弁護士を3年やってわかったこと

明けましておめでとうございます。
おかげさまで弁護士4年目に突入しました。今も弁護士になって以来事務所を移籍することもなく、弁護士業に励んでおります。ということで、弁護士を丸3年務めての感想を書こうと思います。

その前に、私のこの1年、すなわち弁護士3年目を振り返ると、非常に充実した1年でした。2年目までは紛争とM&Aが中心でしたが、3年目は渉外を自分の専門性の柱にしようと決心し、事務所内で渉外案件を担当させてくれとPRしまくったこともあり、渉外案件が増加しました。やっている最中は無我夢中でしたが、1年間やってみて、ドヤ顔で渉外案件について語れる程度には経験を積むことができたように思います(もちろん、まだまだ未熟であり、勝負はこれからです。)。また、2年目まではあまり面白いと感じなかったM&Aについても、主任として、デューディリジェンスからクロージングまでを担当したことで案件の全体像が見えるようになったのか、非常に面白く感じるようになりました。紛争では、2年目までは経験したことのなかった専門性の高い訴訟を複数経験したことで、訴訟での主張立証の能力を高めることができたように思います。加えて、案件以外では、自分が担当しているクライアントの方々と勉強会・懇親会を開催する等して相互に高め合う努力をしたり(いつもお世話になっております。)、事務所内でチームとして力を発揮するための努力をしたり、後輩に主任を任せてフォローする立場に回る経験を多く重ねたり、複数の書籍を共同執筆したりと、2年目まではあまりやっていなかったような経験を積むこともできました。


さて、弁護士丸1年つとめた後の文章を今読み返すと、その後2年で新しく気付いたことは意外とないという感想です。案件処理や事務所におけるアソシエイトの位置づけについては、弁護士丸1年つとめた後と今で認識に差はありません。ドラフティング能力にせよ、交渉能力にせよ、訴訟に関する能力にせよ、その後の2年で一定程度高まったと思いますが、そのあたりはあまりに具体的な話になりますので、ここで書いても仕方がない話です。とはいえ、ここで話が終わりになると、フェイスブックでリクエストしてくださった修習時代の某恩師の期待に応えられないので、無理やり捻出してみることにします。

ここ2年で新たに感じたものとしては、1.目的意識の必要性、2.専門性を高める必要性、3.経営感覚の必要性、4.弁護士にとって最も重要なものを意識する必要性というところでしょうか。


1.目的意識について
弁護士を3年もやっていると、仕事の一部については新鮮味もなくなり、なりたての頃の弁護士として頑張ろうというフレッシュな気持ちはほぼ間違いなく失われます。そして、何のために目の前の仕事をしているのか、ということを考えなくなります。弁護士とて仕事ですので、生活費さえ稼げればそれはそれでよいという考え方もあると思います。しかし、私の「弁護士はプロフェッショナルであり、常に自己鍛錬に励むべき」という価値観からすると、これは非常にもったいないことです。そこで、必要になるのが目的意識だと思うのです。

ここでいう「目的意識」とは二つのものを念頭に置いています。一つは、目の前の仕事一つ一つについて、少しでもいい仕事をしようという意識で、もう一つは、自分がどんな理想を持つか、どんな弁護士になりたいのかという意識です。

弁護士はサービス業ですので、目の前のクライアントのために全力を尽くすべきだと思いますが、そのためには、目の前の仕事一つ一つについて、少しでもいい仕事をしようと考えることが大切だと思います。そのような意識があれば、目の前の仕事を何のためにするのか、どうするとクライアントのためによりよい結果をもたらせるかと主体的に考えるようになります。3年間やってきて感じるのは、目の前の仕事をするにあたり、少しでもいい仕事をしようと考えている弁護士は、そうでない弁護士に比べて、圧倒的に成長が早いということです。一方、そのような意識をもたず、たとえば先輩弁護士に言われるがまま、クライアントに言われるがまま仕事をしている弁護士は成長が遅いです。

もう一つの、自分がどんな理想を持つか、どんな弁護士になりたいかという意識については、もはや人生観のような話なので多くは語りませんが、高い理想をめざし頑張る弁護士の方が、そうでない弁護士よりも努力を継続することができるのではないかと思っています。私自身、時給換算すると割に合わない程度仕事をしていますが、自分の理想或いは目標を持っているからこそ割に合うと考えることができます。


