いま世界で起きている事象について

ロシアがウクライナに侵攻して数日が経過しました。この件について思うところを少しだけ書いておこうと思います。

まず、大前提として、ロシア側に歴史的な経緯や認識に基づく言い分が仮にあろうとも、今回の侵攻を正当化できる事情はないということです。確かに、ロシアの安全保障の観点から、ウクライナNATOに加盟したら大変だというのは理解できますが、だからといって侵攻を正当化できるはずがありません。今回のことについて、いろんな分析・意見があるべきとは思いますが、この点は動かせないと思います。

次に、過去の歴史を踏まえて感じたことですが、ロシアがウクライナに侵攻する前の軍事演習については、まるで関特演だな、と思っていました。また、ウクライナNATOに加盟することは許さないというスタンスは、「満州は日本の生命線」と同じようなにおいを感じていました。しかし、残念ながら結果は関特演と異なるものになってしまいました。その時点で考えていたこととしては、関特演の場合、南の方が騒がしくなり、かつ、ドイツのソ連侵攻があってもなおソ連の極東の戦力が維持されたことによる軍事的均衡によって、日本はソ連に侵攻しなかったのに対し、今回は、他が騒がしくなることもなさそうであり、かつ、軍事的均衡もなさそうなので、ロシアが、国際紛争を解決する手段としての戦争を避けるべきという考えを持ってくれるかどうかだけではないかと思っていました。結果、ロシアは、そのような考えに縛られなかったか、又は、ウクライナを主権国と思っていなかったか、理由は分かりませんが、侵攻を押しとどめるものがなかったので侵攻したという、頭で考えるとそうなるよねという結論になってしまいました。

続いて、民主主義の相対的まともさを感じました。我が国も、同じ首相がしばらく続いていましたが、それは偏に権力保持及びオペレーションの仕組みをうまく作り、一定の成果を上げていたからです。それでも首相が交代すべきときは交代させられるし、代わりを輩出できる制度が憲法で保障されています。これに対し、ロシアは、建前はともかく、同じトップがずっと続いており、そのトップがとんでもないことをし始めたときに、合法的にトップを交代させる制度がありません。まさにガバナンス論そのものですが、衆愚政治というデメリットを抱えてもなお、民主主義のほうがまともだなと感じたところです。特に、最近はコロナ禍で、独裁的な体制の優位さが目立っていたところもあったため、久々に民主主義のメリットを感じたように思います。

また、日本が所謂西側諸国であることを実感します。Twitter等で特別な注意を払っていれば別ですが、びっくりするくらいウクライナ側の情報しか入ってきません。常識的に考えれば、ウクライナ側の軍や市民にも相当の被害が及んでいるように思うのですが、その情報は、特に入ってきません。

そして、きわめて自戒すべきところではありますが、各種メディアで、様々な方が今回のことに見解を披露されていますが、この種の極限状態においては、それぞれの普段見えないものが見えることがあるのだなと思います。たとえば、「西側諸国」が、ウクライナに派兵しないことを強く批判する人たちがいます。その心理は理解できるものの、ウクライナとの間で相互安全保障を約していないのに派兵をするというのは、民主主義下での一国の責任者にできるはずがありません。法的な約定なくそのような行為をすれば、国民に対する責任の放棄かつ承認されていなかったリスク(たとえばロシアからミサイルが飛んでくるリスク)の引き受けになりますし、約定なく派兵できるのであれば、逆に、安全保障条約を締結している国との約定に何の意味があるのかわからないことになります。そうなると、歴史的に言えば、ABCD包囲網や、援蒋ルート・米国義勇兵のようなものが限度であろうと思われ、今回も各国がそれを始めているということであろうと思います。

同じく、このような事態になると、真偽不明の情報や、デマゴーグが増える印象を持ちました。平時も有事も同じことですが、人間の認知能力には限界があるので、きちんと批判的思考と、複数人による批判的議論を行い、意思決定していくことの重要性を再認識しました。たとえば、日本の周りに敵性国家が多いから更なる武装を…という話を言い出す人がいますが、敵性国家という用語の意味が分かりにくいのはともかく、日本と軍事的な意味での同盟関係にない国が周囲にいることは今に始まったことではなく、かつ、日本の力が凋落するのに対し、他国は力を延ばしているわけですから、他国に日本が食い物にされないようどうすべきかというのは、普段から議論し考えておくべきことでしょう。

