那須川vsメイウェザーに見る国際契約交渉の留意点

私は大晦日は基本的に紅白歌合戦ツイッターの寸評と合わせて見ているのですが、今年は、那須川選手対メイウェザー選手のときだけはチャンネルを変えました。私は格闘技はそんなに興味がなく、せいぜい「はじめの一歩」をたまに読むくらいで、ボクシングの試合も昔何度か行きましたが、長谷川穂積選手のKO負けを見たのを最後に行くのをやめた程度です*1。そんな私でも、Pound for poundで最強のメイウェザー選手は知っていますし、那須川選手は、ファミレスで知らないお兄さんが、電話でいかに那須川選手が凄いかを友人に力説するのを聞いたことがありましたので、興味は持っていました。

さて、試合の結果は周知のとおりですし、私は格闘技自体のことは良くわからないのでコメントしませんが*2、試合以外に、日本側(那須川選手とその陣営及び運営団体)と、米国側(メイウェザー選手とその陣営)の国際契約交渉*3の過程に目が引かれました。ここには、国際契約交渉で留意すべきエッセンスが含まれているように思ったのです。主に以下の3点です*4。なお、私は本件について全くの部外者ですので、以下では、報道されている事実をベースに想像で事実を補って書いております*5

1.自らの利益を最大化するのが契約交渉

国内外を問わず、契約は自らの利益を最大化するために行います。理屈の上では、当事者は、財の交換によってWin-Winとなるから契約をするはずですが、相手がWinかどうかは本質的には重要ではありません*6。特に、外国企業*7は、その契約相手と将来にわたって付き合う利益があるかどうかを冷静に考え、将来がないのであれば、目の前の契約で自らの利益を最大化することを志向する傾向があるように思います。

ちなみに、ビジネスで信頼関係は必要ですが、お互いに裏切る利益がない状況を共有する方がより重要です。トップ外交は、特にトップの権限が日本より強いことが多い外交企業とのお付き合いでは必要ですが*8、トップ外交による信頼関係があるから大丈夫と思ってしまうのは危険です。

今回、米国側は、日本側のルール改訂の要求に全く応じなかったのではないかと思います。メイウェザー選手が、キックボクシングのルールによることで負傷したり、万が一にも敗北して評判に傷がつくことを受け入れることはできない以上、米国側がこのような対応をするのは当然でしょう。メイウェザー選手は、ボクシングの試合や興業を通じてキャッシュを生むエンティティのようなものであり、世界的に無名であろう那須川選手と、今まで経験がないルールで戦って負傷するようなリスクを取れるわけがありません。キック一発で500万USDという違約金条項も入れられていたようですが*9、それも米側からすればリスクヘッジのために当然ということになります。

逆に、米国側が、ボクシングルール以外で戦うことを受け入れるとすれば、それは上に述べたようなリスクを超える利益が提供されるか、メイウェザー選手がボクシングでキャッシュを生む価値が下がって、ボクシング以外で試合をせざるを得なくなったときでしょう。日本側は、キックを許容するルールを目指して交渉していたようですが*10、それはかなりハードルが高い条件であったように思います。

2.言語の違いを軽視してはならない

国際契約交渉で意外と軽視されることがあるのが言語の違いです。私の経験上、それなりに言語堪能な通訳を起用しても、日本語⇔外国語でのコミュニケーションの場合、伝えたいことの7割程度しか伝わらないという印象ですが、通訳のクオリティや言語の違いはあまり気にされないまま交渉が進み、それによって両当事者で意図するところがズレていくというのは、国際契約交渉で時々生じることです。また、両当事者がある概念を交渉で用いているときに、その概念の理解に齟齬があり、後で噛み合わなくなるということもあります*11。国家間の外交であれば、国民への説明の観点からあえてそれを利用することもありますが*12、契約は原則として双方を明確に縛るように作る物ですので、このような齟齬は限りなく避けなければなりません。