2.専門性について
総合法律事務所では顕著かと思いますが、数年経験を積むと、弁護士には一定の専門性が求められます。現在、一定規模以上の企業では、案件に応じて弁護士事務所を使い分ける(たとえば、日々の相談は古くからお付き合いのある事務所、M&Aなら大手、知財ならブティックというように)のが通常です。そうすると、クライアントも常に、弁護士の専門性に気を払いますし、弁護士も専門性を有していないと、依頼を受けることができません。

この点、私個人の話を書きますと、この1年は専門性という意味で、今後数年の方向性が固まった1年でした。すなわち、この1年に入るに当たり、もともと志向していた渉外のほか、M&A、紛争(訴訟・仲裁・交渉)を自分の専門性として志向することと決め、渉外案件の割合を増やしたほか、中国の弁護士事務所で短期研修をし、M&Aの主任を志願し、紛争案件についても数を増やしました(数を増やせたのは、優秀な後輩が主任を務めてくれているからですが)。ちなみに、渉外、M&Aの組み合わせは割とありふれていると思いますが、私の場合、中国語・英語ともに解することができるという特殊性があるかと思います。

専門性自体は、事務所の案件の種類や、自分の好みを踏まえ、専門性ごとのシナジーを考えて決めるべきものだろうと思います。事務所の案件の種類と言うのは、たとえば、事務所で扱っている弁護士がいない案件を専門としようとすると、自らが先駆者として一から案件を獲得し、勉強しなければならないので大変である一方、一度専門性を身に着ければ、先駆者となれるといったことがあります。逆に、事務所で扱っている弁護士が沢山いる案件を専門としようとしても、事務所内で専門性が被る弁護士が多数となり、それで食っていくのは大変ということになるでしょう。また、専門性ごとのシナジーについては、たとえば、渉外とM&Aであれば、クロスボーダーM&Aというシナジーがあるでしょうし、渉外と紛争であれば、国際仲裁というシナジーがあるでしょう。

なお、総合法律事務所で専門性を身に着けるには、「専門性の旗を掲げること」がポイントかと思います。すなわち、厚かましいくらい事務所内で自分のやりたいことをPRし、案件をボスから振ってもらって多くの知識・経験を身に着けるとともに、しっかり成果をだし、ボスにやる気を認識してもらうことが重要です。大事なのは、PRするだけでなく、ボスから振ってもらった案件でしっかり成果を出すこと、言い換えればチャンスをしっかりものにすることです。PRをせず、或いはチャンスをチャンスと認識せずに、ボスが案件をくれないとぼやいていても前には進めません。


3.経営感覚について
弁護士は事務所に所属していても独立自営業者ですので、経営感覚を身に着けることが必要です。経営感覚と言うのは、「利益=売上−原価」という感覚です。これを言うと、金儲けばっかり考えやがって、と言われそうな気もします。しかし、弁護士が公益活動を行うには、しっかり自分が食っていける程度の経営ができないといけないわけですから、この感覚を持ち、自分がしっかり独り立ちできるようになることが大切だと思います。一言で言うと、きれいごとを言うには、自分が食えるようにならないといけないということです。

したがって、重要なのは、経営感覚を早いうちに身に着け、自分が将来何で食っていくか、食っていけるようになるためには今何をすべきかを考えるようにすることかと思います。
総合法律事務所或いは共同事務所の場合、経費負担の目安がありますので、少なくともその経費+自分の生活費を売り上げるにはどうしたらいいかというのを考える必要があるでしょう。考えると頭が痛くなる部分もありますが…

なお、弁護士一人の場合、会社と異なり、仮に利益がマイナスでも、弁護士にとって貴重な経験が得られるような場合は、会社にとっての設備投資と同じようにとらえることができるので、ここでいう「利益」とは会社とは異なる部分もあります。


4.弁護士にとって最も重要な信用について
弁護士にとって最も重要なこと、それは信用だというのがこの3年で感じたところです。
信用とは積み重ねであり、クライアント、裁判所、事務所内の弁護士等から得るものです。
納期を守らないとクライアントの信用を失います。訴訟等で機会主義的行動をすると、その案件限りで万一いい結果を得られたとしても(だいたい機会主義的行動ではいい結果は得られませんが)、裁判所及び相手方代理人における自己の信用を失います。事務所内でボスに頼まれた仕事を責任もって対応しないと、事務所やボスからの信用を失います。