一方で、21世紀になって、このような侵略戦争が起きるなんて、と嘆く声も聞かれます。私も、ロシアがウクライナに侵攻するなどということはもちろん全く予想していませんでしたが、一方で、歴史に学べば、それは別に意外なことではないと思います。私は普段、過去の歴史に学ぶことは難しいと思っており、たとえば、戦国武将に学ぶ何たらというようなテーマは、過去の歴史の詳細が分からない以上無理があると思っています。しかし、今回のことを見ると、兵器や技術は進歩しても、やっていることは戦国時代の境目での紛争や、昭和の反社会的勢力の喧嘩(戦争)と同じだなと思うところが多いです。

加えて、国際紛争も、我々が職業上取り扱う法的紛争と類似していると思わされました。そして、我々が扱う法的紛争は、当事者間で解決ができなければ、プロの代理人が付いて交渉し、それでも解決できなければ、解決のための権力を有する裁判所等の第三者機関において解決します。一方、国際紛争の場合、第三者機関がない又は第三者機関的な立ち位置になってくれる者がなかなか出てこなかったり、今回のように自力救済が行われるというのは法的紛争と異なりますが、それ以外はかなり似ていると感じるところです。

また、これら相違点についても、本質的にな差はないのかもしれません。すなわち、プロの代理人であれば、裁判所等で法的紛争として対決するとどのような結果(勝敗)に至るかというのを予想し、落としどころ又は獲得目標を念頭に置き、自分の主張を整えて相手と交渉します。また、裁判所等での審理に至った場合は、全ての力を尽くして主張立証し、相手を叩きのめしつつます。国際紛争における自力救済すなわち戦争行為を、政治的課題を解決するための外交の先にある行為と考えれば、結局この相違点も、本質的な差をもたらすものではないように思います。

そして、戦国時代の紛争も、昭和の反社会的勢力の喧嘩も、法的紛争解決も、解決に至るシナリオは多くありません。そのうち一つは、和解・手打ちです。一つは、どちらかが降参するまでとことんやるというものです。一つは、攻め手が一方的に紛争をやめてしまうことです。

和解・手打ちに必要なのは、双方にとってそれに応じるメリットがあることや、場合によっては顔役的な仲介人です。紛争を始めてしまうと、当事者それぞれの内部では拳を下す理由が必要になりますので、メリットがあるとか、誰かの顔を立てるといった事情が必要です。今回は、ウクライナがどれほど時間を稼げ、それによってロシアの損害が膨らみ、戦争によって得られるメリットが減っていくかということがカギになると思います。一方、仲介人として顔役になれそうな国は、西側諸国でもロシア側でもない大国や中立国ということになるでしょう。今のところ、あまり思い当たる国はありません。中国は、ロシア寄りと言われますが、ロシアと組むことで米国と張り合いたいだけでしょうから、ロシアがならず者になってしまって付き合いにくくなるのは避けたいと思うでしょう。そうすると仲介する利益はありますが、過度に関与してデメリットが生じるのは避けたいでしょうし、そもそもウクライナとパイプラインがあるのかもよく分かりません。

とことんやるというシナリオは、ロシアにとっては取りにくいのかもしれません。ロシアは、ウクライナの「コメディアン」の政権を容易に打倒できるシナリオを想定していたと思われますが、そのシナリオは失敗しているように見えます。今は、一応和解交渉をする姿勢を見せつつも、侵攻は続けている状態ですが、時間をかけて首都キエフが陥落しても、たとえばキエフから政権が西側に移転し、抵抗をつづけた場合は、最終的にはロシアは対応に苦慮することになるでしょう。ヴィシー政権汪兆銘政権のように、一応の政権を建てたとしても、果たしてそれがどれだけ維持できるかというところもあると思います。そして、とことんの究極的なパターンが核兵器の利用ですが、私は、過去の歴史に鑑みれば、使われる可能性があると思っています。現状、本件はあまりに落としどころが見えないのに対し、ロシアが様々な場面で不利になっていることから、ロシア目線では核兵器を使う合理的理由がどんどん増しているように見えます。

最後に、攻め手が紛争をやめるというシナリオは、第一次世界大戦帝政ロシアのパターンがあります。今回は、当時と同じように、国民の不満が高まるのは間違いないでしょうが、あとは、ロシアトップがどれだけ国民の不満を押さえられるか及び、ロシアの首脳陣がどこまでトップと心中する覚悟を持っているかによると思います。今回は、国民の不満が高まり、それに軍が呼応してクーデタとか、何らかの事象による政権崩壊というシナリオしかないと思いますが、果たしてそれが起きるかどうか。個人的には、実はこのシナリオが頭で考えると一番ありえるのではないかと思っています。

以上、ただただ備忘的に感じたことを書いたものの、先行きはかなり暗いと感じます。自分は自分で出来る範囲で何かをやっていくしかないと思いますが、とにかくいま世界で起きているかかる不幸な事象が、うまく解決されることを祈っています。