「令和」で感じたこと

新しい元号の「令和」が発表されて1週間。この1週間は、私にとって、この国を憂うには十分な期間でした。

4月1日に、NHK元号発表の生放送をテレビの前で見ていた私が、最初に受けた印象を整理すると、「令和」というのは、和することを命令するという意味であり、書き下せば「和せしむ」になるのではないかということで、漢字が強烈だなということと、「令」という漢字は元号では見たことがないような気がするな、ということでした。

元号発表をNHKのスタジオで見守っていた本郷和人教授が、元号において令という漢字が使われたことはないように思うし、人名でも使われないと思われること、「和せしむ」と読めることを指摘され、微妙な表情をされていましたが、同じような思いでした。さて、それから一週間、保守を自認する私は、この元号についてつらつら考えていました。元号を重要視する人は減っているのでしょうが、私にとっては、自分の時を支配し、遠い将来において皇太子殿下の諡になり、歴史に刻まれる概念である以上、非常に重要なものなのです。その結果、私は、やはり、この元号に対する違和感を払拭できませんでした。

すなわち、令という漢字を見たときに、通常は「命令」が出てくるでしょうから、漢字としては強い印象を与えるものだと思います。過去に「令」が元号として使われたことがないのがその理由かどうかはわかりませんが、江戸時代に「令徳」が「徳川に命令する」と解釈し得ることから避けられたとの説がある*1ことからすれば、やはり「令」=「命令」と読めてしまうことは否定できないでしょう。いくら「令夫人」「令嬢」という単語があるといっても、「令」の後ろに「夫人」「嬢」といった名詞がつくパターンと、「和」という動詞がつくパターンを並列するのは少し無理があると思います。なお、安倍首相によれば、令和には「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込めたとされ、元号発表のその日の夜には、「令」は命令という意味ではなく、令嬢等のいい意味であると説明されていましたので*2、おそらく上のような突込みが入ることは想定していたのではないかという気もしますが、それでも躊躇わなかったということなのでしょう。そして、元号選定の過程で、「令」という漢字の強さに対し、誰も違和感を持たなかったか、指摘しなかったのでしょう。

この「和せしむ」について、平和にさせるという意味だからいいのではないかという言意見もあるようです。しかし、私の感覚では、和を命令するといえば、権力を有する者が、下の者に和平を命じたり、或いは、実力で天下を一統するようなイメージであり、積極的平和主義を謳うもののように感じられます。歴史上の人物で言えば、ヤマトタケル漢の武帝を想起します。このあたりは印象論なので、何を想起するかに個人差はあるでしょうけれども、そのような印象を与える元号にしたというのは、漢字に対する想像力が足りないのではないかと思わざるを得ません。

加えて言えば、元号という漢字をネイティブで読めるのは日本以外では、中華圏に限られるので、その辺りの印象も考慮に入れて頂きたかった。たとえば、中国人の友人複数に聞いたところでは、「令」は発音が「零」と通じるので、「和」がゼロという意味になりかねず、ネガティブな印象を持つようです。また、「令」にいい意味があるというのを知っている中国人も多くないようで、やはり命令というニュアンスを受けるとのことでした。台湾人の友人にはまだ印象は聞いていませんが、同じような印象を持たれる可能性を感じています。

他の元号の候補を見ると、「久化(きゅうか)」「英弘(えいこう)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」とされています。個人的には、「万和」が一番素晴らしいと思いますが、それ以外も特に問題を感じません*3。そんな中「令和」だけは、ニュアンスが強烈で、一つだけ浮いているように見えますので、なぜそれを選んだのか、全くわかりません。令和以外にも国書由来のものはあるようなので、漢籍を脱したかったなら、令和に拘らずともよかったと思います。

そして、初めての国書であるという説明も、すぐに、漢籍の影響があるとの指摘を受けています*4。成立時期を考えれば、漢籍の影響を受けていないはずはないでしょう。政府がこれを認識していたのかどうかは判然としませんが、このような指摘を受けるくらいなら、最初から、漢籍と国書の両方を踏まえたくらいの説明をすればよかったのにと思うところです。そうすれば、日中友好云々という説明もできたでしょう。