なお、本題から外れますが、交渉を含むコミュニケーションにおいては、母国語で行うのが最も有利なので、私は、重要な交渉は両言語のネイティブスピーカー1名ずつ*13を配置し、ネイティブスピーカーが交渉をし、もう1名がダブルチェックをすべきと考えています。また、たとえば日中間の重要な交渉では、よほど英語に自信がある者同士でない限り、日中両言語で交渉すべきというのが私見です。

さて、今回、昨年11月5日にカードが発表された数日後、米国側は、試合についての説明が違うとしてキャンセルをすると言い出し、同月16日に日本側が渡米して説明することで「ミスアンダースタンディング」が解決したようです*14。これはどこまで真意なのかというのはありますが、報道を見ている限り、日本側がイメージしていた興業内容が「果し合い」でキック等もありというのに対し、米国側は、日本側が選んだ選手との3分×3ラウンドの「エキシビジョンマッチ」で、世界的に放映されるという説明も受けていなかったようであるとされています*15。この行き違いがどこから生じたかというのは籔の中ですが、11月5日の発表で日本側が「エキシビジョン」に言及しているようですので、結局「エキシビジョン」で合意したが、その中身の理解に齟齬があったのではないかという印象があります。

3.契約交渉は足元を見られないようにする

契約交渉において、外国企業は、日本企業に比べて容赦ない交渉をしてくることがあります*16。たとえば、2で述べたキャンセルというのも、考え方によってはある種の揺さぶりであった可能性がありますが、このような手を使ってくる外国企業は珍しくありません。

このような手に対しては、自分の利益状況を見誤らないようにしつつ、冷静に対応する以外ないのですが、それ以前に重要なのは、足元を見られないようにすることです。たとえば、いつまでに契約を纏めたいということを述べるのには慎重になるべきであり、その契約が纏まらないとどうなるかといったことは述べるべきではありません。交渉は、デッドラインが決まっている方が不利ですが、仮にデッドラインがあっても、それを相手に明かすこと自体が不利であり、かつ、明かすことで、揺さぶりの効果があるかないかも相手に分かってしまうからです。

また、デッドラインがあるとしても、交渉力を確保する方法として、契約先の別候補を作るというのがあります。M&Aでも代理店契約でも、それこそ弁護士との委任契約でもいいですが、現在交渉している以外にも契約先の候補がいることを示すというのは、交渉力を確保する古典的な方法の一つでしょう。

今回、日本側が興行主であり、かつ、米国側は顧客誘引力の極めて強い選手を有していますから、交渉力には大いに差があります。加えて、イベントの日取りは決まっており、かつ、交渉開始は10月で、日本側が相当前のめりになっていたとも報じられています*17。この時点で、別候補を出すことも難しくなっていた可能性があります。

一方、米国側も、ボクサーとして引退した以上、今後は米国外でのボクサー以外でのビジネス展開を模索していたはずであり、日本という格闘技はそこまで盛んではないかもしれないが、経済力のある国での興業には興味はあったものと思われます。そのあたりを上手く突いて交渉をするには、少し時間が無さすぎたのではないかという印象があります。

 

最後に、ここまで書いておいてなんですが、契約交渉というのは、外部環境に大きく影響されますので、上の留意点を全て守ることはどだい無理です。たとえば、「社長が外国に行って外国企業の社長とざっくり話をまとめたうえで、1か月でMOU締結して来いって言ってますがどうしたらいいですか」なんていう相談はよくあります。こういうとき、弁護士目線では、契約を性急に進めるのは危険と思いますが、一方でビジネスではスピードも大切でしょう。したがって、結局は、弁護士のアドバイスも踏まえて、クライアントにビジネスジャッジしていただく話であり、あとは結果がどうなるかという話であろうと思います。

本件でも、色々批判はあっても、日本側がこの興業を通じて知名度が上がったのは間違いないでしょうから、興業的には成功したと言えるのでしょう*18。したがって、ビジネス的には成功だったのかもしれません。

しかし、弁護士としては、上のような留意点を、ビジネスをされる皆さんが念頭に置いてもらえれば、よりメリットを確保できるのではないかと思い、日々アドバイスをしているところです。

