「令和」で感じたこと

新しい元号の「令和」が発表されて1週間。この1週間は、私にとって、この国を憂うには十分な期間でした。

4月1日に、NHK元号発表の生放送をテレビの前で見ていた私が、最初に受けた印象を整理すると、「令和」というのは、和することを命令するという意味であり、書き下せば「和せしむ」になるのではないかということで、漢字が強烈だなということと、「令」という漢字は元号では見たことがないような気がするな、ということでした。

元号発表をNHKのスタジオで見守っていた本郷和人教授が、元号において令という漢字が使われたことはないように思うし、人名でも使われないと思われること、「和せしむ」と読めることを指摘され、微妙な表情をされていましたが、同じような思いでした。さて、それから一週間、保守を自認する私は、この元号についてつらつら考えていました。元号を重要視する人は減っているのでしょうが、私にとっては、自分の時を支配し、遠い将来において皇太子殿下の諡になり、歴史に刻まれる概念である以上、非常に重要なものなのです。その結果、私は、やはり、この元号に対する違和感を払拭できませんでした。

すなわち、令という漢字を見たときに、通常は「命令」が出てくるでしょうから、漢字としては強い印象を与えるものだと思います。過去に「令」が元号として使われたことがないのがその理由かどうかはわかりませんが、江戸時代に「令徳」が「徳川に命令する」と解釈し得ることから避けられたとの説がある*1ことからすれば、やはり「令」=「命令」と読めてしまうことは否定できないでしょう。いくら「令夫人」「令嬢」という単語があるといっても、「令」の後ろに「夫人」「嬢」といった名詞がつくパターンと、「和」という動詞がつくパターンを並列するのは少し無理があると思います。なお、安倍首相によれば、令和には「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込めたとされ、元号発表のその日の夜には、「令」は命令という意味ではなく、令嬢等のいい意味であると説明されていましたので*2、おそらく上のような突込みが入ることは想定していたのではないかという気もしますが、それでも躊躇わなかったということなのでしょう。そして、元号選定の過程で、「令」という漢字の強さに対し、誰も違和感を持たなかったか、指摘しなかったのでしょう。

この「和せしむ」について、平和にさせるという意味だからいいのではないかという言意見もあるようです。しかし、私の感覚では、和を命令するといえば、権力を有する者が、下の者に和平を命じたり、或いは、実力で天下を一統するようなイメージであり、積極的平和主義を謳うもののように感じられます。歴史上の人物で言えば、ヤマトタケル漢の武帝を想起します。このあたりは印象論なので、何を想起するかに個人差はあるでしょうけれども、そのような印象を与える元号にしたというのは、漢字に対する想像力が足りないのではないかと思わざるを得ません。

加えて言えば、元号という漢字をネイティブで読めるのは日本以外では、中華圏に限られるので、その辺りの印象も考慮に入れて頂きたかった。たとえば、中国人の友人複数に聞いたところでは、「令」は発音が「零」と通じるので、「和」がゼロという意味になりかねず、ネガティブな印象を持つようです。また、「令」にいい意味があるというのを知っている中国人も多くないようで、やはり命令というニュアンスを受けるとのことでした。台湾人の友人にはまだ印象は聞いていませんが、同じような印象を持たれる可能性を感じています。

他の元号の候補を見ると、「久化(きゅうか)」「英弘(えいこう)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」とされています。個人的には、「万和」が一番素晴らしいと思いますが、それ以外も特に問題を感じません*3。そんな中「令和」だけは、ニュアンスが強烈で、一つだけ浮いているように見えますので、なぜそれを選んだのか、全くわかりません。令和以外にも国書由来のものはあるようなので、漢籍を脱したかったなら、令和に拘らずともよかったと思います。

そして、初めての国書であるという説明も、すぐに、漢籍の影響があるとの指摘を受けています*4。成立時期を考えれば、漢籍の影響を受けていないはずはないでしょう。政府がこれを認識していたのかどうかは判然としませんが、このような指摘を受けるくらいなら、最初から、漢籍と国書の両方を踏まえたくらいの説明をすればよかったのにと思うところです。そうすれば、日中友好云々という説明もできたでしょう。

ところで、一時期いわゆる「きらきらネーム」というのが言われていましたが、これを漢字の意味・通常の読み方を離れた名前とするなら、今回の元号も同じにおいを感じます。「初春令月、気淑風和」ですが、春のよい日で風が気持ちいい、という程度で、全くメッセージ性を感じません…と思っていたのですが、昨日、品田教授の緊急寄稿とされる*5記事*6に接しました。これによれば、政府が意図していたかは別にして、令和には深い意味があるということになりそうです。この記事の中で、最も印象的だった部分を引用します。

これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛
烈に皮肉っている格好なのです。もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。
安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新年号「令和」が〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージを自分たちに突き付けてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはいとも迂闊であって、人の上に立つ資格などないということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。

私は万葉集については全く詳しくないので、テキストの背景は知りませんでしたし、こういう意味を「令和」が持ちうるというのも想像していませんでした。しかし、こういうことがあるので、元号については由来をきちんと検討すべきということです。さすがに、そのような迂闊な決定をした方々が人の上に立つ資格がないとまでは思いませんが*7、「令和」は次代の天皇陛下の諡となり、畏れ多くもそれを政府が決定する訳ですから、この迂闊さは許容しがたいように思います。

最後に、いわゆる保守を自認される方々が、漢籍ではなく国書によるべきであるとの主張をされていることには失望を禁じ得ません。先に引用した毎日新聞の記事の中の以下の言及こそが保守の本来的認識ではないかと思いますし、古から渋沢栄一まで日本の知識人の知や倫理の骨格を形成していたのは間違いなく、むしろ、戦乱で荒れた中国大陸ではなく、日本においてこそその古典が生き残っていることを誇ってもいいのではないかとすら思います。

中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

 中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味
中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。
中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

本来の保守であれば、そのような迂闊な決定をした政府を批判してしかるべきでしょう。それにもかかわらず、そのような批判はまだあまり見られないのが残念です。

*1:幕末幻の元号「令徳」が示す改元のインパクト

*2:安倍首相「令は『良い』の意味」 野党批判に反論 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

*3:先述した本郷教授が指摘されているのとおおむね同意見です。ただし、論語の巧言令色を引くのは、やや牽強付会の印象があります。「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 | AbemaTIMES

*4:令和の出典、漢籍の影響か 1~2世紀の「文選」にも表現 - 毎日新聞

*5:現時点でこれが品田教授の寄稿であるかの裏は十分に取れていないのですが、少なくともこの内容については全く同感です。

*6:https://docs.wixstatic.com/ugd/9f1574_d3c9253e473440d29a8cc3b6e3769e52.pdf

*7:統治者が学問を修めていなければならないとは思いませんが、仮に自分が学問に通じていないのであれば、適宜な補佐を得て適切に決定すべきです。