埼玉県虐待禁止条例改正案について

今話題の、埼玉県虐待禁止条例の改正案について、少し調べてみました。報道では、子どもを留守番させる=放置=虐待=通報とされることもありますが、改正案を見る限りは、放置=虐待とはなっておらず、放置すると直ちに虐待に該当するわけではなさそうです。ただ、放置概念が広範すぎる点は明らかに問題で、批判されてもやむなしかと思います。また、条例案を提出した自民党の県議団団長が、放置は虐待に当たると明言したことで、放置=虐待という理解がされ、批判が大きくなっているようにも思います。

■概要

埼玉県虐待禁止条例は、平成29年に制定された埼玉県の条例(平成二十九年七月十一日条例第二十六号)です。平成30年4月1日に施工されています。議員提案政策条例であり、埼玉県議会自由民主党議員団でプロジェクトチームを立ち上げ、ヒアリングを行い、パブリックコメントを経て条例案が作成されています。

当時、自治体法務研究において、同プロジェクトチームの会長と事務局長を著者とする記事(以下「本件記事」といいます。)により解説がなされているほか*1、埼玉県虐待禁止条例の逐条解説(未定稿)*2(以下「本件コンメ」といいます。)というのもあります。なお、「未定稿」とありますが、インターネット上では、これが最終版の逐条解説であるという記載もありました*3

 

■現行の埼玉県虐待禁止条例

現行の埼玉県虐待禁止条例(以下「現行条例」といいます。)は、全25条で、本件記事にも言及のある通り、①虐待の防止、②虐待の早期発見・早期対応、③児童等への援助、④人材育成等について規定します。現行条例で対象とされているのは、児童だけでなく、高齢者や障害者も含まれており、条文上、「児童等」というのは、児童、高齢者及び障害者を含むとされています。ただし、今回は児童に関する規定が注目されているので、本稿も児童のみについて述べます。

まず、現行条例では、児童に対する虐待とは、以下のように定義されています(現行条例2条1号)。虐待の範囲は、国の法律より広くなっています。

イ 国の法律である児童虐待防止法に規定される虐待行為

なお、児童虐待防止法に規定される児童虐待とは以下の通り、保護者が監護する児童に対してする、暴行、わいせつ行為、顕著なネグレクト、極端な暴言やDV等とされており、これらは現行条例の虐待に含まれます。

児童虐待の定義)

第二条 この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。

一 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。

二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。

三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。

四 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。

 

ロ 養護者又は児童等の親族が当該児童等の財産を不当に処分することその他当該児童等から不当に財産上の利益を得ること。

ハ 施設等養護者が児童等を養護すべき職務上の義務を著しく怠ること。

ニ 使用者である養護者がその使用する児童等について行う心身の正常な発達を妨げ、若しくは衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置、その使用する他の労働者によるイに掲げる行為と同様の行為の放置その他これらに準ずる行為を行うこと。

また、児童とは、十八歳未満の者をいい(現行条例2条2号)、養護者とは、児童等を現に養護する者をいいます(現行条例2条5号)。

次に、現行条例は「養護者」について、「施設等養護者」「使用者である養護者」と、それ以外の養護者を区別して義務を定めています。これは、プロとアマチュアの区別を前提にした使い分けです。すなわち、子どもの面倒を見ている親は、多くの場合、「施設等養護者」でも「使用者である養護者」でもない養護者(以下「アマ養護者」といいます。)に当たるということになりそうです。

これに対し、「施設等養護者」は、児童福祉施設や学校を含みます。「使用者である養護者」は明確な定義はないですが、本件コンメによれば、使用者とは、児童の雇用主又は同僚を指すとされています。したがって、「施設等養護者」「使用者である養護者」はプロ養護者ということになりそうです。

 

■現行条例の養護者や埼玉県民が負う義務・責務

現行条例において養護者がどんな義務・責務を負うかですが、以下の通りです。

1 児童等に対して虐待をしてはならない責務(現行条例5条1項)

2 自らが児童等の安全の確保について重要な責任を有していることを認識し、県、市町村及び関係団体による支援を受ける等して、その養護する児童等が安全に安心して暮らすことができるようにする責務(現行条例5条2項)

3 アマ養護者について、養護する児童等の安全の確保について配慮する義務(現行条例6条1項)

4 プロ養護者について、養護する児童等の安全の確保について専門的な配慮をする義務(現行条例6条2項)

5 深夜(午後11時から翌午前4時)に児童を外出させないよう努める義務(現行条例6条3項)

また、これに加えて、埼玉県民は、以下の努力義務を負います。

6 基本理念についての理解を深め、県民と児童等及びその養護者との交流が虐待の防止等において重要な役割を果たすことを認識し、虐待のない地域づくりのために積極的な役割を果たすよう努めるとともに、県及び市町村が実施する虐待の防止等に関する施策に協力するよう努めるものとする(8条)。

これ以外には、アマ養護者・プロ養護者や県民が負う義務の規定はなく、残りは県や関係団体に対して義務を課す条文です。たとえば、虐待予防の取組義務(現行条例9条)、虐待を受けた・虐待を受けたと思われる児童等を発見した者にとって通告又は通報を行いやすい環境整備の努力義務(現行条例13条1項)や、県と児童相談所、警察署、市町村、関係団体との虐待に関する情報共有促進義務(現行条例14条1項)、児童の福祉に関する事務に従事する者に対する研修を実施する義務(現行条例19条1項)、発生した重大な虐待等について県が検証を行う義務(現行条例22条)など、たくさんの義務が規定されています。

以上からすると、養護者が負う義務としては345であり、加えて、養護者は12の責務を、県民は6の努力義務を負うということになります。全体として、県の虐待防止の努力を求めつつ、養護者や県民に対して、国の法律より広い範囲で虐待を定義して、そのような事態にならないよう児童の安全に配慮を求めるものです。

 

■今回の条例改正案審議の経緯等について

さて、2023年10月になってウェブ上の全国ニュースで話題になっている条例改正案(以下「本改正案」といいます。)についてです。報道によれば、埼玉県議会福祉保健医療委員会は、2023年10月6日、自民党県議団が提出した条例改正案を賛成多数で解決したとのことです。この改正案に対して、幅広い家庭が条例違反になりかねないとして、無所属県民会議が9歳以下に対しても努力義務とする修正案を提出し、民主フォーラムが継続審議を求めたが、否決されたとのことです。また、自由民主党埼玉県議団団長の田村琢実氏(以下「田村氏」といいます。)は、「罰則規定を今後検討するかについて、「あまりにも子どもの放置事例が出てくれば再考する必要がある。まず(放置は虐待という)認識を広めることに重きを置いている。(3年生以下の線引きは)学童保育の現状を含め、広域行政のバックアップを想定して決定している」と考えを示した。」とのことです*4*5。10月13日の本会議で成立する見通しで、現状の改正案通り成立すれば、2024年4月1日から施行されることになります。

改正案の内容は、埼玉県のウェブサイト*6で確認できます。これによると、52名の埼玉県議会議員が、2023年10月4日に提出したとされ、提出理由は「児童が放置されることにより危険な状況に置かれることを防止するため、児童を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない旨を定めるなどをしたいので、この案を提出するものである。」とされています。

埼玉県議会自由民主党議員団のウェブサイト*7を見ると、2023年6月、7月、9月、10月に、埼玉県虐待禁止条例の一部改正検討プロジェクトチームが開催されているようです。2023年には少なくとも他に開催の広報はされていませんでした。

福祉保健医療委員会は、定数12で、メンバーは以下の通りです*8

 

 

正副委員長

議席番号

氏名

会派名

委員長 

37

渡辺大

自民

副委員長

23

柿沼貴志

自民

 

4

渡辺聡一郎

自民

 

25

戸野部直乃

公明

 

27

小川寿士

民主フォーラム

 

29

城下のり子

共産党

 

31

八子朋弘

県民

 

48

木下博信

自民

 

61

辻浩司

民主フォーラム

 

64

日下部伸三

自民

 

65

小久保憲一

自民

 

89

小谷野五雄

自民

 

■改正の内容

では、問題視されている改正案はいかなるものかについて、以下に改正前後の比較表(新旧対照表)にて整理します。

現行

改正案

(新設)

 

第六条の二 児童(九歳に達する日以後の最初の三月三十一日までの間にあるものに限る。)を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない。

2 児童(九歳に達する日以後の最初の三月三十一日を経過した児童であって、十二

歳に達する日以後の最初の三月三十一日までの間にあるものに限る。)を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置(虐

待に該当するものを除く。)をしないように努めなければならない。

3 県は、市町村と連携し、待機児童(

保育所における保育を行うことの申込みを行った保護者の当該申込みに係る児童であって保育所における保育が行われていないものをいう。)に関する問題を解消するための施策その他の児童の放置の防止に資する施策を講ずるものとする。

 

(県民の役割)

第八条 県民は、基本理念についての理解を深め、県民と児童等及びその養護者との交流が虐待の防止等において重要な役割を果たすことを認識し、虐待のない地域づくりのために積極的な役割を果たすよう努めるとともに、県及び市町村が実施する虐待の防止等に関する施策に協力するよう努めるものとする。

