井波律子先生の逝去を悼む

2020年5月13日、井波律子先生が逝去された。
初めて井波先生の本に接したのは、大学生の時に読んだちくまの正史三国志であった。当時私は貧乏学生で、通常の新書の倍の値段がすることもあって、好きな人物について立ち読みをしていたのだが、最後には我慢できなくなって曹操が載っている魏書だけ買った。白文を読む能力がない私にとって、井波先生は、漢籍に接させてくれる有難い指導者だった。私は先生にお会いしたことすらないが、勝手に自分の人生における師匠の一人のように思っていた。
 
正史三国志もそうだが、とにかく井波先生の翻訳は読みやすく、文章も美しい。たとえば、ご著書の「完訳 論語」は、前書きの文章が引き締まった名文で、どうやったらこういう文章が書けるのだろうと思わされた。同書は、私が人生に悩んだときに買った一冊で、私の自宅の机のすぐ横に置いてあり、疲れたときは手に取っている。読書は著者との会話と言われるが、楽しい会話ができるかはその人の文章次第で、文章は人格の顕れだと思う。井波先生の文章は、優しさにあふれていて、読んでいて励まされるものだった。
 
心よりお悔やみ申し上げたい。