ところで、一時期いわゆる「きらきらネーム」というのが言われていましたが、これを漢字の意味・通常の読み方を離れた名前とするなら、今回の元号も同じにおいを感じます。「初春令月、気淑風和」ですが、春のよい日で風が気持ちいい、という程度で、全くメッセージ性を感じません…と思っていたのですが、昨日、品田教授の緊急寄稿とされる*5記事*6に接しました。これによれば、政府が意図していたかは別にして、令和には深い意味があるということになりそうです。この記事の中で、最も印象的だった部分を引用します。

これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛
烈に皮肉っている格好なのです。もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。
安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新年号「令和」が〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージを自分たちに突き付けてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはいとも迂闊であって、人の上に立つ資格などないということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。

私は万葉集については全く詳しくないので、テキストの背景は知りませんでしたし、こういう意味を「令和」が持ちうるというのも想像していませんでした。しかし、こういうことがあるので、元号については由来をきちんと検討すべきということです。さすがに、そのような迂闊な決定をした方々が人の上に立つ資格がないとまでは思いませんが*7、「令和」は次代の天皇陛下の諡となり、畏れ多くもそれを政府が決定する訳ですから、この迂闊さは許容しがたいように思います。

最後に、いわゆる保守を自認される方々が、漢籍ではなく国書によるべきであるとの主張をされていることには失望を禁じ得ません。先に引用した毎日新聞の記事の中の以下の言及こそが保守の本来的認識ではないかと思いますし、古から渋沢栄一まで日本の知識人の知や倫理の骨格を形成していたのは間違いなく、むしろ、戦乱で荒れた中国大陸ではなく、日本においてこそその古典が生き残っていることを誇ってもいいのではないかとすら思います。

中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

 中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味
中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。
中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

本来の保守であれば、そのような迂闊な決定をした政府を批判してしかるべきでしょう。それにもかかわらず、そのような批判はまだあまり見られないのが残念です。

*1:幕末幻の元号「令徳」が示す改元のインパクト

*2:安倍首相「令は『良い』の意味」 野党批判に反論 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

*3:先述した本郷教授が指摘されているのとおおむね同意見です。ただし、論語の巧言令色を引くのは、やや牽強付会の印象があります。「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 | AbemaTIMES

*4:令和の出典、漢籍の影響か 1~2世紀の「文選」にも表現 - 毎日新聞

*5:現時点でこれが品田教授の寄稿であるかの裏は十分に取れていないのですが、少なくともこの内容については全く同感です。

*6:https://docs.wixstatic.com/ugd/9f1574_d3c9253e473440d29a8cc3b6e3769e52.pdf

*7:統治者が学問を修めていなければならないとは思いませんが、仮に自分が学問に通じていないのであれば、適宜な補佐を得て適切に決定すべきです。

新元号についての雑感

元号が発表されました。

私は、この時代の変遷を生で見るべく、家でテレビの前にずっとおりまして、菅官房長官が額縁を掲げたとき、の第一印象としては、音はいいと思いつつ、「和せしむ」と読めることや、「令」という漢字がどうしても「命令」という意味の印象を受けてしまい、和の押しつけ?という第一印象を受けました。

また、趣味の問題なのかもしれませんが、漢籍ではなく花を愛でる歌からというのも、私にとってはメッセージ性が弱く感じます。その意味では、あはれさを大事にする非常に日本っぽい(国学的な意味で)概念でしょうし、首相の説明を拝聴しても、今どき感を強く感じる元号という印象です。震災以降なのか、日本国内で感じられる空気の共有に関する協調圧力を顕した元号とも言えるでしょうか。

ところで、今回、漢籍を外して万葉集を選んだというのは、私からすると伝統の破壊であるように思います。その点を、どこまで意識して今回の決定が行われたのかが気になるところで、決定の過程の議論の公開は無理にしても、議論は保存しておいてほしいものです。

とりわけ、漢籍を中国由来だから気に入らないというのは、私にとっては違和感しかない考え方です。国学的な思想からすればそういう考え方になるのかもしれませんが、日本の文化は中国古代の五経・四書をはじめ、中国の概念を取り込んで形成されており、それを否定するのであれば、漢字の利用も止めなければなりません。我々の思想の中には、古代中国からの思想的な要素が多く含まれており、それを安直に否定するのには違和感があります。