一方、クライアントのやや無茶な依頼にきっちり応えたとき(無茶すぎる依頼は無茶だと答え、弁護士の使い方を身に着けて頂くのも弁護士のあるべき姿だとは思いますが)やクライアントの依頼に期待以上の成果を出したとき、裁判所の意図するところを読み取り訴訟指揮に応えたとき、ボスの手をほとんど煩わせずにボスから振られた案件に対応したとき、弁護士は信頼を獲得します。おそらく依頼者やボスにとって最も貴重なのは信頼できる弁護士であり、我々の評価は信用の積み重ねです。我々弁護士がプライドを持つべきはバッジではなく、自分が積み重ねてきた信用だと思います。


5.まとめ
さて、以上色々と書いてきましたが、まとめると、「二年目以降は目の前の案件に取り組むのみではなく、自分の目標や専門性、経営感覚を持ちつつ、信用を勝ち得るためにどうするのがよいかしっかり考えるべき」というところでしょうか。

まとめてみると非常に安直な結論になってしまった感もありますし、たとえば事務所外での営業活動や、執筆等の具体的な話は一切書けませんでしたが、言うは易く行うは難しというところです。相変わらず偉そうなことばかり書いていますが、あえてこのように言明しハードルを上げるビッグマウスなボクサーのようなスタイルは私の伝統芸ですのでお許しください。今年も私の人生のモットーである駑馬十駕の精神で、いい一年にしていこうと思います。皆様今年もよろしくご指導ください。

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司法試験合格発表の雑感

今年も合格発表の季節です。
おそらく一方的に私が気にかけていた方々の合格を聞いてうれしく思う一方、失敗した方々の報告も見て、何とも言えない気持ちになります。

弁護士になって気づけば早くも3年目ですが、学部の後輩なんかに「弁護士になりたいんですが、どうですか?」と言われると、いつも厳しめなことを言っています。労働時間も長いし、景気も悪いし、最終的に自分の食い扶持は自分で稼がなきゃいけない厳しい業界だよと。これらを聞いた後輩のリアクションは様々です。

実際、弁護士の業界は決して楽ではなく、実入りという意味では決しておいしくない業界だなあとしょっちゅう思います。隣の芝生は青く見えるのかもしれませんが、他の道を選べばもう少し楽できたかなと思うこともあります。そのため、そういうキツめな言い方をして、それで断念するようなら断念する方が幸せなのだろうと思っています。

一方で、私の3年間は、辛いときもありましたが、有意義な3年間でしたし、弁護士という仕事を気に入っています。それが5年後、10年後もそうであるかは、諸々の環境の変化もあるでしょうから何とも言えません。しかし、結構全力疾走してきたこの3年間を悔いることはないだろうと思います。

司法試験なんて結果いかんを問わず終わってしまえば過去のこと、合格したなら次の日にはそんなこと忘れて、次の目標に向かって頑張るだけで、不合格だったなら、次の日にはそんなこと忘れて、自分が将来どうしたいのかきちんと考え、司法試験に或いは別の道にリトライすればいいだけです。司法試験に合格する力は弁護士としての力や社会人としての力としてただちにイコールではないので、結果いかんを問わず精進が必要なのだろうと思います。

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RIP

ここしばらく旅行記をまったく更新できていないのですが、これはひとえにもう仕事がばたついているせいです。土日関係なく仕事ばかりというところ。心が折れそうになることもありますが、年を取るにつれて、それでも、やりがいがある仕事をやれているだけいいのだと思うところです。

昨年の8月末に親友を亡くして既に一年。時が経つのは早いものです。彼との最後の別れの場面は一生忘れないと思います。その時に、狂ったように雷鳴がとどろき、豪雨が地面を殴りつけるように降っていたのがつい昨日のようです。

一日一日を大切に生きていきたいと改めて思います。

エチオピア・ケニアの旅:9.エチオピアのタクシー・車事情

ブルを手にした我々は、空港を出て、とりあえず時間も遅いし、アディスアベバの治安もよくわからなかったので、エアポートタクシーを利用してホテルに向かおうと考えます。ホテルは、歩き方を見て、街の真ん中あたりに位置するNational Hotelに決定します。