 

(県民の役割)

第八条 県民は、基本理念についての理解を深め、県民と児童等及びその養護者との交流が虐待の防止等において重要な役割を果たすことを認識し、虐待のない地域づくりのために積極的な役割を果たすよう努めるとともに、県及び市町村が実施する虐待の防止等に関する施策に協力するよう努めるものとする。

2 県民は、虐待を受けた児童等(虐待を受けたと思われる児童等を含む。第十三条及び第十五条において同じ。)を発見した場合は、速やかに通告又は通報をしなければならない。

 

十三条 県は、早期に虐待を発見することができるよう、市町村と連携し、虐待を受けた児童等(虐待を受けたと思われる児童等を含む。以下この条及び第十五条において同じ。)を発見した者にとって通告又は通報を行いやすい環境、虐待を受けた児童等にとって届出を行いやすい環境及び虐待を受けた児童等の家族その他の関係者にとって相談を行いやすい環境の整備に努めなければならない。

2 県は、市町村と連携し、虐待を受けた児童等に係る通告、通報及び届出を常時受けることができる環境の整備に努めなければならない。

3 県は、虐待を受けた児童等に係る通告、通報、届出又は相談を行った者に不利益が生ずることがないよう、その保護について必要な配慮をしなければならない。

 

十三条 県は、早期に虐待を発見することができるよう、市町村と連携し、虐待を受けた児童等を発見した者にとって通告又は通報を行いやすい環境、虐待を受けた児童等にとって届出を行いやすい環境及び虐待を受けた児童等の家族その他の関係者にとって相談を行いやすい環境の整備に努めなければならない。

2 県は、市町村と連携し、虐待を受けた児童等に係る通告、通報及び届出を常時受けることができる環境の整備に努めなければならない。

3 県は、虐待を受けた児童等に係る通告、通報、届出又は相談を行った者に不利益が生ずることがないよう、その保護について必要な配慮をしなければならない。

 

 

今回の改正の要点は以下の通りです。

1 小学3年生以下の児童を現に養護する者は、その児童を住居等に残したまま外出してはならない義務を負う(本改正案6条の2第1項)。

2 小学4年生以上小学6年生以下の児童を現に養護する者は、その児童を住居等に残したまま外出してはならない努力義務を負う(本改正案6条の2第2項)。

3 県は、待機児童に関する問題を解消するための施策その他の児童の放置の防止に資する施策を講ずる(本改正案6条の2第3項)。

4 県民は、虐待を受けた児童等を発見した場合は、児童福祉法上の通告をしなければならない(本改正案8条2項)。

以下では、12で課されている義務を「放置禁止義務」(2は1と違って努力義務ですが、義務の内容自体は同じなので、このようにまとめます。)、4で課されている義務を「通告義務」といいます。

 

■本改正案に対する感想

ここからは本改正案に対する感想です。

  • 全体的に、現行条例とのトーンの差が大きいように感じます。現行条例は、基本的に養護者や県民に対する義務は最低限のものとしていたのに対し、本改正案は、現に児童を養護する者に対して義務や努力義務を課し、県民に通告義務を課しています。たとえば、現行条例では、安全配慮義務の具体化として、児童の安全を確保するために深夜外出をさせない努力義務が課されており(現行条例6条3項)、これは児童の安全を確保できない深夜外出を防ぐ努力をせよ・努力をしなければ条例違反となる、というレベルでした。それに対し、本改正案では、放置禁止義務に違反した瞬間、条例違反になります。特に、小学3年生以下の児童については、努力義務ですらないので、住居等に残して外出しただけで条例違反になります。このような行為を条例違反と評価することで、虐待の発生を防ぎたいということでしょうが、それは努力義務や、児童の安全を確保できない外出のみを制限すれば足りると思われ、合理的理由が見出しがたく感じます。
  • 3は、待機児童、つまり就学前児童についての施策であり、小学生には関係がないと思います。そのため、この条文を、本改正案6条の2に入れたのは、その意図はないにせよ、法文としては唐突感が強く、いかにも言い訳のように感じます。待機児童の問題は解消の方向に向かっており、埼玉県の待機児童は、平成30年の1552人に対し、令和5年は347人です*9。入所申込者数は増加しているとのことですので、今後も解消の努力はすべきでしょうが、本改正案が施行されると、放置禁止義務が生じるので、これまで保育所に入る必要がなかった児童を保育所に入れるべきとなり、ニーズが増えることを想定しているのでしょうか。また、小学生については、保育所ではなく学童等の整備が必要になると思われますが、埼玉の学童待機児童の数は相当多いようです*10。報道によれば、田村氏は、3年生以下の線引きは、学童保育の現状を含め、広域行政のバックアップを想定して決定していると述べているようですが、それと条文の関係が理解し難く思います。こういった理由から、3については制定の理由が分かりかねます。
  • 4は、現行条例上の虐待を受けた児童等を発見したときに、児童福祉法児童虐待防止法上の通告をせよというものです。児童福祉法上の通告は、要保護児童(保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認められる児童)を発見した者に、通告義務を課すものです(児童福祉法25条、6条の3第8項)。また、児童虐待防止法上の通告は、児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者に対し通告義務を課すものです(児童虐待防止法6条1項)。ここで留意すべきは、現行条例上の「虐待」の範囲が児童虐待防止法上の虐待より広いことです。つまり、県民は、児童虐待防止法より重い義務を負うことになります。
  • 報道によれば、田村氏は「放置は虐待である」という発言もされたようです。しかし、本改正案を見る限り、放置禁止義務違反は、ただちに虐待になるわけではなく、虐待の定義に含まれる「児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置」(現行条例2条1号イ、児童虐待防止法2条1項3号)に該当する場合に虐待になるということかと思います。一方で、本改正案6条の2第2項の「当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置(虐待に該当するものを除く。)」という記載からすると、放置禁止義務が虐待に該当しうることも前提にされているようです。
  • 報道によれば、田村氏は、罰則規定については、「あまりにも子どもの放置事例が出てくれば再考する」と述べたようです。これは、通告義務の罰則に言及するものかと思いますが、児童虐待防止法上、通告義務違反に罰則はないと思いますので、流石に行き過ぎではないかと思います。

法的に見たときのこの条例の問題点としては、(i)放置の概念が広すぎること、(ii)放置禁止義務において、禁止される放置が、生命身体に危険が及びうる場合等によって絞り込まれていないこと、(iii)努力義務になっていないことがあるように思います。実際に、著しく危険な放置を禁止するのはいいとしても、放置の定義が過度に広範で曖昧という批判がされていますが、これは全く妥当だと思います。

また、想定される問題となる場面としては、子どもだけでの外出や公園で遊ぶことや、子どもだけでの下校(学校から学童への移動も含む)、留守番といったことがあろうかと思います。本改正案では、これらが条例違反になる可能性は否定できません。これらの行為が制限されることで得られるメリットが、本改正案を念頭に対応をする必要がある学校や学童等の現場の負担が増えるデメリット(ひいてはそれは保護者や納税者としての国民に跳ね返ること)に見合うのかよく分かりません。また、田村氏の発言も踏まえると、本改正案は、留守番を許容せず、学童や保育所の利用を促進したいと考える必要がありそうですが、福祉予算を増やす方向の施策が現在の日本にマッチするのかというのも疑問です。

いずれにせよ、理念には共感できる部分はあるものの、ワーディングに大いに問題がある条例であり、報道されているような懸念が様々な方向から示されるのは至極当然というように思います。たとえば、放置については、ある程度範囲を絞ったうえで、安全配慮義務の一類型として、現行条例6条3項の深夜外出防止の努力義務と同じように規定すればよかったのではないでしょうか。

 

■現行条例

埼玉県虐待禁止条例

平成二十九年七月十一日
条例第二十六号

埼玉県虐待禁止条例をここに公布する。

埼玉県虐待禁止条例

 

目次

第一章 総則(第一条―第八条)

第二章 虐待の予防(第九条―第十二条)

第三章 虐待の早期発見及び虐待への早期対応(第十三条―第十五条)

第四章 児童等に対する援助等(第十六条・第十七条)

第五章 人材の育成等(第十八条―第二十二条)

第六章 雑則(第二十三条―第二十五条)

附則

 

第一章 総則

(目的)

第一条 この条例は、児童、高齢者及び障害者(以下「児童等」という。)に対する虐待の禁止並びに虐待の予防及び早期発見その他の虐待の防止等(以下「虐待の防止等」という。)に関し、基本理念を定め、県及び養護者の責務並びに関係団体及び県民の役割を明らかにするとともに、虐待の防止等に関する施策についての基本となる事項を定めることにより、当該施策を総合的かつ計画的に推進し、もって児童等の権利利益の養護に資することを目的とする。

 

(定義)

第二条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。

一 虐待 次のいずれかに該当する行為をいう。

イ 養護者がその養護する児童等について行う児童虐待の防止等に関する法律(平成十二年法律第八十二号。以下「児童虐待防止法」という。)第二条各号、高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律(平成十七年法律第百二十四号。以下「高齢者虐待防止法」という。)第二条第四項第一号及び障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律(平成二十三年法律第七十九号。以下「障害者虐待防止法」という。)第二条第六項第一号に掲げる行為

