弁護士になります。

私が直接目で見たわけではなく、あくまでも伝聞情報ですが、二回試験に無事合格しました。明後日から、東京の某弁護士事務所で勤務を開始します。二回試験については、気になるミスは一つだけでしたのでそう心配していなかった、というより、去年の修習開始前同様に、勤務開始前に無理に予定を突っ込んだために日程が過密となり、合格発表と引っ越しが重なったため、心配している時間なんてなかったというのが本当のところでしょうか。

すなわち、昨晩、引越四日前から前日まで熊野・新宮→東京→大津という旅行をするという泥縄な引越作業を済ませ、本の詰まった段ボールが15箱もあって引っ越し業者のお兄さんの腰に多大なるご迷惑をおかけし、ゴミの処理を寛大な大家さんに頼み、京都駅から東京行き新幹線に乗車しました。一年余りを過ごした私の大好きな大津を離れる日がついに来たのです。

弁護士になるのには高校卒業後九年近くの時間と、多額の学費等、実に大量のコストがかかりました。その間にご指導、ご支援頂きました皆さま、支えてくださった皆さま、そして、特に学部二回分くらいの期間支援してくれた両親には感謝してもしきれません。

しかし、私のハートは相変わらず空気が読めないらしく、目指していたはずの弁護士になったことへの感傷は思っていたより薄く、むしろ今後スーパーマンみたいなボス弁、兄姉弁だらけの事務所において更なる精進が期待されるであろうこと、この大変な業界で生き残っていかねばならないことに、些かの緊張を持っております。元々弁護士になることや弁護士業に従事することが目標ではなかった私にとって、この気持ちは当然ではありますが。

それよりも、よっぽど、一年余りを過ごした大津を離れることへの感傷のほうが甚だしく。マザーレイクこと母なる琵琶湖のせいか、ずっと暮らしていた三井寺周辺の環境が私に合っていたからなのかはわかりませんが、間違いないのは、本当に尊敬できる方々との出会いがあったことがその理由です。私にとって大津・滋賀は「その方々がいらっしゃる大津・滋賀」であり、私はそういった大津、滋賀に惚れてしまったようです。その想い人・想い地?と離れて東京へ移るのは本当にさびしいです。大津の街を歩くと、この一年間ご指導くださった諸先輩方や同期との思い出が蘇ります。初めて滋賀の弁護士の先生方とお会いした駅前の中華料理屋や、先生方のお名前を覚えるだけで必死だった委員会後の焼き鳥屋、ふだんはクールな先生方と盛り上がったダーツ屋、同期としょっちゅう行った蕎麦屋やカラオケ、勉強のため入り浸った膳所のカフェ、実にいい一年*1。もちろん、大津だけではありません。草津の野球場やキャンプ場、彦根城界隈、長浜のガラス館など、滋賀県には思い出が詰まっています。

ということで、明日から再び東京に転居。
社会人となるここからが本当の、戦い。このブログ的に表現するなら、実験もいよいよ本番。
今後はまずは業務に慣れ、一人前の弁護士となるのを第一目標としますが、時間を有効に使い、今まで通り他分野の方々のお話を伺い、広く見分を深められるようにも努めていきたく思っております。

このブログも、私が学部時代から始め、気付いたらこんなところまで続いてきました。
今後、このブログを藤本大学の藤本一郎先生のように実名にするかどうか、悩ましいところですが、とりあえず弁護士として稼働してしばらくは匿名で継続しようと考えております。
皆さま、今後ともよろしくお願いします。

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*1:あえてJPに関するものは割愛しています