しかし、決まった以上は仕方がありませんし、社会が少しでもいい方向に進んでいくよう、令和時代を生きていきたいと思います。

地獄への道は善意で舗装されている

数日前、某有名人がツイッターでお年玉を配ったのが話題になりました。これを見たときに私が思ったのが、「ただより高いものはない」というものでした。両親からは色んな金言をもらっていますが、その中の一つがこれです。

今の私の理解では、この言葉には二つの含意があり、①○○にキスするようなことはするな、②謂れのない金をもらうと後でより大きな損をするということです。弁護士になってから、根拠なく何かしてもらうと借りができてしまうし、信用できる相手以外から借りを作ると碌なことにならないというのを実感していますので、本当に親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はないなというところでしょうか。

一方で私は、「やらない善よりやる偽善」という信条も持っているのですが、今回の出来事にはかなり違和感を感じました。なぜだろうと考えていたところ、以下の記事に接しました。

note.mu私はこの記事の筆者程今回の出来事に対し強い反感は持っていないのですが、この記事の以下の記述は、私が違和感を感じた根幹を言い表しているように思いました。

金持ちが直接金を貧乏人に配ると、上記のような形で、金持ちに権力が生まれ、貧乏人は金持ちに逆らえなくなる。
この問題を解決するために、人類は、「金持ち → 貧乏人」という富の分配を、「金持ち → 政府 → 貧乏人」という形にする方式を作り出した。すごいイノベーションである。というか、レボリューションである。
このレボリューションによって、ようやく、貧乏人は、実質的な言論の自由を手に入れ、金持ちの言うことであってもダメなものはダメと言えるようになったのである。 

 今回の某有名人の行動は、したたかな計算に基づく*1と思われるものの、根っこのところには善意があるのかもしれません。しかし、ここで当てはまるのは「やらない善よりやる偽善」よりも、「地獄への道は善意で舗装されている」でしょうか。

なお、私的な或いは趣味的な感想として、上のツイートがリツイートの世界記録になったというニュースに日本国民の窮境を感じたというのと、今回のやり方には品がないと感じるというところ。いずれも所詮は感想にすぎませんが、私の感性と社会がズレてきているのだろうと思った次第です。

*1:税務的にも法務的にもよく考えられていると思います。

那須川vsメイウェザーに見る国際契約交渉の留意点

私は大晦日は基本的に紅白歌合戦ツイッターの寸評と合わせて見ているのですが、今年は、那須川選手対メイウェザー選手のときだけはチャンネルを変えました。私は格闘技はそんなに興味がなく、せいぜい「はじめの一歩」をたまに読むくらいで、ボクシングの試合も昔何度か行きましたが、長谷川穂積選手のKO負けを見たのを最後に行くのをやめた程度です*1。そんな私でも、Pound for poundで最強のメイウェザー選手は知っていますし、那須川選手は、ファミレスで知らないお兄さんが、電話でいかに那須川選手が凄いかを友人に力説するのを聞いたことがありましたので、興味は持っていました。

さて、試合の結果は周知のとおりですし、私は格闘技自体のことは良くわからないのでコメントしませんが*2、試合以外に、日本側(那須川選手とその陣営及び運営団体)と、米国側(メイウェザー選手とその陣営)の国際契約交渉*3の過程に目が引かれました。ここには、国際契約交渉で留意すべきエッセンスが含まれているように思ったのです。主に以下の3点です*4。なお、私は本件について全くの部外者ですので、以下では、報道されている事実をベースに想像で事実を補って書いております*5

1.自らの利益を最大化するのが契約交渉

国内外を問わず、契約は自らの利益を最大化するために行います。理屈の上では、当事者は、財の交換によってWin-Winとなるから契約をするはずですが、相手がWinかどうかは本質的には重要ではありません*6。特に、外国企業*7は、その契約相手と将来にわたって付き合う利益があるかどうかを冷静に考え、将来がないのであれば、目の前の契約で自らの利益を最大化することを志向する傾向があるように思います。

ちなみに、ビジネスで信頼関係は必要ですが、お互いに裏切る利益がない状況を共有する方がより重要です。トップ外交は、特にトップの権限が日本より強いことが多い外交企業とのお付き合いでは必要ですが*8、トップ外交による信頼関係があるから大丈夫と思ってしまうのは危険です。

