熊野詣

熊野に行ってみたいと思い立ったのは平成21年で、ロースクールの最初の夏学期が終わった時だった。理由ははっきりしないが、熊野を初めて認識したのが小学校の頃読んだ平家物語の「熊野別当」であり、その言葉がずっと引っかかっていたことのような気がする。初めての訪問は同年9月で、伊勢神宮と合わせて三山を訪れたのだが、伊勢神宮の緊張感のある雰囲気より、どことなく緩やかな熊野の方が好みだった。

その後、24年に2度、28年に1度熊野を訪れたが、回数を重ねるたび、熊野には、ただの南国的な風景とは異なる独特の空気を感じるようになった。城址から眺める熊野川と山々、速玉大社の社殿とその裏の木々、花の窟の鳥居の奥には、青い空や川と黒っぽい山と赤い社殿のコントラストゆえか、時にはぎょっとするような不気味さが感じられる。当地の方々には聞こえが悪く申し訳ないが、外地出身者である私には、そこに鮮やかな死が香る。一方、大門坂から那智大社に至る古道、大斎原とその横を流れる熊野川には、爽やかな生を見出す。今まで色んなところを旅してきたが、ここまでの両極かつ強烈な特徴がある地は他にはない。

熊野と死生を論じる書籍は複数あり、たとえば補陀落渡海や、伊弉冉尊の埋葬地とされる花の窟などが挙げられる。しかし、そういうことではなく、単に自分の感覚としてそう感じるというだけのことである。だから私は、日常から離れたいときは熊野に詣でる。交通が発達した今も遠い熊野に赴くうちに、私は俗世の属性から切り離される。着いたら最初に必ず詣でる速玉大社、翌朝城址から眺める熊野川、そしてその熊野川を辿って至る大斎原の河原と詣でる本宮大社。これで私が蘇っていく。

ここ数年、本宮や那智は、商業主義が強まったような印象もあるし、たとえば大斎原の大鳥居にも違和感が強いが、それはそれ。熊野の空気は今も昔も一緒であろうし、そこに詣でるのである。

そして、五度目の熊野詣を終えて、再び俗世に戻るのであった。

 

 

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速玉大社社殿

 

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城址から眺める熊野川と山々

 

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大斎原横の河原と熊野川