のかかる錦川。



天守より見下ろす絶景。



本丸北東部の空堀



末川博先生の記念碑を発見!


岩国からは鈍行で六時間かけて福岡へ。相変わらず山口県は長かったです。

*1:金山城は天気が良ければ可能かもしれないが…

*2:なお、ひこにゃんのモデルはこの人です

*3:全ての荷物を持って津山市内を駆け抜けたということです