今回、米国側は、日本側のルール改訂の要求に全く応じなかったのではないかと思います。メイウェザー選手が、キックボクシングのルールによることで負傷したり、万が一にも敗北して評判に傷がつくことを受け入れることはできない以上、米国側がこのような対応をするのは当然でしょう。メイウェザー選手は、ボクシングの試合や興業を通じてキャッシュを生むエンティティのようなものであり、世界的に無名であろう那須川選手と、今まで経験がないルールで戦って負傷するようなリスクを取れるわけがありません。キック一発で500万USDという違約金条項も入れられていたようですが*9、それも米側からすればリスクヘッジのために当然ということになります。

逆に、米国側が、ボクシングルール以外で戦うことを受け入れるとすれば、それは上に述べたようなリスクを超える利益が提供されるか、メイウェザー選手がボクシングでキャッシュを生む価値が下がって、ボクシング以外で試合をせざるを得なくなったときでしょう。日本側は、キックを許容するルールを目指して交渉していたようですが*10、それはかなりハードルが高い条件であったように思います。

2.言語の違いを軽視してはならない

国際契約交渉で意外と軽視されることがあるのが言語の違いです。私の経験上、それなりに言語堪能な通訳を起用しても、日本語⇔外国語でのコミュニケーションの場合、伝えたいことの7割程度しか伝わらないという印象ですが、通訳のクオリティや言語の違いはあまり気にされないまま交渉が進み、それによって両当事者で意図するところがズレていくというのは、国際契約交渉で時々生じることです。また、両当事者がある概念を交渉で用いているときに、その概念の理解に齟齬があり、後で噛み合わなくなるということもあります*11。国家間の外交であれば、国民への説明の観点からあえてそれを利用することもありますが*12、契約は原則として双方を明確に縛るように作る物ですので、このような齟齬は限りなく避けなければなりません。

なお、本題から外れますが、交渉を含むコミュニケーションにおいては、母国語で行うのが最も有利なので、私は、重要な交渉は両言語のネイティブスピーカー1名ずつ*13を配置し、ネイティブスピーカーが交渉をし、もう1名がダブルチェックをすべきと考えています。また、たとえば日中間の重要な交渉では、よほど英語に自信がある者同士でない限り、日中両言語で交渉すべきというのが私見です。

さて、今回、昨年11月5日にカードが発表された数日後、米国側は、試合についての説明が違うとしてキャンセルをすると言い出し、同月16日に日本側が渡米して説明することで「ミスアンダースタンディング」が解決したようです*14。これはどこまで真意なのかというのはありますが、報道を見ている限り、日本側がイメージしていた興業内容が「果し合い」でキック等もありというのに対し、米国側は、日本側が選んだ選手との3分×3ラウンドの「エキシビジョンマッチ」で、世界的に放映されるという説明も受けていなかったようであるとされています*15。この行き違いがどこから生じたかというのは籔の中ですが、11月5日の発表で日本側が「エキシビジョン」に言及しているようですので、結局「エキシビジョン」で合意したが、その中身の理解に齟齬があったのではないかという印象があります。

3.契約交渉は足元を見られないようにする

契約交渉において、外国企業は、日本企業に比べて容赦ない交渉をしてくることがあります*16。たとえば、2で述べたキャンセルというのも、考え方によってはある種の揺さぶりであった可能性がありますが、このような手を使ってくる外国企業は珍しくありません。

このような手に対しては、自分の利益状況を見誤らないようにしつつ、冷静に対応する以外ないのですが、それ以前に重要なのは、足元を見られないようにすることです。たとえば、いつまでに契約を纏めたいということを述べるのには慎重になるべきであり、その契約が纏まらないとどうなるかといったことは述べるべきではありません。交渉は、デッドラインが決まっている方が不利ですが、仮にデッドラインがあっても、それを相手に明かすこと自体が不利であり、かつ、明かすことで、揺さぶりの効果があるかないかも相手に分かってしまうからです。