ロ 養護者又は児童等の親族が当該児童等の財産を不当に処分することその他当該児童等から不当に財産上の利益を得ること。

ハ 施設等養護者が児童等を養護すべき職務上の義務を著しく怠ること。

ニ 使用者である養護者がその使用する児童等について行う心身の正常な発達を妨げ、若しくは衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置、その使用する他の労働者によるイに掲げる行為と同様の行為の放置その他これらに準ずる行為を行うこと。

二 児童 児童虐待防止法第二条の児童をいう。

三 高齢者 高齢者虐待防止法第二条第一項の高齢者(同条第六項の規定により高齢者とみなされる者を含む。)をいう。

四 障害者 障害者虐待防止法第二条第一項の障害者をいう。

五 養護者 児童等を現に養護する者をいう。

六 施設等養護者 養護者のうち、児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)第七条第一項の児童福祉施設(次号において「児童福祉施設」という。)その他の知事が告示で定める施設又は事業(第十九条において「児童福祉施設等」という。)に係る業務に従事する者、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条の学校、同法第百二十四条の専修学校及び同法第百三十四条第一項の各種学校(これらのうち児童が在籍しているものに限る。以下「学校」という。)の教職員、高齢者虐待防止法第二条第二項の養介護施設従事者等(第二十条において「養介護施設従事者等」という。)、障害者虐待防止法第二条第四項の障害者福祉施設従事者等(第二十一条において「障害者福祉施設従事者等」という。)並びに医療法(昭和二十三年法律第二百五号)第一条の五第一項の病院及び同条第二項の診療所(患者を入院させるための施設を有するものに限る。)(次号において「病院等」という。)の医師、看護師その他の従業者をいう。

七 関係団体 児童福祉施設、学校、高齢者虐待防止法第二条第五項第一号の養介護施設(第二十条第二項において「養介護施設」という。)、障害者虐待防止法第二条第四項の障害者福祉施設(第二十一条第二項において「障害者福祉施設」という。)、病院等その他児童等の福祉に業務上関係のある団体をいう。

八 通告 児童福祉法第二十五条第一項及び第三十三条の十二第一項並びに児童虐待防止法第六条第一項の規定による通告をいう。

九 通報 高齢者虐待防止法第七条第一項及び第二項並びに第二十一条第一項から第三項までの規定並びに障害者虐待防止法第七条第一項、第十六条第一項及び第二十二条第一項の規定による通報をいう。

十 届出 児童福祉法第三十三条の十二第三項、高齢者虐待防止法第九条第一項及び第二十一条第四項並びに障害者虐待防止法第九条第一項、第十六条第二項及び第二十二条第二項の規定による届出をいう。

 

(基本理念)

第三条 虐待は、児童等の人権を著しく侵害するものであって、いかなる理由があっても禁止されるものであることを深く認識し、その防止等に取り組まなければならない。

2 虐待の防止等は、特定の個人又は家族の問題にとどまるものではないことから、社会全体の問題として、県、県民、市町村、関係団体等の地域の多様な主体が相互に連携を図りながら取り組まなければならない。

3 虐待の防止等に関する施策の実施に当たっては、児童等の生命を守ることを最も優先し、児童等の最善の利益を最大限に考慮しなければならない。

4 養護者(施設等養護者及び使用者である養護者を除く。以下この項において同じ。)に対する支援は、それが虐待の予防に資するものであることに鑑み、養護者が虐待を行うおそれがないと認められるまで切れ目なく行われなければならない。

 

(県の責務)

第四条 県は、前条の基本理念(第七条第二項及び第八条において「基本理念」という。)にのっとり、虐待の防止等に関する施策を策定し、及びこれを実施するとともに、必要な体制を整備するものとする。

2 県は、市町村に対し、福祉、保健、教育等に関する業務を担当する部局の相互の連携を強化し、児童等を守るための役割を主体的に担うよう求めるとともに、市町村が実施する虐待の防止等に関する施策に関し、必要な助言その他の援助を行うものとする。

3 県は、市町村と連携し、関係団体が行う虐待の防止等に関する活動について必要な協力を行うものとする。

 

(養護者の責務)

第五条 養護者は、児童等に対し、虐待をしてはならない。

2 養護者は、自らが児童等の安全の確保について重要な責任を有していることを認識し、県、市町村及び関係団体による支援を受ける等して、その養護する児童等が安全に安心して暮らすことができるようにしなければならない。

 

(養護者の安全配慮義務

第六条 養護者(施設等養護者及び使用者である養護者を除く。)は、その養護する児童等の生命、身体等が危険な状況に置かれないよう、その安全の確保について配慮しなければならない。

2 養護者(施設等養護者及び使用者である養護者に限る。)は、その養護する児童等の生命、身体等が危険な状況に置かれないよう、その安全の確保について専門的な配慮をしなければならない。

3 児童を現に養護する者は、その養護する児童の安全を確保するため、深夜(午後十一時から翌日の午前四時までの間をいう。)に児童を外出させないよう努めなければならない。

 

(関係団体の役割)

第七条 関係団体は、虐待を発見しやすい立場にあることを認識し、虐待の早期発見に努めるとともに、その専門的な知識及び経験を生かし、児童等及びその養護者に対する支援を行うよう努めるものとする。

2 関係団体は、基本理念にのっとり、県、市町村及び他の関係団体と連携し、県及び市町村が実施する虐待の防止等に関する施策に積極的に協力するよう努めるものとする。

 

(県民の役割)

第八条 県民は、基本理念についての理解を深め、県民と児童等及びその養護者との交流が虐待の防止等において重要な役割を果たすことを認識し、虐待のない地域づくりのために積極的な役割を果たすよう努めるとともに、県及び市町村が実施する虐待の防止等に関する施策に協力するよう努めるものとする。

 

第二章 虐待の予防

(虐待予防の取組)

第九条 県は、虐待の予防に資するため、市町村及び関係団体と連携し、児童等が安全に安心して暮らせるよう、養護者、県民等に対し、虐待の防止等に関する情報の提供及び相談の実施その他の必要な措置を講ずるものとする。

 

児童虐待予防の取組)

第十条 県は、児童に対する虐待の予防に資するため、市町村が養護者(施設等養護者及び使用者である養護者を除く。)に対し、妊娠、出産、育児等の各段階に応じた切れ目のない支援を行うことができるよう、情報の提供その他の必要な援助を行うものとする。

 

(乳児家庭全戸訪問事業等による児童虐待予防の取組)

第十一条 県は、児童に対する虐待の予防に資するため、市町村に対し、児童福祉法第六条の三第四項の乳児家庭全戸訪問事業及び同条第五項の養育支援訪問事業(以下この条において「乳児家庭全戸訪問事業等」という。)の実施に関し、家庭への支援が適切に実施されるよう、情報の提供その他の必要な援助を行うものとする。

2 県は、市町村が乳児家庭全戸訪問事業等の対象となる全ての児童の状況を把握することができるよう、必要な措置を講ずるものとする。

3 県は、市町村に対し、乳児家庭全戸訪問事業等の実施状況について、必要と認める事項の報告を求めることができる。

 

(啓発活動)

第十二条 県は、虐待の防止等に関する県民の理解を深めるため、市町村と連携し、分かりやすいパンフレット等の作成及び配布、養護者に対する研修の実施その他の必要な啓発活動を行うものとする。

2 県は、学校の授業その他の教育活動において、児童の発達段階に応じた適切な虐待の防止等に関する教育を行う機会を確保するため、市町村と連携し、必要な施策を実施するものとする。

3 学校は、児童及びその保護者(児童虐待防止法第二条の保護者をいう。)に対し、虐待の防止等のための教育又は啓発に努めなければならない。

 

第三章 虐待の早期発見及び虐待への早期対応

(通告、通報、届出及び相談の環境の整備等)

十三条 県は、早期に虐待を発見することができるよう、市町村と連携し、虐待を受けた児童等(虐待を受けたと思われる児童等を含む。以下この条及び第十五条において同じ。)を発見した者にとって通告又は通報を行いやすい環境、虐待を受けた児童等にとって届出を行いやすい環境及び虐待を受けた児童等の家族その他の関係者にとって相談を行いやすい環境の整備に努めなければならない。

2 県は、市町村と連携し、虐待を受けた児童等に係る通告、通報及び届出を常時受けることができる環境の整備に努めなければならない。

3 県は、虐待を受けた児童等に係る通告、通報、届出又は相談を行った者に不利益が生ずることがないよう、その保護について必要な配慮をしなければならない。

 

(情報の共有)

第十四条 県は、虐待の早期発見及び虐待への早期対応を図るため、個人情報の保護に留意しつつ、児童相談所、警察署、市町村、関係団体その他の虐待の防止等に関係するものの間における虐待に関する情報の共有の促進その他の緊密な連携の確保を図るための措置を講ずるものとする。

2 知事及び警察本部長は、虐待を防止するため、相互に虐待に関する情報又は資料を提供することができる。

3 知事及び警察本部長は、相互に情報又は資料を提供したときは、緊密な情報の共有を図るため、その後も引き続き相互に必要な情報又は資料の提供を行うものとする。

4 県は、虐待の防止等を適切に実施するため、他の都道府県その他の地方公共団体と連携し、虐待に関する情報を共有するよう努めるものとする。

 