エアポートタクシーは黄色に塗られており、歩き方によれば、それ以外のタクシー(白と青に塗られている。とりあえず白タクと呼びます。)よりも割高だが安全とのこと。そこで、「Taxi」の標識に従い、空港を出て乗り場に向かいます。私は、先進国以外でよくある客引きラッシュを警戒していましたが、まったく声を掛けられることなく、乗り場に到着。客待ちをしているタクシーの列に行くと、一見して観光客である我々に対し、さっそく元締めのような親父が声をかけてきます。


親父は英語でどこに行くのか聞いてくるので、「National Hotel」と行先を伝えると、何やらファイルのようなものを持ち出し、200ブルと記載されているのを見せられます。内心このファイルに何の根拠があるんだとか思いながらも、歩き方に書いてある相場とそうずれていなかったので、OKと伝えると、我々が乗る車を指定され、その車でホテルに向かいます。声を掛けられた時点では、その親父の車に乗るものだと思っていたので、少々驚きます。とはいえ、別に誰の車でないといけないというわけでもないので、おとなしく指定された車に乗ります。車はトヨタカローラでした。


ちなみに、後で訪れたナイロビのエアポートタクシーでも、元締めがいて、元締めが客引きをし、運転手と車をその場で手配していました(ナイロビはトヨタプリウスでしたが。)。エチオピアケニアではそういう売上管理をしているんでしょうか。


青と白に塗られた白タクは町中いたるところで見られます。





















車は大きな道を走ります。市内に入るにつれて、大量の車を目にすることになりましたが、アディスアベバ市内を走っている車は、圧倒的多数がトヨタカローラハイエース)、次に日産です。しかも、日本だと廃車だろうと思われるような年季の入った車が多いです。タクシー運転手に、トヨタじゃないか!と話しかけると、トヨタの車はstrongで素晴らしいと言われます。確かに、エチオピアに車で、トヨタ車がここまで頑丈とは思わなかったですね…


白タクは、車種不明(私が自動車に詳しくないゆえかもしれませんが)の小型車がほとんどで、それをペンキで青と白に塗っています。エアポートタクシーも20年くらい乗られているようなカローラが結構ありますが、白タクはもっと年季が入っていて、ドアを強く締めると運転手に「Soft! Soft!」と怒鳴られます。


それに、「TOYOTA」はおしゃれなイメージがあるのか、明らかにトヨタ車じゃない車や、馬が引っ張る車にまで「TOYOTA」のシールが貼られていたりします。また、車が年季が入っている分、おしゃれでカバーしようとしているのかどうかわかりませんが、シールが貼られている車が多いように感じました。


シールの大部分は、キリスト教に関するものか、最後のエチオピア皇帝のものが多くみられます。前者は、キリストの絵や、エチオピア正教の聖人である聖ゴルギアス(セイント・ジョージ)が多く、後者は、廃位された最後のエチオピア皇帝であるハイレ・セラシエの絵です。


ゴルギアスエチオピアでは最もポピュラーな英雄らしく、いろんなところで見かけましたし、ビールのブランドとしても使われているようでした。ハイレ・セラシエは、どうも人気があるようで、自動車に貼られている以外にも、Tシャツになっていたりといろんなところで見かけました。その一方で、ハイレ・セラシエ廃位し暗殺した政権は人気がないのか、黒歴史なのか、博物館等でも、ほぼ言及されていませんでした。ハイレ・セラシエも、ひょっとしたら毛沢東のように、時代を経て「お守り」のようになっているのだろうかとも思いました。この辺りは非常に気になるのですが、現地人に聞くのは避けたほうがいいかと思い、結局聞かずしまいです。


また、ハイレ・セラシエは、ラスタファリ運動の原動力になっていることからか、ボブマーリーらしき肖像が書かれたお土産物のシャツも多くみられました。私は勢いでハイレ・セラシエのシャツを買ってしまいましたが、いつ着ればいいんでしょうかね…