また、デッドラインがあるとしても、交渉力を確保する方法として、契約先の別候補を作るというのがあります。M&Aでも代理店契約でも、それこそ弁護士との委任契約でもいいですが、現在交渉している以外にも契約先の候補がいることを示すというのは、交渉力を確保する古典的な方法の一つでしょう。

今回、日本側が興行主であり、かつ、米国側は顧客誘引力の極めて強い選手を有していますから、交渉力には大いに差があります。加えて、イベントの日取りは決まっており、かつ、交渉開始は10月で、日本側が相当前のめりになっていたとも報じられています*17。この時点で、別候補を出すことも難しくなっていた可能性があります。

一方、米国側も、ボクサーとして引退した以上、今後は米国外でのボクサー以外でのビジネス展開を模索していたはずであり、日本という格闘技はそこまで盛んではないかもしれないが、経済力のある国での興業には興味はあったものと思われます。そのあたりを上手く突いて交渉をするには、少し時間が無さすぎたのではないかという印象があります。

 

最後に、ここまで書いておいてなんですが、契約交渉というのは、外部環境に大きく影響されますので、上の留意点を全て守ることはどだい無理です。たとえば、「社長が外国に行って外国企業の社長とざっくり話をまとめたうえで、1か月でMOU締結して来いって言ってますがどうしたらいいですか」なんていう相談はよくあります。こういうとき、弁護士目線では、契約を性急に進めるのは危険と思いますが、一方でビジネスではスピードも大切でしょう。したがって、結局は、弁護士のアドバイスも踏まえて、クライアントにビジネスジャッジしていただく話であり、あとは結果がどうなるかという話であろうと思います。

本件でも、色々批判はあっても、日本側がこの興業を通じて知名度が上がったのは間違いないでしょうから、興業的には成功したと言えるのでしょう*18。したがって、ビジネス的には成功だったのかもしれません。

しかし、弁護士としては、上のような留意点を、ビジネスをされる皆さんが念頭に置いてもらえれば、よりメリットを確保できるのではないかと思い、日々アドバイスをしているところです。

*1:バンタム級でもパンチをもらうと人があんなにグラつくのだという刺激的すぎる景色を生で見て、自分にはこの刺激が趣味に合わないと思ったのが切っ掛けです。それまでは、後楽園ホールにも何度か行っていました。2000年頃のK-1も結構好きで、マーク・ハント選手、レイ・セフォー選手、アレクセイ・イグナチョフ選手が好きでしたが、今では全く見なくなりました。

*2:ただ、ここまで体重差がある試合をやらせてよかったのかというのは疑問です。結局、試合ではなく興業なのだという説明なのでしょうが、興業であれば選手の安全性に配慮しなくていいということにはならないでしょう。メイウェザー選手のフックで吹っ飛ぶ那須川選手を見て、事故が起きたときにどうするつもりだったのかと思いました。もちろん、那須川選手の心意気や勇気は個人的には素晴らしいと思いますが、その評価と運営に対する評価は別物でしょう。心意気に対する評価を理由に、結果に対する客観的な分析を怠るのは悪癖です。

*3:ここでいう「国際」とは「クロスボーダーの」と同義です。

*4:契約の重要性については、既に素晴らしい記事があったのでご紹介しておきます。メイウェザーが教えてくれたこと。スポーツでも契約書は凄く大事! - ボクシング - Number Web - ナンバー

*5:格闘技の場合、試合に至るまでのやり取りも含めて見せ場なので、個人的には、たとえば2で触れる米国側の日本側に対するクレームも、見せ場作りだったとしても構わないと思っています。

*6:そもそも、相手がWinかどうかは契約の時点では通常わかりませんし、わかる必要もありません。

*7:私の経験の範囲ゆえ、念頭に置いているのは中華圏、アセアン及びオーストラリアです。

*8:特に中華圏相手の交渉では、トップで話ができていると、交渉のカードとして使えることがあります。

*9:異例!メイウェザーがキック1発5億超の違約金設定 - 格闘技 : 日刊スポーツ

*10:【RIZIN】那須川天心vsメイウェザー、ルールについて榊原委員長が語る - eFight 【イーファイト】 格闘技情報を毎日配信!