(早期対応)

第十五条 県は、虐待に関する通告、通報、届出又は相談を受けたときは、必要に応じ、市町村及び関係団体と連携し、速やかに、当該通告、通報、届出又は相談に係る虐待を受けた児童等の安全の確認を行うための措置その他の必要な措置を講ずるものとする。

第四章 児童等に対する援助等

 

(虐待を受けた児童等に対する援助)

第十六条 県は、虐待を受けた児童等に対し、虐待から守られた良好な生活環境の確保及び心身の健康の回復を図るため、市町村及び関係団体と連携し、必要な援助その他の必要な措置を講ずるものとする。

 

(養護者に対する支援)

第十七条 県は、養護者(施設等養護者及び使用者である養護者を除く。以下この条において同じ。)の負担の軽減を図るため、市町村及び関係団体と連携し、情報の提供、相談の実施その他の必要な支援を適切に行うとともに、養護者が安心して子育て並びに高齢者及び障害者の養護を行うことができるよう、環境の整備を行うものとする。

2 県は、虐待を行った養護者が良好な家庭的環境を形成し、及び虐待を繰り返すことがないよう、市町村及び関係団体と連携し、当該養護者に対し、必要な指導及び支援その他の必要な措置を講ずるものとする。

 

第五章 人材の育成等

(人材の育成)

第十八条 県は、県、市町村及び関係団体において専門的知識に基づき虐待の防止等が適切に行われるよう、これらに係る専門的知識を有する人材を育成し、及び確保するために必要な措置を講ずるものとする。

 

(虐待の防止等に関する研修)

第十九条 県は、児童に対する虐待の防止等が専門的知識に基づき適切に行われるよう、これらの職務に携わる専門的な人材の資質の向上を図るため、児童の福祉に関する事務に従事する者に対する研修を実施するものとする。

2 児童福祉施設等の設置者若しくは事業を行う者又は学校の設置者は、その業務に従事する者又は教職員に対し、児童に対する虐待の防止等に関する研修を実施するものとする。

3 児童福祉施設等に係る業務に従事する者及び学校の教職員は、前項の規定による研修を受けるものとする。

 

第二十条 県は、高齢者に対する虐待の防止等が専門的知識に基づき適切に行われるよう、これらの職務に携わる専門的な人材の資質の向上を図るため、高齢者の福祉に関する事務に従事する者に対する研修を実施するものとする。

2 養介護施設の設置者又は高齢者虐待防止法第二条第五項第二号の養介護事業を行う者は、その養介護施設従事者等に対し、高齢者に対する虐待の防止等に関する研修を実施するものとする。

3 養介護施設従事者等は、前項の規定による研修を受けるものとする。

 

第二十一条 県は、障害者に対する虐待の防止等が専門的知識に基づき適切に行われるよう、これらの職務に携わる専門的な人材の資質の向上を図るため、障害者の福祉に関する事務に従事する者に対する研修を実施するものとする。

2 障害者福祉施設の設置者又は障害者虐待防止法第二条第四項の障害福祉サービス事業等を行う者は、その障害者福祉施設従事者等に対し、障害者に対する虐待の防止等に関する研修を実施するものとする。

3 障害者福祉施設従事者等は、前項の規定による研修を受けるものとする。

 

(虐待に係る検証)

第二十二条 県は、市町村と連携し、県内で発生した児童等の心身に著しく重大な被害を及ぼした虐待について検証を行うものとする。ただし、県が行う検証と同等の検証を市町村が行う場合は、この限りでない。

 

第六章 雑則

(児童又は高齢者に準ずる者に対する措置)

第二十三条 県は、この条例の趣旨にのっとり、市町村と連携し、児童又は高齢者以外の者であっても、現に養護を受けている者で、特に必要があると認められるものについては、児童又は高齢者に準じて必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

 

(体制の整備)

第二十四条 県は、虐待の防止等を適切に実施し、及び虐待を受けた児童等に迅速かつ適切に対応するため、県、市町村、関係団体等の相互間の緊密な連携協力体制の整備に努めるものとする。

2 前項の連携協力体制の整備に当たっては、虐待を受けた児童等の適切な保護と養護者(施設等養護者及び使用者である養護者を除く。)に対する効果的な支援との両立が図られるよう配慮するものとする。

3 県は、市町村が設置する児童福祉法第二十五条の二第一項の要保護児童対策地域協議会の機能の強化及び運営の充実を図るため、必要な援助を行うものとする。

 

(財政上の措置)

第二十五条 県は、虐待の防止等に関する施策を推進するため、必要な財政上の措置を講ずるよう努めるものとする。

 

附 則

1 この条例は、平成三十年四月一日から施行する。

2 県は、社会状況の変化等を踏まえ、必要に応じこの条例について見直しを行うものとする。フォームの始まり

フォームの終わり

 

 

 

パートナー弁護士になって思うこと(弁護士事務所の組織について)

今回は、弁護士事務所の組織という、おそらくあまり世の中的に興味を持たれないであろうことを書こうと思います。

さて、複数のパートナー弁護士が所属する弁護士事務所というのは、多くの場合、パートナーシップ制に基づき運営されています(弁護士法人かどうかを問わない)。このパートナーシップ制というのは、非常にわかりにくい制度ですが、民法上の組合や、取締役会非設置の株式会社のようなもので、意思決定にあたっては、パートナー弁護士の少なくとも過半数の同意を得る必要があります。

その仕組みとして、ある程度の規模事務所であれば、パートナー会議という最高意思決定機関があり、事務所の意思決定は同会議で行われます。また、大規模事務所では、パートナーの数が多く、同会議で意思決定をするコストが高くなることから、一部のパートナーがマネージングパートナーを務めたり、取締役会のような会議が設置され、日常的な意思決定をゆだねることがあります。

たとえば、日本最大手の西村あさひ法律事務所は以下のようにパートナー会議が最高意思決定機関となっているようであり、かつ、同事務所には「執行パートナー」や「執行委員会」という概念があるので*1、パートナー会議&マネージングパートナーという仕組みを取っているように見えます。

組織形態としてはパートナー制を採っていて、重要な意思決定は約200名が参加するパートナー会議で議論の上、議決権を持った約100名のパートナー弁護士の意思を集約して行われます。
 コンサルファームのパートナー制に似ていますが、構造としての大きな違いは、いわゆる会社組織的な上下関係ではなく、限りなくフラットに近いこと。トップダウンでどんどん決めるということはできません。

出典:

【西村あさひ】「人こそ資本」のプロファームが挑んだ約20年ぶりの人事制度改革の全貌

また、パートナー会議に約200名が参加し、そのうち約100名が議決権を有するとされています。つまり、同事務所では、ウェブサイトの肩書上は明示されていないようですが、パートナー会議に参加できるだけのパートナー弁護士と、参加し議決権を有するパートナー弁護士がいるようです。これも大手弁護士事務所では時々見られる制度で、「一定の条件」をクリアした弁護士が、議決権を有するパートナー(「エクイティパートナー」と言われることが多いような印象です。)に就任することが多いと思われます。

ところで、この区別は大規模弁護士事務所の組織については重要です。すなわち、大規模事務所では、パートナーの数が相当多い事務所がありますが、この場合、エクイティパートナーではないパートナーを増やしている可能性もあると思います。私は、企業法務を扱う大規模事務所の場合、自分のキャパシティを超えて案件を獲得する弁護士:それ以外の弁護士(案件を割り当てられる弁護士)=1:2以上にする必要があると考えていますが、世の中には1:2を大きく割っている事務所が見られます。このような事務所で、パートナー弁護士全員が、自分のキャパシティを超えて案件を獲得した場合、案件処理が間に合わなくなりパンクします。

ではなぜこのような状態が生じるかというと、パートナー弁護士の一部が、「案件を割り当てられる弁護士(ただし処理能力が高い)」ということだと思われます。つまり、伝統的には、一部のオーナー系事務所を除けば、パートナー弁護士=「自分のキャパシティを超えて案件を獲得する弁護士」で、アソシエイト弁護士=「案件を割り当てられる弁護士」だったのが、パートナー弁護士に、「自分のキャパシティを超えて案件を獲得する弁護士」だけでなく、「案件を割り当てられる弁護士(ただし、処理能力が高い)」が含まれるようになってきているのだろうと思います*2

しかし、パートナー弁護士の中に、「案件を割り当てられる弁護士(ただし、処理能力が高い)」が含まれると、パートナー弁護士とアソシエイト弁護士の境界線が曖昧になります。実際には、パートナー弁護士よりも案件処理能力が高いアソシエイト弁護士が存在しうるからです。そうすると、パートナー弁護士の中に二種類設けようということになり、たとえば一定額の売上とか、世の中的に有名とかいった「一定の条件」をクリアした(うえで恐らくエクイティパートナーの承認を得た)パートナー弁護士が、エクイティパートナーに就任することになるのだろうと思います。

