「濃いバレー人生だったと思います。」―女子バレー銅メダルの奇跡

竹下、佐野、大友はラスト五輪?竹下「本当によく頑張った」
スポニチアネックス)2012/8/11 22:35

160センチにも満たない小さな体で日本の司令塔に君臨してきたセッターの竹下は「本当に内容の濃いバレー人生だった。たくさんの仲間に支えられて、素晴らしいに人に恵まれ、感謝している」と話した。また「しばらくは休みたい。(自分自身を)本当によく頑張ったと思います」とも話し、集大成となったロンドン五輪を最後に引退をほのめかす発言が続いた。

引用元:http://london.yahoo.co.jp/news/detail/20120811-00000105-spnannex


「濃いバレー人生だったと思います。」

という銅メダルを決めた直後の竹下選手の言葉をテレビで聞いて涙腺崩壊した。

たぶん私と同じ年頃で中学からバレーを始めた人なら、竹下選手がいかに苦労したかを知っているだろう。私たちの世代が知っている全日本というのは、五輪出場を史上初めて逃し落ちるところまで落ちた2000年のシドニー。そこでセッターというチームの司令塔を(正セッターの怪我もあり)任された竹下選手は「小さいセッターではだめだ」といったようにぼろくそに批判され、若くして一度引退する。しかし、その後再び復帰し、2004年には五輪出場を決め、それから苦節8年、復帰から10年、ついに今年、バレーボールで最も重要なオリンピックという大会でメダルを手にしたのだ。

バレーはセッター含めて背が高いほど有利なスポーツ。そして、背が低いチームの生きる道である速攻が汎用的になり、研究されている中、160センチに満たないセッターが、世界より平均身長が10センチ近く低い選手たちを駆使してメダルを取ったと言うのは、もはや奇跡だと思う。この結果をもたらしたのが彼女の功績のみにあるわけではないのはもちろんだが、監督よりも長く全日本を負ってきた彼女の並々ならぬ努力が負うところは非常に大きい。彼女のストイックさはよく知られており、ハードな練習や、若手に対する叱責のみならず、対外的な言動もそう。マスコミにちやほやされる若手選手をしり目に「結果も出していないのにこんなに取り上げられるのは恵まれている」と言ってのけている。

竹下選手は34歳で、全日本代表を張るにはかなり限界に近い歳だったと思う。それでも、メダルを取るまでは続けたいというのが、シドニーの責任を負わされた彼女にとっての義務だったのだろう。ぼろくそに批判されていったん背を向けた時点で、普通の女の子に戻ることもできただろうに、過酷な環境に再び戻り、史上初五輪出場を逃すという汚名から逃れることなく正対した。そして、その重かりし荷をやっと下すことができて出たのが冒頭の言葉なのだろう。

今後、全日本はポスト竹下問題で苦しむことになるだろうが、今はお疲れ様、そしておめでとうと言いたい。
本当に、偉大な選手だ。

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