*11:私が英米法の知見がないからかもしれませんが、大陸法系以外の国と交渉をすると、概念の齟齬が生じます。一方、大陸法系の国の場合、齟齬は生じにくいのですが、一方で同じと思っていた概念が微妙にズレることが生じたりします。

*12:たとえば、日ソ共同宣言で歯舞群島色丹島は「引渡し」されることとなっていますが、これは領土がどちらに帰属するのかをあえて明確にしない表現です。また、ポツダム宣言受諾に関する「subject to」の理解もこれと同じような論点だと思います。

*13:たとえば、日英なら、日本語ができる英語ネイティブと、英語ができる日本語ネイティブということです。

*14:【急転直下】「メイウェザー vs 那須川天心」がやっぱり実現か? 格闘技マニアに今後の展開を聞いてみた | ロケットニュース24

*15:前代未聞の対戦キャンセル メイウェザーの訴えに大反響 - ライブドアニュース

なお、メイウェザー選手のインスタグラムの投稿が削除されているため、私は原文を見ていません。

*16:この原因としては、文化の違いもあるでしょうが、外国企業にとって契約相手が外国所在のため、揉めるリスクを低く感じているというところもあるように思います。海を越えて相手方と裁判だ仲裁だとやるのは高コストであり、ハードルは高く、特に日本企業は法的紛争解決を忌み嫌う傾向が強いので、揉めても法的手段には出ないだろうと考えているところはあるように思います。

*17:ルール未定のメイウェザー狂騒曲。那須川天心と大晦日RIZINで対戦! - 格闘技 - Number Web - ナンバー

*18:繰り返しになりますが、私はこの体重差で戦わせたことへの疑問を持っています。また、那須川選手の身体や今後のキャリアへの影響もこれから分かってくることでしょうから、興業的に成功したとしても、同選手にとって成功だったかはまだわからないと思っています

弁護士7年目の所感

あけましておめでとうございます。

気づいたら弁護士も7年目ですが、幸か不幸か、入所した時と同じ事務所で引き続き弁護士として働いています。これまでの6年間をざっとまとめてみると以下のようなところです(後輩の皆様のご参考になれば)。

 

1年目(2013年)

泥臭い紛争とM&Aの兵隊(一番下で手を動かす弁護士)を担当。交渉・訴訟案件が多かったので、交渉のやり方や書面の書き方を一通り勉強できた一年。

 

2年目(2014年)

事件の傾向は変わらないが、僅かだが初めて中国の仕事を経験。兵隊としての面倒を見てくれていた下士官(プレイングマネージャ或いは中間管理職)たる先輩弁護士の独立により、兵隊やりながら下士官もやるようになる。

 

3年目(2015年)

紛争とM&A一辺倒から事件の幅が広がり、国際法務、破産、知財も顔を出すように。訴訟も難易度が高めのものが増えてくる。所内でチームが形成されメンバーになるとともに、下士官業務が増え、M&Aの主任デビューを果たす。初めて個人的なつながりから顧客を獲得する。

 

4年目(2016年)

国際法務が顕著に増加する。とはいえ既存の業務も減らず、自ら営業もするようになり、かつ、業務効率の向上が追い付かず、業務時間が増加し、11月に一度ダウンする。国内業務を下士官業務中心とするよう変更する。父親になる。

 

5年目(2017年)

案件数が顕著に増加するとともに、国際法務が過半数を占める。顧問契約を初めて獲得する。

 

6年目(2018年)

ベンチャー法務が増加する。国際法務も増加し、業務の7割が中華圏の案件となり、仕事での海外出張が増える。中華圏のチームもメンバーが倍増する。M&Aはクロスボーダー以外を所内では遠慮することにし、業務効率を改善し、何とか業務時間は落ち着く。

 

改めて思い返すと、3年目から4年目が一つの転機だったと思います。3年目の終わりに、私が尊敬する先輩が事務所を離れました。私のその頃の業務の半分はその先輩の業務でしたし、その先輩に少なくとも5年くらいは指導してもらう算段だったので、これは足下が崩れるような出来事でした。色々考えた結果、最終的には事務所に残り、チームで頑張ることにしたのですが、この経験から、結局弁護士は個の力で立つしかないのだなということを身体で学べたように思います。

一方、弁護士7年目となると、そろそろ進路の問題が出てきます。つまり、今いる事務所で経営側に回るのか、他の事務所に移るのか、独立するのか、或いはインハウス等の弁護士事務所以外で働くのかということです。