いずれにせよ、最終的に事務所の方針を決定しているのはエクイティパートナーであり、それ以外の弁護士は、自分と会話ができる(なるべくパワーを持った)エクイティパートナーを通じて、又は、パートナー会議に出席・発言ができる場合はその場で、事務所の方針決定に意見を述べることで方針決定に関与するというのが弁護士事務所の組織の在り方ということになります*3。私自身は、おそらく西村あさひ法律事務所というトップ事務所が上のような仕組みを取っていることからすると、大規模化したときの答えは上に述べたパターンしかないだろうと予想しています。

もちろん、組織の規模によって、意思決定は変わってくるでしょう。つまり、組織の人数が少ないうちは、意思決定の階層は少ない方がコストパフォーマンスがよく、人数が増えてくると、階層を増やした方がコストパフォーマンスはよくなります。このあたりは、弁護士事務所に限った話ではなく、他の業界の会社組織と同様でしょう。私自身の経験に基づけば、意思決定に関するパターンは、弁護士数に応じて以下のようになるのではないかと思います。

①弁護士数10名(パートナー複数名)以下:最低限のルールさえ決めておけば個別調整で対応可能。管理コストをかけるメリットほぼなし。

②弁護士数30名(パートナー10名)以下:パートナー会議での多数決(声がでかいボス主導もあり)。それぞれのパートナーが、事務所の経営の全てを把握することが可能。弁護士事務所としての統合された戦略や方向性は決めなくても上手く行く。個別調整のコストもあまり高くないので、ルールメイクしなくても対応可能。感覚的には、40人か50人くらいまでは、上手く行く可能性あり。

③弁護士数120名以下(パートナー40名):パートナー会議での多数決(声がでかいボス主導が成り立つが、ミスのリスクが高まる)+執行パートナーや管轄ごとの部会。パートナー弁護士が事務所の経営の全てを把握することや、パートナー全員がお互いを深く知ることが困難。弁護士事務所としての統合された戦略や方向性は決める必要性が高まるほか、個別調整のコストが上がり、ルールメイクしておかないと不便。

④弁護士数120名以上(パートナー40名以上):パートナー会議での多数決(声がでかいボス主導は困難)+執行パートナーや管轄ごとの部会。パートナー弁護士が事務所の経営の全てを把握することや、パートナー全員がお互いを深く知ることが不可能。お互いを知らない弁護士同士がパートナーシップを組むという矛盾した状態が生じるので、より組織化し、ルールメイクする必要がある。

恐らくこの中で一番難易度が高いのは、②→③ではないかと思います。ここが組織としての大きな変化のタイミングであろうと思います。弁護士は、とかく組織化が嫌いな職人気質を持った生き物ですが、②→③は、まさに生き物の集合体が結合して組織化するタイミングだからです。ここを乗り越えられれば、③→④はその延長線上にあり、改善によって対応できると思えるからです。

*1:ニュース:中山龍太郎 執行パートナー就任のご挨拶 | 西村あさひ法律事務所

*2:これには、インハウスロイヤーの待遇がよくなっており、パートナー弁護士就任の人気が相対的に下がってきていることも影響していると思います。

*3:その意味で、一定の規模がある弁護士事務所で、アソシエイトがここに記載した以上・以外の方法で意思決定に関与できることはあり得ません。

パートナー弁護士になって思うこと(採用とその後の成長について)

弁護士事務所にとって、最も重要な要素は、人材です。弁護士事務所の価値というのは、弁護士が提供するサービスの組み合わせですから、人材の中でも特に弁護士が重要です。そのため、優秀な新人を採用して優れた弁護士となってもらい、または中途の優秀な弁護士を採用し、事務所に残ってもらわなければなりません。

ここでよく聞くのが「いい人が(昔に比べて)いない」という声です。しかし、パートナーになる前から薄々思っていたことではありますが、これを言っている事務所は生き残れないか、少なくとも今後の成長はできないだろうと思っています。すなわち、企業法務分野における人材獲得競争が激しさを増していること、弁護士志望者の減少、少子化といった原因で、「いい人」を取るのが難しくなっているというのは事実だろうと思います。

ところで、弁護士事務所の規模や提供できる価値が成長するには、現在在籍する弁護士が成長することが必要です。成長というのは、その弁護士が取り扱う範囲を広げるとか、新しい分野を切り開くということを含みますが、そのためには、一定の工数が生じます。たとえば、これまで紛争を中心にしていた事務所で、M&Aを取り扱う弁護士が移籍してきたり、既存の弁護士が不正調査を取り扱い始めたりすれば、弁護士の人数が必要になります。そうすると、少なくとも一定以上の規模のある弁護士事務所が成長するにあたっては、一定の採用を継続(過去よりも採用数を増やすか、最低でも維持)する必要があります。したがって、「いい人」がいないという理由で採用をしないということは、成長のための新規投資を放棄するのとほぼ同義であり、成長に伴い既存の弁護士の負荷が高まり、離脱を促すことになりかねません。つまり、「いい人が(昔に比べて)いない」と言って採用をしないのは、経営者としては問題があろうと思います。もちろん、弁護士事務所として成長を意図しないなら別です。

その意味で、「いい人が(昔に比べて)いない」と言っている場合ではないというのが私の意見ではあります。しかし、この点についてパートナーになってから強く思うこととしては、「いい人」の概念の見直しが必要であろうということです。おそらく、伝統的に弁護士業界で言われていた「いい人」とは何かというのを考えてみると、①それなりに高学歴で、②人並み以上に「地頭」がよく、③ハードワークができ、④モチベーションが高く、⑤厳しい「指導」にも耐性がある、といった要素の全部または大半を満たす方というところでしょうか。

私の限られた経験の限りでは、新人を前提にすると、そういった方々は今でも一定数存在するものの、③ないし⑤を満たす方は以前よりは減っているように思います。しかし、上に述べた通り、この概念は見直しが必要と考えています。私の意見としては、①の高学歴かどうかは少なくとも弁護士の実務能力には関係がなく(ただし、将来に生きる人間関係には関係がある)、②の「地頭」は定義が分からないのでどうでもよく、⑤は、そもそも厳しい「指導」は不要というものです。一方、③④は、目の前の仕事をする理由や、今の努力・苦労がどう報われるかというのを説明し、理解してもらえれば、素直に頑張れる方が以前より増えている印象すらあります。

この③④に関しては、以前の弁護士事務所は、職人気質なところがあって、後輩は、背中で語る先輩についていけばきっと幸せになれると信じてハードワークをしていたように思いますが、私自身はそのようなスタイルには共感できません。むしろ、新人採用・中途採用ともに、自分自身が目の前の候補者の方と一緒に仕事をしたいか・将来的にパートナーシップ(パートナー弁護士かどうかは別にして)を組めそうかという視点から採用すべきと考えています。

また、採用後は、スキルについてはティーチングによって成長していただき、キャリアについてはコーチングにより議論をして探っていくべきであろうと思います。スキルというのは、ある程度正誤があり、かつ、先輩の方が後輩よりスキルが高い可能性があるのに対し、キャリアは選択の問題で、先輩も正解を知っている訳ではなく、せいぜいアドバイスしかできないからです。

加えて、弁護士は本質的には独立自営業者であり、パートナー弁護士であろうとなかろうと、一定の売上や顧客の獲得を求められます。流石にこれを全部先輩が面倒を見るというのは無理ですし、弁護士の本質に反するものの、先輩は独り立ちのためのサポートをしていくべきでしょう。

以上からすると、私が現在考えている「いい人」というのは、①スキルやキャリアに関する会話ができるキャラクターを持ち、②スキル・キャリアアップのための努力をでき、③弁護士事務所としてのビジョンを共有し、将来的にパートナーシップ(パートナー弁護士かどうかは別にして)を組める可能性を感じる人ということになろうかと思います。

私自身は、数年前からじわじわと上のような考え方を醸成していましたが、ここ2年のパートナーとしての経験を踏まえ、しばらくはこの考え方を前提に動いていこうと思っています。その意味で、中途の方はもちろん、新人の方であっても、採用活動の時点で、その候補者の方とキャリアについての対話を始める必要があると考えています。

貞観政要において、太宗が「いい人がいないのではなく、見つけられていないのだ」とリクルート担当に説教する場面がありますが、リクルートとその後の成長のプロセスは、時代の変化に乗り遅れないよう更新していく必要があることは確信しています。

パートナー弁護士になって思うこと(リクルート関係)

都内にある某大手法律事務所にてパートナー弁護士になってしばらくの期間が経過したので、今後不定期に感じたことを書いてみようと思います。今回は、丁度司法試験が終わった時期なので、リクルートについてです。

さて、私が所属する事務所は、いわゆる五大法律事務所ではなく、世の中的には大手と思われているのに、リクルート生からは大手ではないと思われているような企業法務を取り扱う総合法律事務所です。リクルート生から見ると、最もキャラが立っていないタイプということになります。そのため、しょっちゅう受ける質問は「なぜこの事務所で弁護士のキャリアを始めようと思ったのですか?」とか、「他の総合法律事務所との違いは何ですか?」です。

そして、そんな事務所において、パートナー弁護士として新人採用や中途採用に一定程度関わっている私の肌感覚からすると、私が接する範囲での弁護士志望者の動向はおおむね以下のようになっているようです。