*1:バンタム級でもパンチをもらうと人があんなにグラつくのだという刺激的すぎる景色を生で見て、自分にはこの刺激が趣味に合わないと思ったのが切っ掛けです。それまでは、後楽園ホールにも何度か行っていました。2000年頃のK-1も結構好きで、マーク・ハント選手、レイ・セフォー選手、アレクセイ・イグナチョフ選手が好きでしたが、今では全く見なくなりました。

*2:ただ、ここまで体重差がある試合をやらせてよかったのかというのは疑問です。結局、試合ではなく興業なのだという説明なのでしょうが、興業であれば選手の安全性に配慮しなくていいということにはならないでしょう。メイウェザー選手のフックで吹っ飛ぶ那須川選手を見て、事故が起きたときにどうするつもりだったのかと思いました。もちろん、那須川選手の心意気や勇気は個人的には素晴らしいと思いますが、その評価と運営に対する評価は別物でしょう。心意気に対する評価を理由に、結果に対する客観的な分析を怠るのは悪癖です。

*3:ここでいう「国際」とは「クロスボーダーの」と同義です。

*4:契約の重要性については、既に素晴らしい記事があったのでご紹介しておきます。メイウェザーが教えてくれたこと。スポーツでも契約書は凄く大事! - ボクシング - Number Web - ナンバー

*5:格闘技の場合、試合に至るまでのやり取りも含めて見せ場なので、個人的には、たとえば2で触れる米国側の日本側に対するクレームも、見せ場作りだったとしても構わないと思っています。

*6:そもそも、相手がWinかどうかは契約の時点では通常わかりませんし、わかる必要もありません。

*7:私の経験の範囲ゆえ、念頭に置いているのは中華圏、アセアン及びオーストラリアです。

*8:特に中華圏相手の交渉では、トップで話ができていると、交渉のカードとして使えることがあります。

*9:異例!メイウェザーがキック1発5億超の違約金設定 - 格闘技 : 日刊スポーツ

*10:【RIZIN】那須川天心vsメイウェザー、ルールについて榊原委員長が語る - eFight 【イーファイト】 格闘技情報を毎日配信!

*11:私が英米法の知見がないからかもしれませんが、大陸法系以外の国と交渉をすると、概念の齟齬が生じます。一方、大陸法系の国の場合、齟齬は生じにくいのですが、一方で同じと思っていた概念が微妙にズレることが生じたりします。

*12:たとえば、日ソ共同宣言で歯舞群島色丹島は「引渡し」されることとなっていますが、これは領土がどちらに帰属するのかをあえて明確にしない表現です。また、ポツダム宣言受諾に関する「subject to」の理解もこれと同じような論点だと思います。

*13:たとえば、日英なら、日本語ができる英語ネイティブと、英語ができる日本語ネイティブということです。

*14:【急転直下】「メイウェザー vs 那須川天心」がやっぱり実現か? 格闘技マニアに今後の展開を聞いてみた | ロケットニュース24

*15:前代未聞の対戦キャンセル メイウェザーの訴えに大反響 - ライブドアニュース

なお、メイウェザー選手のインスタグラムの投稿が削除されているため、私は原文を見ていません。

*16:この原因としては、文化の違いもあるでしょうが、外国企業にとって契約相手が外国所在のため、揉めるリスクを低く感じているというところもあるように思います。海を越えて相手方と裁判だ仲裁だとやるのは高コストであり、ハードルは高く、特に日本企業は法的紛争解決を忌み嫌う傾向が強いので、揉めても法的手段には出ないだろうと考えているところはあるように思います。

*17:ルール未定のメイウェザー狂騒曲。那須川天心と大晦日RIZINで対戦! - 格闘技 - Number Web - ナンバー

*18:繰り返しになりますが、私はこの体重差で戦わせたことへの疑問を持っています。また、那須川選手の身体や今後のキャリアへの影響もこれから分かってくることでしょうから、興業的に成功したとしても、同選手にとって成功だったかはまだわからないと思っています