この判断をするに当たっては、弁護士を続けるとしたときに、その目的をどう考えるかが大切でしょう。もちろん自分の食い扶持を稼ぐのが職業の本質ですが、弁護士という職業は、職業≒人生となりやすいので、目的を持たないと、人生が無目的となりかねないように思います。ではその目的はと自問したとき、今は、「世界と戦える法律家チームを作る」というのが一つの答えになるでしょうか。日本が世界と戦うために必要となる法律家チームを構築し、企業の役に立ちたいということです。

それゆえ、私の進路に関する考え方はシンプルで、上の目的を達成するために何が一番いい選択なのかというに尽きます。外部環境のことは、自分ではいかんともしがたいことがあるので、自分でできる範囲のことを書くとすると以下でしょうか。

  1. 留学・海外勤務。自分の視野を広げ、語学力を更に高めるために海外での生活と勤務は絶対的に必要と考えています。TOEFLという関門が超えられないので、留学はどうするか要検討ですが、留学を自分が経験していないと、チーム内でその価値を語れないことも考えると、経験したほうがいいだろうと思ってはいます。また、米中関係を考えると、これからしばらくの間、中国の経済状態が悪化すると思われるので、タイミングは悪くないというところです。
  2. 所内のチーム構築。自分一人でできる仕事は能力的にも時間的にも限られており、自分とシナジーを生めるチームが必要です。これは所内外・国内外を問いません。現時点で、どうすればいいかという道は見えているという印象です。
  3. 育成システムの構築。2とも関連しますが、結局2のシナジーを永続的に生む組織にするには、育成システムが重要と考えています。組織論的には、いい人材を採用し、育成し、適切に配置をし、気持ちよく働いてもらうのが正解でしょうが、弁護士の場合、雇用ではないので大量採用による人材確保や、一方的な配置はできません。したがって、組織側ができるのは育成(と辞めてもらわない努力)だけでしょう。ただ、これは道が見えていません。
  4. 専門性の習得。国際法務(言語・文化理解)は一つの専門性ではありますが、手段的な専門性であるため、どうしても実体的な専門性が必要になります。私の場合、紛争解決は引き続き柱とするにせよ、分野・業界的な専門性を身に付けたいというところです。特定の分野・業界については道が見えていますが、どれが正解なのかが難しいというところです。

いずれにせよ、上の1~4のうち、1と4については、後から変えられないところなので、悔いの残らないよう、この一年も励んでいきたいところです。

それでは皆様、今年もよろしくお願いします。

読書の話

今年も気づくとあと2週間ほどとなりました。齢を取るごとに、一年が早くなると言われますが、私にはまだその実感はありません。弁護士になって満6年ですが、それぞれの年にはそれぞれの思い出や挑戦があったように思います。

今年の振り返りはまたそのうちとして、去年くらいから、時間があれば本を読むようにしています。具体的には、通勤路の途中にある本屋に2週間に一度くらいは立ち寄り、気になった本はさっと立ち読みし、有益と思えば全部買います。正直に告白すれば、もちろんそれらの半分くらいは積読になり、そのうちの半分くらいは旬をすぎて読まれることがないまま朽ちていきます。しかし、その時点での自分の問題意識を確認する意味でも、最終的には読まずとも置いておくだけでも意味があるだろうと思って買っています。

また、私は、週明け時点で手元に積み残した仕事が内容な状態で迎えるようにしているので*1、稀に、エアポケット或いは凪のような日が生まれることがあります。その際に積読本を消化しています。

本を読むのは、もちろん趣味のためが第一ですが、弁護士業のためでもあります。私の仕事に対する意識として、「情あれど理なきは愚、理あれど情なきは鈍」というのものがあり、弁護士は専門職ですので、専門的な能力で理論的に法的問題を解決する能力が第一ですが、その問題が社会で起きている以上、世の中の常識や人間の感情にも敏感でなければなりません。より具体的に言えば、弁護士が誰かを説得するには、理屈を分かりやすく説明すれば対象者は理解ができますが、だからといってそれを受け入れてもらえるかは別の話で、話の持って行き方や説得の方法においては、対象者の感情に敏感でなければなりません。このあたりを学ぶには書籍は最良のツールでしょう。