  1. 在学中予備試験合格組:五大へ行く人が多い
  2. 東大LS出身者:五大志向が強いが、保険で五大以外の総合法律事務所にも申し込む
  3. 東大LS以外のいわゆる上位LS出身者:総合法律事務所を志望する人が多い

10年余り前の私が学生のころの弁護士志望者の動向は以下のようなイメージで、四大に行きたい人と、四大以外に行きたい人に分かれていたように思うので、当時より五大志向が強まっているというところかと思います。当時はリーマンショックの影響で採用が抑えられていたのと、そもそも四大とそれ以外の事務所の人数差が今ほど大きくなかったことも要因かもしれません。

  1. 旧司法試験合格組:四大志望者と、それ以外の企業法務を扱う事務所志望者に分かれる
  2. 東大LS出身者:四大志望者と、それ以外の企業法務を扱う事務所志望者に分かれる
  3. 東大LS以外のいわゆる上位LS出身者:企業法務を扱う事務所を志望する人が多い

その上で、当時も今も、リクルーターの説明というのは以下のようなものです。

  1. 五大(四大):日本トップである・専門性が深い・色々扱える・五大からそれ以外への移籍はできるが、それ以外から五大への移籍はできない*1
  2. 五大以外の総合法律事務所:幅広く案件を扱える・五大より執務環境がホワイト・ジャンルによっては五大に匹敵する専門性がある

さて、ここまでは一般論ですが、ここからは10年ほど弁護士経験を積み、パートナーとしての経験も積んだうえで思うところを述べようと思います。

まず、結論から言えば、その事務所でキャリアをスタートしたことを、スタートから一定期間(感覚的には5~7年くらい)経過後に思えるかどうかが最も重要だろうと思います。私の場合、少なくとも入所5年目くらいから今に至るまでは、現在の事務所でキャリアをスタートしてよかったと思っていますし、仮に現在の事務所でパートナーにならずに独立していたとしても、その結論は変わらなかったと思います。

次に、コロナ禍によってOBOG訪問ができないので、ブランド力・資本力に優れた五大がリクルートで有利になることや、五大の採用枠が史上最多になっていることもあってかと思いますが、私が学生のころに比べて、五大志向は強くなっています。特に、東大法学部出身者については、五大以外に法律事務所は存在しないと考えているのではないかという印象すら受けます。

この点についての私の意見は、「五大でキャリアをスタートするのは無難なのでいいと思うが、他の事務所を見て決めなくていいか」というものです。五大はアソシエイトの給与も高いですし、事務所全体で見れば案件の取扱いの幅も広いですし、優秀な弁護士はとても優れていると思います。

一方、①経済条件については、アソシエイトを務めるのは10年程度であり、その後のパートナー就任確率*2を考えると、五大のほうが他の事務所より経済条件において優れているとは言い切れない、②パートナーにならずに事務所を出るときに、五大のシニアアソシエイトは、他の総合法律事務所よりも取り扱い分野が狭い傾向があるため、独立や転職がしにくい傾向がある*3、③インハウスへの転職市場において、五大のほうが他の総合法律事務所より有利という印象がない、④事務所全体で見れば案件の取扱いの幅は広いが、自分の希望が叶うかどうかは別論というところです。ただし、私自身五大で働いたことはないので、あくまでも同期の東大LS生からの見聞や、中途採用等を通じて聞いた話によるものではあります。

以上要するに、「キャリアをどこでスタートするかは非常に重要なので、自分の目で見て決めろ」ということです。キャリア人生は全て自分で選択し、責任を負うものです。私も含めてですが、目の前にいるリクルートについて語る弁護士が、自分の人生に全面的に責任を取ってくれるわけではなく*4、自分が入所してみたらその弁護士がいなくなっている可能性すらあります。したがって、複数の事務所を巡り、比較するための情報を得て決めるのが望ましいと思います。そのためには、サマークラークやウィンタークラークのような、一定期間事務所の中に入って自分の目で見る機会が有益でしょう。

最後に、自分の後輩である東大法学部生や東大LS生を見ていて特に思うことについて触れたいと思います。いかにもオジサン的コメントですが、私が学生の頃、リクルートというのは、人生において正解がないキャリア選択という問題に初めて取り組む機会であったように思います。すなわち、それまでは受験社会トップの東大や東大LSに行くためにひたすら勉強していればよかったのですが、キャリア選択では、自分の目と足を使って選択肢となる事務所を探し、自分の適性や相性、志向を踏まえて選択する必要があります。これは自分自身に向き合ういい機会でしたし、社会勉強にもなっていました。そして、私のころは、いわゆる就職氷河期で、内定をもらうだけでも大変でしたので、とりあえず沢山の事務所を回ろうという傾向がありましたが、最近は、東大法学部生や東大LS生の多くが五大から内定をもらえるので、キャリア選択における主体性が下がっているように思います。五大に入ることに対する私の意見は、上に書いた通り、五大でキャリアをスタートするのは無難だというものですが*5、一方で、キャリア選択は受験とは違い、人それぞれに正解がある者ですし、その後の職業人生に大きく影響するので、後で後悔しないよういろんな事務所を見て決めたほうがいいのではないかと思っています。

終わりに、このブログは匿名ですので、ポジショントークはしていないつもりですが、この記事に記載した私の意見については、かなりバイアスがかかったものになっていると思います。したがって、学生の皆さんには、いろんな意見に触れて、5年後10年後に後悔のない選択をして頂きたいと思っています。

*1:移籍についての説明は必ずしも正しくないと思っています。私の感覚では、五大の専門分化しすぎたシニアアソシエイトは中途採用しにくいです。一方、私の周りだけでも、五大以外から五大に転職した弁護士は数人います。

*2:通常、パートナーの経済条件は「当たれば大きい」というものなので、アソシエイトより所得の期待値はかなり高くなります。五大のパートナー就任確率は、それぞれの事務所の「ニュース」に掲載されている10年以上前の新人弁護士入所記事を見ればわかりますが、現在のような40~50人採用時代の就任確率は、その頃より低くなるのだろうと思います。

*3:独立するためには、自分の顧客を持っているか顧客を獲得できる見込みがあることや、幅広く受任できるスキルや経験があった方がいいと思いますが、五大では他の事務所に比してこれらを得られる可能性が低いという意味です。

*4:パートナー弁護士は、アソシエイトや事務所に対する責任は負いますが、アソシエイトの人生に責任を負う訳ではありません。

*5:特に、東大法学部に一定数いる、ぶっちぎりで優秀な方は、五大の中でも成功し、そのまま突っ走れる可能性もあると思います。

いま世界で起きている事象について

ロシアがウクライナに侵攻して数日が経過しました。この件について思うところを少しだけ書いておこうと思います。

まず、大前提として、ロシア側に歴史的な経緯や認識に基づく言い分が仮にあろうとも、今回の侵攻を正当化できる事情はないということです。確かに、ロシアの安全保障の観点から、ウクライナNATOに加盟したら大変だというのは理解できますが、だからといって侵攻を正当化できるはずがありません。今回のことについて、いろんな分析・意見があるべきとは思いますが、この点は動かせないと思います。

次に、過去の歴史を踏まえて感じたことですが、ロシアがウクライナに侵攻する前の軍事演習については、まるで関特演だな、と思っていました。また、ウクライナNATOに加盟することは許さないというスタンスは、「満州は日本の生命線」と同じようなにおいを感じていました。しかし、残念ながら結果は関特演と異なるものになってしまいました。その時点で考えていたこととしては、関特演の場合、南の方が騒がしくなり、かつ、ドイツのソ連侵攻があってもなおソ連の極東の戦力が維持されたことによる軍事的均衡によって、日本はソ連に侵攻しなかったのに対し、今回は、他が騒がしくなることもなさそうであり、かつ、軍事的均衡もなさそうなので、ロシアが、国際紛争を解決する手段としての戦争を避けるべきという考えを持ってくれるかどうかだけではないかと思っていました。結果、ロシアは、そのような考えに縛られなかったか、又は、ウクライナを主権国と思っていなかったか、理由は分かりませんが、侵攻を押しとどめるものがなかったので侵攻したという、頭で考えるとそうなるよねという結論になってしまいました。

続いて、民主主義の相対的まともさを感じました。我が国も、同じ首相がしばらく続いていましたが、それは偏に権力保持及びオペレーションの仕組みをうまく作り、一定の成果を上げていたからです。それでも首相が交代すべきときは交代させられるし、代わりを輩出できる制度が憲法で保障されています。これに対し、ロシアは、建前はともかく、同じトップがずっと続いており、そのトップがとんでもないことをし始めたときに、合法的にトップを交代させる制度がありません。まさにガバナンス論そのものですが、衆愚政治というデメリットを抱えてもなお、民主主義のほうがまともだなと感じたところです。特に、最近はコロナ禍で、独裁的な体制の優位さが目立っていたところもあったため、久々に民主主義のメリットを感じたように思います。