車の後部にはセイント・ジョージ、側面にはハイレ・セラシエの肖像が貼られたトヨタハイエース





















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エチオピア・ケニアの旅:8.エチオピアの通貨

何はともあれエチオピアの通貨を手に入れる必要があるので、中年職員に銀行はどこかと聞くと、親切に教えてくれます。銀行でとりあえず200米ドル分エチオピアの通貨である「ブル」(巻き舌で発音する。)に変えます。だいたい1ブル=5日本円位です。


現地人の相場感覚は1米ドル=20ブルというもので、アディスアベバ市内では、入場料のように定価が決まっているもの以外の支払は、米ドルもブルもいずれでもOKという感じでした。そのため、我々も、最初に両替した以外には両替することもなく、米ドルが使えるところは米ドルで支払いをしました。


ブル通貨は、最高額が100ブルです。なぜか100ブル札はよれよれで汚いものが多いのに、それより小さい額のものはきれいなものが多いように感じました。100ブル札が一番流通しているからだろうかと思ったのですが、物価を見る限り、必ずしもそうでもなさそうです。


紙幣は1、5、10、50、100ブルで、硬貨はあまり使った記憶がありません。また、Wikipediaによると、ブルの下にサンティームという単位があるようですが、これまた見た記憶がほとんどありません。個人的には1ブル硬貨がおしゃれで気に入っています。


空港にある銀行でブルをゲット。

エチオピア・ケニアの旅:7.エチオピアの洗礼2

アクスム、ラリベラ行きをほぼ断念した我々は、ふと気づきます。
我々は、イミグラの外にいるが、イミグラを通っていないのではないか…?


そこで、ターミナルにあるイミグラのお姉さんに英語で話を聞くが、よくわからないと言われ、違うイミグラに行けと言われます。そこで、我々は、別のイミグラに移動します。日本だと、一度荷物受取場を出ると逆走はできないが、まったく止められることもありません。


イミグラに行って、若いイケメンの係員に、我々がイミグラを通っていないことを説明すると、なぜそんなことが起きるんだと聞かれます。いやいや、こっちが聞きたいよと思いつつ、事情を説明すると、一応納得したらしく、イミグラの座席に入り、手続を始めてくれます。


しかし、イミグラのための機械(指紋読み取り機)の調子が悪いのか、一向に進みません。何回か機械を変えトライするのですが、ちょくちょく国内線の飛行機が到着し、若い係員はその度にそっちの対応に行ってしまい、我々は待ちぼうけを喰らいます。


それでもどうにかして指紋の読み取りが終わり、やっと、エチオピアでの住所を聞く段になります。我々は、予約は当然していませんが、地球の歩き方(今後「歩き方」といいます。)に書いてあったリーズナブルな「National Hotel」に泊まる旨伝えます。しかし、いまいち伝わらないので、歩き方を渡して見せます。そうすると、彼は、歩き方に興味を持ったらしく、なぜか他のページをめくり始め、完全にエンジョイし始めます。ちょお前!とか思うも、こっちも考え方によっては不法入国してしまっているので、強気にも出られず待つほかありません。そうこうしているうちに、また飛行機が来て、若い係員は我々に、近くのベンチで座って待てと言うに至ります。


結局、若い係員は何とか手続はやってくれたようなのですが(ビザに捺印された)、その後ベンチにいる我々のところに来て、「これはイミグラのために必要なのだが…」と言いながら、歩き方の写真について聞いてきたりして、完全に雑談モードに入っています。我々も彼の機嫌を取らないといけないので、アクスムエチオピアの素晴らしい文化の発祥地と聞いているとか言いながら、アクスムのページを見せます。最終的に若い係員は、今イミグラに報告挙げているから待ってくれと言うので、仕方なく待ちます。この時点で既に午後4時を過ぎています。


若い彼は、日本人が珍しいのか、色々話しかけてきます。こっちも待つほかやることがないので彼とおしゃべりし、彼がイミグラに来たばかりだということを聞いたりします。彼は、我々に対して、日本人や中国人は英語を話さずに、自分の国の言葉で話しかけてくることが多いが我々はなぜ英語を話すのかとか、我々はファミリーネームが一緒で顔がよく似ているが兄弟なのかとか、そういうことを尋ねてきたりします。