また、年次が上がると、様々な方とお話しする機会が増えます。その際に話題に困らないようにすることや、自分に求められる専門分野を増強するためにも、読書は有益です。雑な言い方ですが、できる人はやはり勉強をしているので、少なくともその方の話の中味を理解するには、ある程度幅広な知識が求められます。それにはやはり読書は一つの有益なツールです。

前置きが長くなりましたが、最近読んだ本で面白かったものを二冊。

www.kadokawa.co.jp応仁の乱」の著者の一冊です。ちょくちょく現れる歴史上の陰謀論をばっさり否定していきます。私の理解では、歴史学というのは、法律家がする事実認定と類似するところがあり、史料の信用性を吟味しながら史実を定めていくという作業をするものですが、最近世間ではその辺りを無視した議論が跋扈している印象もあります。学会はそういうものには取り合わないのでしょうが、著者はこの現象に危機感を抱いており、わざわざこのような書籍を書かれています。具体名は出しませんが、歴史書の振りをして出典がなく、検証・反論不可能な書籍が幅を利かせている世の中では、このような研究者がいらっしゃるのは本当にありがたいことだと思います。

 

www.ikedashoten.co.jp地政学について、わかりやすく解説したものです。地政学の本って取りつきにくい印象ですが、この書籍は、現代の国際情勢を踏まえて書いてくれているので、読みやすいです。交通手段や兵器の進化はあるにせよ、地理的条件というのは基本的にそう大きく変わらないので、一度地政学の視点を持つと一生役に立つだろうと思います。

 

*1:この癖は、非紛争案件と中華圏案件が増えるようになってから付いたものです。国内の紛争は、サイクルが遅い(たとえば訴訟期日は多くても月1回)一方で、国内外の非紛争案件(特に中華圏の業務)はサイクルが早いものが多く、対応スピードが重視されるため、手元に仕事を残しておくと反応が遅れます。

熊野詣

熊野に行ってみたいと思い立ったのは平成21年で、ロースクールの最初の夏学期が終わった時だった。理由ははっきりしないが、熊野を初めて認識したのが小学校の頃読んだ平家物語の「熊野別当」であり、その言葉がずっと引っかかっていたことのような気がする。初めての訪問は同年9月で、伊勢神宮と合わせて三山を訪れたのだが、伊勢神宮の緊張感のある雰囲気より、どことなく緩やかな熊野の方が好みだった。

その後、24年に2度、28年に1度熊野を訪れたが、回数を重ねるたび、熊野には、ただの南国的な風景とは異なる独特の空気を感じるようになった。城址から眺める熊野川と山々、速玉大社の社殿とその裏の木々、花の窟の鳥居の奥には、青い空や川と黒っぽい山と赤い社殿のコントラストゆえか、時にはぎょっとするような不気味さが感じられる。当地の方々には聞こえが悪く申し訳ないが、外地出身者である私には、そこに鮮やかな死が香る。一方、大門坂から那智大社に至る古道、大斎原とその横を流れる熊野川には、爽やかな生を見出す。今まで色んなところを旅してきたが、ここまでの両極かつ強烈な特徴がある地は他にはない。

熊野と死生を論じる書籍は複数あり、たとえば補陀落渡海や、伊弉冉尊の埋葬地とされる花の窟などが挙げられる。しかし、そういうことではなく、単に自分の感覚としてそう感じるというだけのことである。だから私は、日常から離れたいときは熊野に詣でる。交通が発達した今も遠い熊野に赴くうちに、私は俗世の属性から切り離される。着いたら最初に必ず詣でる速玉大社、翌朝城址から眺める熊野川、そしてその熊野川を辿って至る大斎原の河原と詣でる本宮大社。これで私が蘇っていく。

ここ数年、本宮や那智は、商業主義が強まったような印象もあるし、たとえば大斎原の大鳥居にも違和感が強いが、それはそれ。熊野の空気は今も昔も一緒であろうし、そこに詣でるのである。

そして、五度目の熊野詣を終えて、再び俗世に戻るのであった。

 

 

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速玉大社社殿

 

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城址から眺める熊野川と山々

 

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大斎原横の河原と熊野川