また、日本が所謂西側諸国であることを実感します。Twitter等で特別な注意を払っていれば別ですが、びっくりするくらいウクライナ側の情報しか入ってきません。常識的に考えれば、ウクライナ側の軍や市民にも相当の被害が及んでいるように思うのですが、その情報は、特に入ってきません。

そして、きわめて自戒すべきところではありますが、各種メディアで、様々な方が今回のことに見解を披露されていますが、この種の極限状態においては、それぞれの普段見えないものが見えることがあるのだなと思います。たとえば、「西側諸国」が、ウクライナに派兵しないことを強く批判する人たちがいます。その心理は理解できるものの、ウクライナとの間で相互安全保障を約していないのに派兵をするというのは、民主主義下での一国の責任者にできるはずがありません。法的な約定なくそのような行為をすれば、国民に対する責任の放棄かつ承認されていなかったリスク(たとえばロシアからミサイルが飛んでくるリスク)の引き受けになりますし、約定なく派兵できるのであれば、逆に、安全保障条約を締結している国との約定に何の意味があるのかわからないことになります。そうなると、歴史的に言えば、ABCD包囲網や、援蒋ルート・米国義勇兵のようなものが限度であろうと思われ、今回も各国がそれを始めているということであろうと思います。

同じく、このような事態になると、真偽不明の情報や、デマゴーグが増える印象を持ちました。平時も有事も同じことですが、人間の認知能力には限界があるので、きちんと批判的思考と、複数人による批判的議論を行い、意思決定していくことの重要性を再認識しました。たとえば、日本の周りに敵性国家が多いから更なる武装を…という話を言い出す人がいますが、敵性国家という用語の意味が分かりにくいのはともかく、日本と軍事的な意味での同盟関係にない国が周囲にいることは今に始まったことではなく、かつ、日本の力が凋落するのに対し、他国は力を延ばしているわけですから、他国に日本が食い物にされないようどうすべきかというのは、普段から議論し考えておくべきことでしょう。

一方で、21世紀になって、このような侵略戦争が起きるなんて、と嘆く声も聞かれます。私も、ロシアがウクライナに侵攻するなどということはもちろん全く予想していませんでしたが、一方で、歴史に学べば、それは別に意外なことではないと思います。私は普段、過去の歴史に学ぶことは難しいと思っており、たとえば、戦国武将に学ぶ何たらというようなテーマは、過去の歴史の詳細が分からない以上無理があると思っています。しかし、今回のことを見ると、兵器や技術は進歩しても、やっていることは戦国時代の境目での紛争や、昭和の反社会的勢力の喧嘩(戦争)と同じだなと思うところが多いです。

加えて、国際紛争も、我々が職業上取り扱う法的紛争と類似していると思わされました。そして、我々が扱う法的紛争は、当事者間で解決ができなければ、プロの代理人が付いて交渉し、それでも解決できなければ、解決のための権力を有する裁判所等の第三者機関において解決します。一方、国際紛争の場合、第三者機関がない又は第三者機関的な立ち位置になってくれる者がなかなか出てこなかったり、今回のように自力救済が行われるというのは法的紛争と異なりますが、それ以外はかなり似ていると感じるところです。

また、これら相違点についても、本質的にな差はないのかもしれません。すなわち、プロの代理人であれば、裁判所等で法的紛争として対決するとどのような結果(勝敗)に至るかというのを予想し、落としどころ又は獲得目標を念頭に置き、自分の主張を整えて相手と交渉します。また、裁判所等での審理に至った場合は、全ての力を尽くして主張立証し、相手を叩きのめしつつます。国際紛争における自力救済すなわち戦争行為を、政治的課題を解決するための外交の先にある行為と考えれば、結局この相違点も、本質的な差をもたらすものではないように思います。

そして、戦国時代の紛争も、昭和の反社会的勢力の喧嘩も、法的紛争解決も、解決に至るシナリオは多くありません。そのうち一つは、和解・手打ちです。一つは、どちらかが降参するまでとことんやるというものです。一つは、攻め手が一方的に紛争をやめてしまうことです。

和解・手打ちに必要なのは、双方にとってそれに応じるメリットがあることや、場合によっては顔役的な仲介人です。紛争を始めてしまうと、当事者それぞれの内部では拳を下す理由が必要になりますので、メリットがあるとか、誰かの顔を立てるといった事情が必要です。今回は、ウクライナがどれほど時間を稼げ、それによってロシアの損害が膨らみ、戦争によって得られるメリットが減っていくかということがカギになると思います。一方、仲介人として顔役になれそうな国は、西側諸国でもロシア側でもない大国や中立国ということになるでしょう。今のところ、あまり思い当たる国はありません。中国は、ロシア寄りと言われますが、ロシアと組むことで米国と張り合いたいだけでしょうから、ロシアがならず者になってしまって付き合いにくくなるのは避けたいと思うでしょう。そうすると仲介する利益はありますが、過度に関与してデメリットが生じるのは避けたいでしょうし、そもそもウクライナとパイプラインがあるのかもよく分かりません。

とことんやるというシナリオは、ロシアにとっては取りにくいのかもしれません。ロシアは、ウクライナの「コメディアン」の政権を容易に打倒できるシナリオを想定していたと思われますが、そのシナリオは失敗しているように見えます。今は、一応和解交渉をする姿勢を見せつつも、侵攻は続けている状態ですが、時間をかけて首都キエフが陥落しても、たとえばキエフから政権が西側に移転し、抵抗をつづけた場合は、最終的にはロシアは対応に苦慮することになるでしょう。ヴィシー政権汪兆銘政権のように、一応の政権を建てたとしても、果たしてそれがどれだけ維持できるかというところもあると思います。そして、とことんの究極的なパターンが核兵器の利用ですが、私は、過去の歴史に鑑みれば、使われる可能性があると思っています。現状、本件はあまりに落としどころが見えないのに対し、ロシアが様々な場面で不利になっていることから、ロシア目線では核兵器を使う合理的理由がどんどん増しているように見えます。

最後に、攻め手が紛争をやめるというシナリオは、第一次世界大戦帝政ロシアのパターンがあります。今回は、当時と同じように、国民の不満が高まるのは間違いないでしょうが、あとは、ロシアトップがどれだけ国民の不満を押さえられるか及び、ロシアの首脳陣がどこまでトップと心中する覚悟を持っているかによると思います。今回は、国民の不満が高まり、それに軍が呼応してクーデタとか、何らかの事象による政権崩壊というシナリオしかないと思いますが、果たしてそれが起きるかどうか。個人的には、実はこのシナリオが頭で考えると一番ありえるのではないかと思っています。

以上、ただただ備忘的に感じたことを書いたものの、先行きはかなり暗いと感じます。自分は自分で出来る範囲で何かをやっていくしかないと思いますが、とにかくいま世界で起きているかかる不幸な事象が、うまく解決されることを祈っています。

東京五輪の感想

閉会式を見ていて、相変わらず開会式同様、大きなコンセプトもなく、何が伝えたいのかさっぱり分からないし、大会場に見合わないテレビ的な小ネタの蓄積のような演出に辟易しながら、改めてこの五輪は、昭和又は前回の東京五輪に対するノスタルジー好き世代による、同世代のためのものだったのだろうと思わされました。また、国家間競争が激しくなっているこの時代において、世界に胸を張って打ち出せるコンセプトというものを持てないわが国が、今後衰退していくであろうことを改めて思い、嘆息しました。
 
趣味で歴史を勉強していると、自分も長い歴史の中で生きていること、自分は大きな歴史の流れには逆らえないこと、そして、人生はその流れの中でいかにうまく自分を生かし、または活かし、自分と家族や周囲の大切な人たちとうまく生き残っていくかということであるということに気づきます。また、国や組織にとって、いいときもあればわるいときもあること、それは国や組織の構成員の頑張りだけでなく、方向性や時の運によって左右されることにもうっすらと気づきます。感覚的には、日本の場合、戦後を引っ張ってきたリーダーが作り上げたシステムと人材の、その次の世代への移行がスムースに進んでいない印象です。仮にこれが事実であれば、明治政府が安定する過程を見た世代の次の世代が失敗した大戦と同様、対戦を見た世代の次の世代が失敗した*1ということなのではないかと思っています。何がその原因なのかはわかりませんが…。
 
それはさておき、このコロナ禍でステイホームだったこともあって、東京五輪は、人生で一番競技を見た時間の長い五輪になりました。したがって、以下では、今回の五輪で印象的だったシーンを列挙しておこうと思います。
 
・ウェイトリフティング女子の三宅選手。残念ながら記録なしに終わったけれど、最後のトライが終わって下を向いたときの、無念さとやり遂げた感が混ざったような表情が記憶に残りました。
 
スケートボードストリート男子。職人のような堀米選手もスケボーの印象を変えてくれたけれど、何より解説の瀬尻さん。ネットで話題になる前から爆笑しながら見ていました。字面で見ると、「やべー」「半端ねー」とチャラい感じなのですが、実際に聞くと落ち着きがある雰囲気であり、アナウンサーの問いかけに丁寧に答えるので、全くチャラく聞こえないのでした。瀬尻さんのコメントで点数の目安がわかる*2というネタも笑いました。
 