すると、途中で中年くらいの空港職員が来て、我々を見つけて不審に思ったのか、若い彼に事情を聴き始めます。すると、この中年職員は、我々のイミグラはターミナル2でやるべきだとして、ターミナル2に移動しようと言い始めます。我々は内心、冗談じゃない…と思いますが、やむなく彼についていきます。ターミナル2は、車で移動しなければならないので、我々と彼はターミナル1の滑走路側で車を待ちます。その間、再度彼は我々に、何時にアディスアベバに着いたのかと、今後の旅程はどうなのかとか、アディスアベバでのホテルはどこかといったことを根掘り葉掘り聞いてきます。我々もしょうがないので、さっき若い職員に説明したのと同じような内容を再度彼に説明します。


我々は車でターミナル2に移動します。ターミナル2は、我々が朝8時過ぎに到着したターミナルです。この時点で、午後5時前。我々は、アディスアベバに到着して9時間近く。私は、なぜアディスアベバまで来て何もせずに9時間を費やしているんだろうかと思いつつ、今朝の到着がずいぶん昔の出来事だったような印象もあって、ある種変な懐かしさを感じながらターミナル2を歩きます。


一方、中年の空港職員は、我々を導いて、ターミナル2のイミグラに連れて行ってくれます。空港内は、薄暗く、旅客もあまりいません*1。中年の空港職員は、イミグラに事情を説明して、手続をしてくれます。ターミナル2のイミグラ職員も、国際線がつく時間でないのか、完全にリラックスモードでダラダラしており、そんな時間帯に現れた東洋人2人に不審な目を向けていました。


私は、ここでまた足止めされると、アディスアベバ市内に着くのが夜になるので困るなあなんて思います。しかし、中年職員の説明を受けて納得したのか、イミグラ職員は、最後は愛想よくイミグラ手続を終えてくれ、午後5時過ぎ、ついに我々は改めてエチオピアに入国しました。


アディスアベバ空港の外観。


















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*1:帰国時のトランジットでわかったのですが、アディスアベバ空港の国際線は、午後3時〜午後6時頃便が少ないようです。

エチオピア・ケニアの旅:6.エチオピアの洗礼

アディスアベバ空港で、エチオピア航空職員にベンチで待っているよう指示され、待っている我々。しかし、待てど暮らせど職員は何も言ってきません。

そうしている間に、周りのベンチに座っている人たちは入れ替わります。私はアフリカ大陸初上陸なので、周りの人々・物の全てが珍しく、観察して待ちます。書いてある文字はアムハラ語で全く読めませんが、面白い形をしていて見ていても面白いです。また、周りの人々は大きく分けると、洋服を着ていまどきな格好をしている人、伝統衣装らしきものを着ている人(ほとんど女性)、ムスリムらしき人に分かれます。

こうやって時間を過ごしていると、もう昼時です。すると、隣のマダム2人連れが、昼ご飯を食べ始めます。我々が物欲しそうな顔をしていたわけでもないでしょうが、なぜか隣の我々に自家製のパン(クレープを重ねたような物)をわけてくれます。我々もお言葉に甘えて頂きますが、微妙に酸味があり、おいしかったです。

それでも、職員は、2時前になっても何も言ってきません。聞きに行くと、キャンセル待ちなのだから待っていろと言われます。我々はこの時点ではじめてキャンセル待ちであることを知るのです。そして、結局2時過ぎに、「Seats are full」という、残念な一言を頂戴します。そう、我々は5時間待たされた挙句、アクスムには行けないということになったのです。

日本以外の国(特に先進国以外の国)では、不明なことは全部聞いて、きっちり言質を取らなければならないのですが、私も久しぶりの先進国以外の国の訪問ですっかりそういうことを忘れていたのです。キャンセル待ちだというのを早くに知っていれば、あきらめて他の方法も考えられたはずななのですが…今回の旅程は、アディスアベバアクスム→ラリベラ→アディスアベバだったので、これでラリベラに行くのもほぼ不可能となってしまい、我々の旅程は、開始早々再検討を要することとなってしまいました。私は、アクスムとラリベラに行くことが、今回の旅行の最大の目的だったので、結構絶望的な気持ちになりました。

それでも、とりあえず今日のところはアディスアベバ市内のホテルに泊まるほかないだろうという結論になります。それで、アディスアベバ市内に向かおうとするのですが、そこで我々はとんでもないことに気付くのです。

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