・卓球混合ダブルス決勝。水谷選手の選手としての一生を賭けたかのような気迫。絶対王者中国の両選手の淡々とした戦いぶりと、敗戦後の劉選手の涙。勝って当然・勝たないと責められる巨人と、巨人に立ち向かう戦士という対比でした。
 
・ゴルフ男子松山英樹選手の協議終了後のインタビュー。「オリンピックっていうのはどういう評価なのかわからないですけど、やっぱりメダルは取りたかった」という、率直なコメントが記憶に残りました。どの国も決まった数しか出場できないという制限下での競技に意味があるかという議論を踏まえてのものだろうと想像しました。
 
・バドミントン女子シングルス決勝の陳選手と戴選手。絶対に負けたくないという気持ちが物凄く強いと思われる場面で、冷静な表情を崩さない陳選手と、気迫を前に出す戴選手が対照的でした。マッチポイントになったとき、それまで冷静だった陳選手がそわそわし始めたのも人間らしく、一方で最後まで諦めない気迫を前に出した戴選手もカッコよく。ちなみに、この二人、世界ランク1位と2位だけれども、今までは圧倒的に戴選手が勝っており、陳選手にとっては相当嬉しい勝利だったはず。
 
ソフトボール決勝を決めたカナダ戦の後藤選手の六連続奪三振。生で見ていて衝撃でした。決勝よりカナダ戦の方が危なかった気がしていたのですが、後藤選手の三振で流れができたように思います。その分、河村市長による「噛みつき事件」は残念です。なお、この事件は、噛みついたことだけでなく、その前後の発言も極めて問題があるものばかりで*3、私自身かなり衝撃を受けています。確かに特に地方都市に行くと、この世代の方々がこのような発言をするというのは見られますが、名古屋という大都会の市長が、公の場でこのような発言をするというのは流石に驚きです。
 
・陸上女子1500m/5000m田中選手。特に1500mについては、本番で日本記録を続々更新していくのが化け物すぎて、生まれて初めて中距離を生放送で見たところ、ついに女子史上初の4分を切るシーンを見てしまいました。また、田中選手がグラウンドから出るときに、ありがとうございましたと大声で一礼して出ていくのも印象的です。走った後のインタビューでは、マスクをして応じ、息苦しいのか、マスクの下の部分をつまんで話していたところも律儀な方だなと思いました。
 
・陸上男子400mリレー決勝の松岡修造さんのインタビュー。たぶん最初にNHKのインタビューに応えた後、松岡さんのインタビューという順番だったと思うのですが、直後のNHKの方では、茫然自失で質問とかみ合わない多田選手、とりあえず纏めなきゃという山県選手、フォローしようとする桐生・小池選手で、本音がぜんぜん引き出せていなかったのに対し、気持ちの入ったインタビューで選手の本音を引き出していたように思いました。特に、桐生選手の「正直言って後ろ(にいる結果を出して喜んでいる他国選手)が羨ましいです」「自分が予選でいい走りをして、多田・山県さんに心の余裕があれば違っていた」というコメントは刺さりました。負けた選手に対して直後にインタビューするのはどうかという声もあると思いますし、それも一理あるとは思いますが、聞く以上はここまでいいインタビューをしてほしいと思います。
 
・バスケット女子。準決勝のフランス戦を生で見て日本の強さにびっくりして決勝も生で見ました。さらに、その前の準々決勝のベルギー戦をNHKのサイトで見直しました。どんなスポーツでも、フィジカルに劣る相手に「スピードで圧倒」等の方法で勝つのは、試合中身長は縮みませんが体力はなくなっていきますから、口で言うより物凄く大変です。全日本は、フランス戦ではそれを難なくやっている(ように見える)のが凄さでした。そして、キャプテンの高田選手のキャラ(派手なルックスや、インタビューは真面目に答えているのに、終わった後いつもイエーーってやるところ)やリーダーシップ、試合中も怒声を上げるコーチ(解説が「激怒案件」と口走るレベル。ハーフタイムでは日本語で気合を入れる)、試合の方が練習より楽と言い切る一人一人特性がある選手など、大変魅力的なチームでした。コロナ禍落ち着いたら試合を見に行こうと思いましたが、世間的に知名度が高くなかった競技がこうやって知られるようになるのは五輪のいいところのように思います。
 
コロナ禍下での五輪開催の是非については、様々意見があり、自分にも意見がありますが、それとは別にして、この日のために努力を重ねた超人たちにはリスペクトですね。この後、パラリンピックでも超人たちが活躍されることを期待してしまいます。

*1:なお、私自身は、たとえば森喜朗氏個人の能力としては、高い部分があると言われることがあるのはその通りだと思っています。ただ、そのような代えがたい人物を守れる周辺の補佐者がおらず、かつ、後任が育っていないように思えるのが問題だと思っています。あれほど高齢になると、発言において最新の人権意識に配慮するのは困難になるでしょうから、本来はそのような場に置かないか、そうなる前に後任者が承継すべきです。

*2:

ぶりてん on Twitter: "ルールわからなくても解説からわかるスケボーの採点目安は草… "

*3:

【表敬訪問の詳報】河村市長「旦那はいらないか」「恋愛禁止か」等の質問も ソフト後藤選手は“大人の対応” | 東海テレビNEWS

革新なき伝統

2021年7月24日、東京五輪の開会式が行われた。その印象から。なんだろう、この感覚は、何かに似ていると思った。翌日わかった。複数の弁護士がパートを分担して調査報告書を作成する仕事の、各パートを統合しただけの報告書である。この手の報告書は、各パートにいい出来のものがいくらあっても、一本の筋が通ってないと、全体として何が言いたいのかよく分からなくなるのである。これをビシッと筋の通ったものにするのが、仕事の総指揮を執る指揮官ポジションの弁護士の責務である。

この種の仕事の出来は、総指揮を執る弁護士の腕にかかっているというのが、私の経験上の結論である。特に、事務所の規模が大きくなると、各パートを担当するのは経験の浅い弁護士だったりするが、これらの現場で汗をかく弁護士をまとめ上げ、同じ問題意識を共有し、仕事に取り組み、筋の通った検討と結論を報告するには、かなり高い能力が必要である。

さて、今回の開会式。個々のパートで見ると、素晴らしいものもあった。これは、現場が頑張ったのだろう。しかし、全体を通して、何が伝えたかったのかよくわからなかった。これはおそらく総指揮の問題だろう。

結局、この問題は、指揮官の問題であり、「失敗の本質」(特にリーダーシップ編)で語られたものなのだろう。指揮官の無能を、現場が庇い疲弊する。指揮官は代位な場面で決められず、最終的に組織外の何かによって物事が決まる。そういえば、先日も、宮内庁長官の発言があった*1。これはもはや我が国の伝統芸能なのか。

一方、気になるのは、現場の力の低下である。東京五輪とそれと関連性の強いコロナ禍対応を巡るゴタゴタの多く*2は、リーダーの問題だったかもしれないが、事務レベルで対応すべきを対応できなかった現場の力の低下もあるだろう。以前であれば、リーダーがいかに無能でも、それをカバーできる現場の力があったのだろうが、それすらできなくなっているのではないかという印象を受ける。たとえば、開会式であれば、天皇陛下がお言葉を述べられる際に、首相と都知事が間を置いて慌てて立ち上がったり、日本の入場時にアナウンスが「にっぽん」ではなく「にほん」と言ったり、チャイニーズタイペイなのに並びが「たいわん」と思えたり*3、過去の問題発言で辞任退任した直後に、ダイバーシティとの関係で問題発言をした作曲家の音楽を使っているといった事象である。或いは、これだけの予算がかかってしまってこのクオリティのものしかできないという事象である。指揮官に加えて現場も力を失っているとすると、最早日本の力は失われてしまっているということになってしまう。

もう一点気になるのは、「頑張っている人がいるのに批判するのか」論である。これも伝統芸能のようだが、批判を封じ込めてなあなあにするのは、世界において日本を劣化せしめる最大の原因の一つである。確かに、このような文化を一律に悪とは思わないが、世界的競争社会の中で、この文化は断罪せざるを得ない。とりわけ、長期政権になってお仲間度合いが上がっている社会においてはそうである。たとえば大横綱がエルボーを繰り出したり、奇襲をする。これはルールで禁止されていないのだから、勝利のためには当然である。それを品格云々で批判するのは、なあなあ文化を共有していれば可能だろうが、その文化の中にいない人には通じない。記録上の大横綱を記憶上の大横綱たらしめられなかったのは、その文化を維持しようとし、異なるルールメイクという文化に移らなかった当然の帰結である。今回の五輪も、終わってみたら何となくうまくいった、ということになり、誰も責任を取らないであろう。それも伝統であるか。

 

*1:一方、野党議員が最早天皇陛下しか五輪を止められない等と民主制を擲つような発言をしたと聞き、開いた口がふさがらなかった。政治利用という批判がされているそうだが、ただの政治家としての責任放棄である。

*2:ただし、首相のリーダーシップの下でワクチン接種が動き出したのは正しいリーダーシップの発揮だと思っている。

*3:あえてやったのではないかという説が巷間有力だが、現場の力の低下を見ていると、本当にミスしただけではないかという印象を持つ。